第一章「雨降って地、アスファルト」

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 フランス人形を彷彿とさせる丸くて大きな瞳に、肩の少し上当たりで切り揃えられたツヤのある黒髪。身長は平均と同じかそれより少し低いくらいに見えるが、厚みのある耽美な唇と、その背丈に見合わないバストサイズから、幼さは感じ取れない。ちなみにこの容姿分析はあくまで人間観察の一環なのであって、決してイヤらしい目で見ているだとか、品定めをしているだとか、そういうわけではないということを、ささやかに主張させていただく。  さて。まずは身分証明から始めるとするか。 「えー、こんにちは。俺は今日からこの家で家庭教師をさせてもらう櫻田優作っていうんだけど……君が神楽坂繭さんってことでいいのかな?」  事前に聞いていた生徒名を告げつつ、まずは軽く自己紹介。少女の様子をうかがう。 「はい! 私が神楽坂繭です! 西雲高校の三年生です! 今日から櫻田先生のお世話になる予定の受験生です!」  ニッコリ笑顔で少女もまた、同じく自己紹介。礼儀正しく、愛想も良い。事前面談で親御さんから『これまで塾を転々としてきた』と聞いていたため、勝手に態度の悪い金髪ヤンキー少女と相対するのではないかと身構えていたが、邪推だったようだ。 「えっと。じゃあ、早速家の中に入れてもらってもいいかな?」 「あ、はい! ご案内しますね! 今日からよろしくお願いします!」   言ってペコリと頭を下げた後、俺を玄関に招き入れた少女は「こっちです! こっち!」と元気に語りかけながら、二階の部屋へと案内してくれた。 ◆ 「ささ、お入りください!」 「あ、うん。じゃあ……おじゃまします」  神楽坂さんに招かれるまま部屋に入り、ザッと室内を見回してみる。学習机が一つに、シングルベッドが一台。驚くことに、それ以外は特に物が見当たらなかった。ピンクのカーペットが一面に敷かれているため、殺風景という印象は薄いが、どこかもの寂しい雰囲気を感じる部屋だ。  まあ、特に授業への支障は無い。早速指導開始といこう。 「よし。時間も限られてることだし、始めようか。どんな感じで授業進めていく? 問題解いていってもらって、分からないところが出たら質問対応って感じにする?」  最もベーシックな授業スタイルを提示しつつ、まずは神楽坂さんに指導方針の希望を尋ねてみる。 「まあまあ、先生? 授業の前に、まずは自己紹介から始めませんか? 一応玄関先で名前は紹介しましたけど、もう少しお互いのことを知った方がいいと思うんです!」  ちょこん、とベッドに腰掛けつつ彼女から出た希望は、意外にも俺とコミュニケーションをとることであった。  しかし、なるほど。今回の契約内容は『神楽坂繭を合格に導くこと』だ。長い付き合いになるだろうし、互いのことを知るべき、というのは確かにその通りかもしれない。 「ほらほら、先生! そんなとこで突っ立ってないで座ってくーださいっ!」  ポンポンとベッドを叩いて、自らの隣へ俺を招こうとする彼女。初対面にしては随分と警戒心が薄いような気がするが、友好的なのはこちらとしてもありがたい。「わかったわかった」と声を掛けながら、隣に腰掛ける。 「えっと、こほん。じゃあ、まずは改めて私から自己紹介しますね。私の名前は神楽坂繭。四月生まれのおひつじ座で、血液型はA型です!」  想定より無難な自己紹介。しかし、いかんせん顔が良いため、ニッコリ笑顔で自己PRされただけで、それなりに印象に残ってしまった。どうも男の海馬とは、都合よく美少女のご尊顔を記憶するようにできているらしい。 「あ! あと私、占いも得意なんですよ?」 「ん? 占い?」  ああ、あのバーナム効果に騙されるヤツね。と、口を滑らせそうになってしまったが、さすがに無粋なのでやめておく。多少ひねくれている自覚はあるが、KYイヤミ野郎になるつもりはない。 「えへへ、実は私、人の手相を見て性格診断ができちゃうんです!」 「へ、へぇー、それは興味深いね」  優しい嘘である。 「と、いうわけで! 先生! 私に手を見せてくーださいっ!」 「え? どしたの、急に」  「いやー、なんといいますか、お近づきのしるしに先生を占ってあげようかなーと思いまして!」 「ああ、そういう……」  さて、どうしたものか。勤務時間中なので俺としては、なる早で授業を始めたいところではあるのだが、のんきに占いなんてやっていいものなのだろうか。 「あ、ごめんなさい! もしかして、先生ってあんまり占いとか好きじゃなかったり……?」 「あー、いや! 別にそういうわけではないんだけどね?」    急に潤んだ瞳で見つめられたものだから、また咄嗟に優しい嘘をついてしまった。 「あー、じゃあ、せっかくだし占ってもらおうかな……」  まあ、そこまで時間はかからないだろう。終わったらすぐに授業を始めればいい。 「ふふ、良かった! 占い、嫌いじゃなかったんですね!」 「うん。嫌いではない、かな」  なお、好きでもない。 「じゃあ、早速手相を見せてもらいますね!」 「あ、ああ、わかったよ」  手相占い程度ならすぐ終わるだろうと高を括りつつ、隣に座る彼女に向けて右手を差し出す。そういえば、他人と手相の話をするのは幼少期以来だろうか。随分前のことなのでよく覚えていないが、やたらと自分の生命線が短くて絶望した記憶がある。あだ名が一時期『早死優作』になっていたのは、ショタ時代の忌まわしき思い出だ。  ──と、取るに足らぬ手相メモリーを思い返していた時だった。 「えへへ、先生の手って、結構ゴツゴツしてておっきいんですね!」 「え? か、神楽坂さん? 手相を見るんだよね? なんで俺の手握ってんの……?」  てっきり掌を見られるだけだと思っていたのだが、彼女がとった行動は予想の斜め上を行くものであった。あろうことか、その少女らしい柔らかな手で、俺の右手をキャッチしたのである。 「ふふ、先生、もしかして照れてます?」 「いや、照れてるとかじゃないんだけど……手を握ったら、手相見れなくない?」 「いえ、そんなことはないですよ? これが神楽坂式占い術です。あとは、こうして先生の手を私の胸の前に持ってきて……」   瞬間。気づけば俺の腕はニヤリと悪戯な笑みを浮かべる彼女からグイッと引っ張られていて── 「そして、最後! 先生の腕を私の胸に押し付けて、一緒に記念撮影!」 「なっ!?」    何が起きたのか理解も出来ぬまま、右手に未知の弾力を感じた刹那。俺は、いつのまにか彼女が用意していたスマホでツーショットを撮られていて── 「……ねぇ、いつまでアタシの胸触ってんの? 手ぇ離しなさいよ、変態」  ──理解が追い付かずに呆然するも束の間。態度を急変させた彼女が、乱雑に俺の手をはたきおとしていた。
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