最終章「羽化る繭」

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 以降、帰路の記憶はおぼろなものとなった。  どれほど歩いたのか。道中で何を見たのか。まるでハッキリと覚えちゃいない。  習慣に従って機械的に歩みを進めていると、いつの間にか家に着いていた。そんな感じだ。 「やあやあ、櫻田くん。まずは、そうだね。お疲れ様、と言うべきかな?」  しかし、オンボロアパートの朽ちかけた階段に腰掛ける一人の紳士を目にした途端。曖昧だった俺の意識は再び覚醒することとなった。 「え? さ、榊原教授……? どうしてこんなところに……?」  率直な疑問を投げかける。生憎、俺は教員とプライベートで関わるほどのコネは持ち合わせていない。 「ははは! ま、そりゃあ驚くのも無理は無いか! ちょっと急すぎるもんねぇ」  言うと、教授は、ちょいちょいと俺を手招きしてきた。  座って少し話そう。大方、そういう意思表示だろう。断る理由も無いので、隣に腰掛けることにする。 「つーか……なんでウチの住所知ってるんです?」  率直な疑問・その二である。 「ん? あー、それは君もよく知っている、あのヒゲ野郎から聞いたのさ。アイツは僕の大学時代の後輩でね。無理言って教えてもらった」 「塾長と知り合いだったんですか……」  今すぐあのヒゲにはプライバシーの侵害だと抗議したいところではある。が、先輩後輩というパワーバランスを考えると、いくらか同情の余地があるというのもまた事実。複雑な感情である。 「で、わざわざ塾長から住所を聞き出してまで俺に会いに来た理由はなんなんです?」 「そりゃあアレだよ。君に謝罪と感謝の意を伝えるためさ」 「はい? それはどういう?」  謝罪? 感謝? まったく身に覚えが無い。 「僕は繭の父親だ。そう言えば、少しはピンと来るかな?」  訂正。死ぬほど身に覚えがあった。  つーか──  「は!? 父親!? 榊原教授が!?」  身に覚えがあるどころの話ではなかった。 「うん。僕、父親。生徒のセンセーの先生は生徒のパパだったってことさ」 「いや無駄にややこしくするやめてもらえます?」  ただでさえ理解が追い付いていないのに、余計頭が混乱するではないか。 「まあ、なんだ。簡単に言うと、この一年で君に降りかかった災難の元凶は僕だったんだよ。僕のわがままに、君を巻き込んだ。それだけの話だったのさ──」  そして、あまりに唐突に、かつ淡々と。教授は家庭教師契約の真相を語ったのであった。 ・榊原教授は繭の父親であること。 ・今は離婚して母娘とは別居中であり、苗字も変わっていること。 ・四月に元妻から繭の勉学についての相談を受け、後輩にあたるヒゲに今回の話を持ち掛けたこと。  端的にまとめると、以上が話の内容である。 「研究に熱中していて、繭には一度も父親らしいことをしてあげられなかったからね。妻に愛想をつかされたのも当然のことだと思っている。でも、せめて受験の支援くらいはしてあげたかった。だから、『櫻田優作を家庭教師に』とヒゲに無理を言って、今回の契約を強引に結ばせたんだ。塾講師が家庭教師をやる、なんてのは異例だと分かった上でね。だから、君には本当に悪いことをしたと思っている。申し訳ない」  真相を明かした彼は最後に、深々と頭を下げてきた。  その行為に、至って不思議な点は無い。この男のせいで俺は一年間、それはもう大変な苦労を強いられてきたのだ。高時給なのは良いが、あまりに強引な契約だった。受けるべくして受けた、正当な謝罪だと言えるだろう。 「先生、頭を上げてください」  しかし不思議と、真相を聞いた俺の胸には欠片ほどの怒りも無かった。『ああ、そうだったのか』と、冷静に、第三者的に、納得することができたである。  俺の日常を乱したのは、なんてことはない、どこにでもいる親バカのわがままだった。  そう思うと、微笑ましくはあれ、怒りなど到底湧いてこなかった。 「すみません、一つだけ聞いてもいいですか?」  しかし一方で、とある疑問を抱いたのも、また事実であった。 「──どうして、俺だったんですか?」  なぜ櫻田優作を家庭教師として指名したのか。  それだけが、どうにもこうにも腑に落ちなかった。 「成績を上げるという観点だと、俺みたいな学生ではなく、プロの講師を雇うべきでしょう。仮に学生を雇うにしても、塾講師だった俺を選ぶ理由が分かりません。家庭教師をやってる学生なんて、他にもたくさん居ますよね?」  数多の選択肢の中から、俺と契約した理由。それだけが、いくら考えても分からなかった。 「うん、確かに君の言う通りだね。一般的には、その道のプロフェッショナルと契約した方が良い。実績的にも、経験的にも、それは間違いないだろう」  淡々と述べつつ、教授はポケットからタバコを取り出して、火をつける。 「でも、人には適正がある。人と人の間には、相性がある。適材適所っていうだろう? 人材選びは、何も実績だけで判断されるものじゃないのさ」  教授がフゥーッと息を吐き出し、虚空に白が舞う。  それはタバコの煙か、はたまた、ただの冷気か。 「その点で言えば、繭はプロと相性が悪かった。あの子は上から目線で物を言われるのが、とにかく嫌いでね。大人の意見を聞かないっていえば良いのかな? 表面上ではハイハイと言いつつも、完全には信用しないきらいがあった」 「あ、それは分かるかもしれないっす」  一度上から目線で説教した時、アイツはビショ濡れになりながらも俺に言い返してきた。