第一章「雨降って地、アスファルト」

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「…………え? いやいやいやいや、待って? 神楽坂さん? 何、今の?」  なんだ。なんなんだ、一体。どうしたってんだよ。  一体何が起きたってんだよ!! 「ふふ、ふふふふふ、ふふふふふふふ…………あはははははは! いやー、まさかこんな簡単に騙されてくれるなんて思ってなかったわ! 大人ってホント、みんなバカなんだから!!」  悪役のような表情で立ち上がり、正面からこちらを見下ろす彼女は──明らかに、先ほどまでの神楽坂繭ではなかった。愛らしい笑みは悪魔の如き嘲笑へと変貌し、瞳の奥には氷雪のような冷酷さが宿っている。 「今のが何かって? そんなの、見たままじゃない。アンタにアタシの胸を触らせる。それを写真に撮る。それで変態教師の出来上がりって話♪」 「なっ……!」 「ざーんねん。優作くんの占い結果は『教え子に弱みを握られて、明日から絶対服従になっちゃう』でした」  そう言ってビシッと人差し指をこちらに向けると、彼女は動転する俺の耳元に唇を近づけて── 「じゃ、そういうわけで明日からアタシのためにキリキリ働いてね? せーんせいっ♪」  とても女子高生とは思えない、悪魔の囁きを浴びせてきたのだ。 ◆ 〈指導報告書①〉講師名:櫻田優作  ・問題発生。早急に事態の解決を図る。 ◆  大学生活三年目、五月十一日。櫻田優作の人生は終わった。 「ああ……もう……ああん……! もうっ……!」  喘ぎ声ではない。うめき声である。一般大学生、否、まさに人生急転直下中の大学生が、オンボロアパートの錆びかけ階段をカツリカツリと上りながら、ポツリポツリと独り言をこぼしているだけである。 「いや、マジでどうすりゃいいのよコレ……」  家賃激安ワンルームに帰還。玄関前にて立ち尽くし、神楽坂家を去る間際に教え子、もとい悪魔から告げられた言葉を思い出す。 【胸を触った写真をバラまかれたくなかったら、明日からアタシに絶対服従ね。学校の宿題とかも全部アンタにやってもらうから。じゃあ、明日からよろしね? せーんせいっ♪】  異例の家庭教師契約は、初日にして歪な奴隷契約へと移行。神楽坂繭の策略にまんまとハマった俺は彼女から弱みを握られ、機嫌次第で世間様から『変態教師』のレッテルを貼られる事態に陥ったのである。 「あんの、乳がデカくて顔が良いだけのクソガキが……末代まで呪ってやる……」  迂闊だった。塾を転々としているという情報を聞いた時点で、もっと警戒すべきだった。手を握られた瞬間に、多少強引になってでも振り払うべきだった。 「でも、あんな展開になるなんて思わねぇだろ、普通……」  確かに、高時給目当てで引き受けた仕事だったのは認める。多少は報いを受けるべき不純な動機だったことは認めよう。  しかし。しかし、だ。一体それがここまでの仕打ちを受けるほどに不純だったとでも言うのか? 世の中顔か金なんだから、金を稼ぎたいというのは至極当然の欲求だろう。報いを受けるとしても、タンスの角に小指をぶつける程度で許されていいはずだ。  一体全体、なんで俺がJKに弱みを握られる展開になるってんだ。罰が割に合っていないだろう。神様は一体どこに目ン玉付けてんだ。畜生。今日から無神論者になってやる。 「あー、やめだ。やめ。考えても無駄無駄。とりあえず部屋入るべ」  現時点で、俺の無実を証明できる人間は居ない。相手が顧客という関係上、塾に相談しても俺の肩は持たないだろう。オマケに神楽坂繭には未成年補正がある。成人男性と美少女JKが対立すれば、社会という怪物は問答無用で向こうの味方をするに違いない。  よって現状、俺が冤罪を主張したところで状況は悪化するのみ。打開策が無いのは火を見るよりも明らかだ。何を考えたって、徒労に終わるだけだろう。 「はあ。ホント、これからどうなることやら……」  溜めに溜めた息を吐きだし、扉を解錠。慣れ親しんだボロ部屋に入る。 「おっす、お帰り、優!」 「なんでお前が居るんだよ……」  先客が居た。独り暮らしの自宅で先客なんて言葉を使うのは本来ありえないことなのだが、他に適切な表現が思いつかない。とにかく、先客が居た。 「なーに言ってんの。私が優の部屋に居るのなんて日常茶飯事でしょ。いつもどーり、ベランダから入ってきたに決まってるじゃない?」 「不法侵入を勝手に茶飯事にするのやめてくんねぇかな」  室内中央にて、テレビのリモコンを片手に持ち、堂々と身体を横たえてソファーを占領する、ボサボサ金髪×短パン×タンクトップ女。信じがたいことに、この女は俺の隣人であり、幼馴染であり、同じ大学に通う同級生でもある。  名は後田楓。大酒飲み、ニコチン中毒者、ギャンブル好きと三拍子揃っており、頭からケツまでオッサンの皮を被った女子大生だ。
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