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気分は晴れたが、状況は変わらない。翌日以降も俺は、教え子との間にそびえ立つ大きな壁を取り払うべく、あれやこれやと頭を回していた。
授業中であろうと、自宅で格安ディナーを食している時であろうと、なりふりかまわず考えに考える。そんな、脳細胞が過労死してしまいそうな日々。
……では、あるのだが。
「ぐぬぬ、なんも思いつかん……」
パスタはくるくる渦を巻き。思考はぐるぐる空回り。腹が膨れたところで特に妙案が浮かぶわけでもなく、溜息と共にパスタの山へフォークを突き立てる。カシャーンという乾いた音が自室に響きわたり、なんだか余計に虚しくなった。普段はなんとも思わぬ『アホー』というカラスの鳴き声が、最近は妙に腹立たしく感じる。
現状の分析は、とっくに済んでいるのだ。
榊原先生の『二人とも何も間違えていない』という主張は全くその通りなのだろう。俺は指導に手を抜かなかったし、アイツもそれに答え続けてくれた。双方に落ち度は無い。
だが、模試の成績は思うように出なかった。何も間違えていないはずなのに、点数は伸びてくれなかった。
メンタルケアも心がけていたが、結局神楽坂の心は折れてしまったのだ。
その結果が、この現状で。神楽坂は、授業を、そして俺を拒絶するようになってしまった。まさに最悪の状況だ。
何も間違えていない。けれど、現実は思うようにいかない。
──だとすれば、導き出される結論は、もう一つしかなかった。
「……俺が、力不足だったんだな」
自分ならやれるという、傲慢さ。吐き気がするような、思い上がり。
今更そんなことに気づいて、無性に自分が嫌になってきて。食欲が完全に消え失せた俺は、食べ残しの夕食パスタにラップをかけた後、食卓に突っ伏して目を閉じた。
◆
再び目を覚ますきっかけとなったのは、スマホのアラーム音でもなく、目覚まし時計のうるさい鐘の音でもなかった。
「んー、相変わらずおいしいねぇ。むぐむぐ……」
皿を突くフォークの音。聞き慣れたというより、もはや聞き飽きた女声。
「あ、優起きた。おっはよ~ん」
俺の意識を覚醒させたのは、パツパツの部屋着を身に纏った隣人であった。
「……何やってんだ、お前」
「いやー、優がパスタを食べ残してたみたいだから、もったいなくてレンチンして食べてたんだよ。大変おいしゅうございます」
「……何やってんだ、お前」
なぜ不法侵入している? なぜ人の夕飯を勝手に食っている? 全く説明になってないよな?
「ふぅー、げっぷ。あー、お腹いっぱい。ごちそうさまでした」
気づけばテーブルを介して真向かいに腰掛ける楓は、満足げに手を合わせていた。
「ぜ、全部食いやがった……」
「え? ダメだった?」
「常識的にはダメだろうよ」
悪びれる様子もなく、満足そうにティッシュで口元を拭う楓。ここまでくると、もはや清々しい。
「なるほど。常識的にはダメだけど、優的にはオッケーってことね」
「もう面倒だからそういうことでいいわ。俺今食欲ねぇし、残飯が出るよりはマシだ」
もちろん、常識的にも俺的にもオッケーではない。が、ツッコむ方が面倒くさかった。
「むむ、優が食欲無しだって? そりゃあ一大事だ。楓センサーにビビっと来ちゃったよ」
「あ? いきなりなんだってんだよ」
「ふっふん。ユウサックンよ──君、また何かで悩んでるね?」
「……」
ああ。本当に何から何まで面倒臭い女だ。
「食欲モンスターのお前じゃあるまいし、食欲が無い程度で悩んでるとも限らないだろ」
「うん、そうかもね。でも、アレだよ、ほら! 女の勘ってヤツ!」
「はぁ。お前、腐っても心理学科なんだから、せめて心理を読み解いてから物を言ったらどうだ?」
「いやいや、人の心理を読み解くなんてムリムリ。心なんて、勉強すればするほど余計分からなくなるもんだから。マジで私、自分が今何勉強してるのか全然分かってないかんね?」
「それは大学生としてどうなんだよ……」
ただただ呆れつつ、正面の能天気女を見やる。
ボサついた金髪。両耳に空いたピアス。いつのまにやら無駄に成長した、大きな二つカタマリ。幼少期と比べると、見る影もない容姿だ。
だからこそ、俺は中身が全く変わっていない楓のことを不思議に思う。
能天気。自由奔放。勝手気まま。飾らないその生き方が、時々羨ましくなる。なぁ。コミュ力、少しは分けてくれてもいいんだぞ?
ああ、そうだ。昔から、ずっと変わっていない。気づけば、楓は俺の傍に居る。
呼んでもいないのに。相談を持ちかけたわけでもないのに。
俺が悩んでいる時。楓は何かに吸い寄せられるかのように、こうして俺の元へやってくる。
──まあ、だから。癪だが、今日は認めてやろう。
「なぁ楓。話、聞いてもらってもいいか?」
「お、やっと素直になったね。最初からそう言ってくれりゃあいいのにさっ」
俺が最後に頼れるのは、やっぱりお前なんだろう。
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