今となっては良い思い出だが、最初は確かに、素直に言うことを聞かなかったように思う。 「加えて、繭の能力自体は低くない。別にプロを雇わなくても、効率の良いやり方を教えられる人間が居れば、それで良かった。大事なのは、むしろ相性の方だ。あの子と同じ目線で、寄り添ってくれる指導者が必要だった。となれば、必然的に繭と年齢が近い人材、すなわち学生講師という選択肢が出てくる」 「……なぜその選択肢の中で俺が?」 「はは、そこはもう運命というか、巡り合わせだよ。塾長やってる後輩が居たから、試しに『良い人材居ない?』って聞いてみた。すると、真っ先に君の名前が挙がった。学年でもドがつくほど真面目で有名な君の名前が、ね。だから信頼して、任せてみたのさ」 「それ、仮に俺が上手くやれなかったらどうするつもりだったんです?」 「ん? まあ、もしダメだったらクビにすればいいかなって思ってたよ! あはは!!」 「非情が過ぎる……」  やはり親子なのだろう。その悪魔のような笑顔は、繭によく似ていた。 「と、まあ、そんな冗談はさておき。櫻田くんには本当に感謝しているよ。妻も『繭がよく笑うようになった』と喜んでいた。悩むことも多かったと思うけれど、娘のために尽力してくれた君には本当に頭が上がらない。改めて、礼を言わせてくれ」  再び深々と、教授が頭を下げる。 「いやいや、いいですよ。なんだかんだ待遇は良かったですし。それに俺自身、この一年で色々学ばせてもらいましたから」  確かに、楽な日々ではなかった。苦労することも多々あった。投げ出したくなる時が無かったと言えば、それは嘘になってしまう。  けれど、それ以上に充実した毎日だった。  人と深く関わることの難しさを知った。  理屈ではどうにもならないこともあると知った。  過度な思いやりは、時に相手を苦しめると知った。  ──そして、最後。一人の少女の、ささやかな恋を知った。  そんな、密度の濃い毎日は。きっと無意識のうちに一回りも、二回りも、人として俺を成長させてくれた。  家庭教師と恋愛教師。文字通り、俺たちは最後まで学び合っていたのだろう。 「なあ、櫻田くん。最後に月並みなことを聞いてもいいかい?」  錆びた階段に吸い殻を押し付けながら。教え子の父は、俺に問う。 「ええ、なんでもどうぞ」  どんとこい、と返答。  瞬間、パタリと雪が止んだ。 「君にとって、僕の娘は──神楽坂繭は、どんな存在だったのかな?」 「……さあ、どうなんでしょう。全部終わった今でも、よく分かんないっす」  弱みを握られたり、成り行きでデートしたり、二回も大喧嘩したり、恋を教えられたり。どう考えたって、『教え子』の一言で即答できるような関係ではなかった。  「はは。先生が言ってた通り、人生ってのは不確実ですね。最後まで頑張りぬいた繭のことを、とても誇らしく思えて。けれど、今は寂しい気持ちの方が強くて。『やりきった!』という確かな達成感はあるのに、妙に切なく感じるような。好ましくも名残惜しいこの気持ちに、どんな名前をつければいいか分からないんです」 「はっはっは! 本当に面白い学生だよ、君は。塾講師をやれるだけの学力があるのに、そんな簡単なことも分からないのかい?」  だが、しかし。そうやって悩む俺をよそに、教授は高らかに笑っていて。 「それはね、青春って言うのさ。歳を食うと、なかなか味わえない感情だ。今のうちに噛み締めておくといい」  あまりに、あっけらかんと。この不思議な感情に、名前をつけていた。 「……はは。青春、ですか」  果たして、教授の回答が正解なのか。残念ながら、今の俺にはよく分からない。  元家庭教師だからといって、なんでも分かるわけじゃないんだ。知らないものは知らないし、分からないものは分からない。『青春とはなんぞや』なんて、俺は知らないんだよ。  だから。自分が青春してたのか、なんて。そんなの、分かるわけもないけれど。 「まあ、そうであったらいいな、とは思います」  この先、何年、何十年と生きていく過程で。彼女と過ごした日々を、「ああ、青春してたな」なんて、笑って振り返られる時が来たなら。それはきっと、幸せなことなんだろう。 「なあ、櫻田くん。最後に、もう一つだけ聞いてもいいかい?」  雲間から差し込む陽光を身に浴びて。教授が再度、俺に問いかける。 「ええ、どうぞ。今日はなんでも答えましょう」  見上げた空が、あまりに青だったからだろうか。気づけば、俺は随分気持ちの良い返事と共に、快諾の意思を告げていた。  そして。穏やかな笑みと共に教授は、最後の問いを告げる。 「繭は──僕の愛娘は、笑って春を迎えられるかな?」 「……はは。それ、聞いちゃいます?」  なんて、ありきたりで。なんて、どうにもならない問いかけだろうか。  生憎、俺は未来予知なんかできやしない。来年の春のことは、来年にならないと答えられるわけもないというのに。  だが、目には目を、歯には歯を、という言葉もある。ならば、ありきたりにはありきたりを。  ここは満を持して、個人的願望を込めて。こう答えるべきなのだろう。 「繭は受かりますよ。俺が保証します」  ──受かって、羽化って、どこまでも飛んでいけ。  なんて、寒いことを考えてしまうのも。特別冷たい今年の冬なら、許してほしいものだ。 ◆ 〈指導報告書⑧〉  講師名:櫻田優作  ・健闘を祈る。  
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