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さとちゃんはあたしが守ってやんないと
駅前は2月中旬の大イベントに向けて彩られている。そこかしこにハートマークとチョコレート菓子の宣伝。
コーヒーショップで売っている飲料も、チョコレート味に力を入れているらしい。看板に大々的に書いてある。
泉は壁に寄りかかろうと後退する。すると、足が自動販売機の横のゴミ箱にぶつかった。
「ペットボトル」と書かれた穴に、コーヒーショップの持ち帰り用のプラスチックカップがねじこまれている。マナーの悪い客が、飲みおわったカップの処分が面倒で、そこに入れたようだった。そのゴミは穴よりやや大きかったためにはみ出している。肝心のペットボトルは入りそうになかった。
「クソみてえな奴がいやがるな」
泉はケッと笑い、その場から離れた。
少しすると、さとがやってきた。彼女は泉に気づくより前に、自動販売機の横のゴミ箱に目を留めた。プラスチックカップがはみ出す醜悪なゴミ箱だ。
さとはそのカップを引っぱろうとした。しかしなかなか抜けない。
その格闘を、通りがかりの中年女性が見つけ、しかめ面で言った。
「ちょっとあんた、そこに捨てちゃ駄目でしょう!」
どうやらさとがそのカップを捨てたと思ったらしい。さとは不思議そうに中年女性を眺める。中年女性がガミガミ言うと、さとはふわりと髪を揺らして頭を下げる。
「すみませんでした」
見かねた泉が助けに入る。
「ちょっと、さとちゃん」
しかし泉が来たときには中年女性は足早に去った後だった。
さとはゴミ箱からカップを取りだし、何事もなかったように微笑む。
「泉さん。お早いですね」
「それよりさとちゃん、自分が捨てたわけじゃないのに何で謝ったんです」
「これ捨てちゃった人が今いないので、代わりに」
「こんなとこに捨てる馬鹿を庇う必要ねえです」
「でもこれ捨てた人も、捨てちゃ駄目って知らなかっただけだと思いますよ」
「なわけねえって……」
泉は肩を落とすが、さとはにこにこしたまま、目の前のコーヒーショップに入っていく。そしてレジ前で店員に尋ねる。
「これってどこに捨てればいいですか?」
「こちらでお預かりします」
さとは満足そうに微笑んだ。
「あのなあ、さとちゃん」
「ほえ?」
「あんたはこんなのしなくていいんです。次から放っておけばいいんです」
「でも」
「誰かが勝手に片づけちゃ駄目ですよ。これじゃ捨てた奴が反省しねえ。分かります?」
さとは首を傾げた。よく伝わっていないようだ。泉が訴えかけるように見つめると。さとは柔らかく微笑んだ。
「泉さんが言うなら次はそうします」
映画館に着き、入場口で券を見せる。すると、銀色の薄い小袋を渡された。封筒の形になっており、小さなセロテープで口が申し訳ていどに止められている。
エスカレーターに揺られながら、さとは不思議そうに言う。
「これ何でしょう」
「入場特典のポストカードじゃねえですか?」
「ほあ。すごい!」
「ランダムらしいですよ。7種類くらいあって、内1種類はレアだとか」
「可愛いのほしいですね」
「あたしはどれでもいいですけどね」
話している内に席を見つけて座る。ふたりは隣同士だ。泉の隣は空っぽだが、さとの隣には大学生くらいの青年が座っていた。ポストカードホルダーに入場特典を入れ、しげしげと眺めている。ほしかった物が出なかったのだろう、チッと舌を打つ声が聞こえた。
自分たちの入場特典を確認しようと思ったが、劇場内の明かりが消えたため、上映後にしようと考えた。
子ども騙しの映画だ。上映前、泉の評価は軽かった。
しかし――。
「面白えじゃねえですか!」
エンドロールの後、泉は興奮していた。
絵は可愛らしかったが内容は意外とダークだった。オーキーとドーキーのゆかいな冒険と題された本作は、最初は愛らしい小人たちの会話がメインだった。しかし開始20分が経ったとき、突然巨大怪獣が襲来し、メルヘン世界を徹底的に崩壊させた。
生きのこった小人たちが旅をするのだが、無秩序、傍若無人、可愛らしいとは真逆の展開の数々。
どうりでタイトル詐欺映画とか言われてたわけだd、と泉は心臓を高鳴らせた。
一方のさとはほわほわとした笑顔でのんびりと言う。
「楽しかったですねー」
「クッソたぎった」
「小人さん可愛かったです」
「ダークメルヘンからしか得られねえ栄養がある」
感想を言いながら席を立とうとする。が、そのとき、さとのかばんから銀色に輝く物が落下した。
「ほえ?」
「入場特典が落ちましたぜ。……おっ?」
袋の口に貼られていたセロテープが剥がれており、中のカードが飛びだしていた。よく見るとそれは表面がキラキラと輝いていた。
「わあ。綺麗」
「レアカードじゃねえですか」
キャッキャと盛りあがるふたりを、隣の席の青年がじろっと眺めた。うるさくしすぎたかと思い、泉は顎を小さく前に出して謝罪した。
ふたりは黙って帰り支度を進める。
さとはカードをしまおうとしたが、かばんの中に入れていたマフラーがこぼれ落ちてしまった。
さとはカードの入った封筒を一旦肘かけの上に置き、マフラーをしまいなおす。
さとが封筒を置いたのは、泉とは逆側の肘かけだった。
「……あれ?」
「どうしたんです、さとちゃん」
「カードがありません」
さとは銀色の封筒を開けてみせる。先ほど見たはずのポストカードがない。
周囲を見回すが、どこにも落ちていない。
泉はふと、さとの隣席の青年の姿を見た。
その青年は上映開始前と同様に、ポストカードホルダーを持っていた。上映前と違うのは、口元に笑みが浮かんでいることだ。上映前は舌打ちすらしていたのに。
それほど映画が面白かったのだろうか? 否、何かがおかしい。まるで企みが成功したような、悪質な微笑みだ。
「そこのあんた、ちょっと待つです」
泉が声をかけると、その青年はビクッと肩を震わせた。
「ぼ、ぼ、僕ですか」
「他に誰が?」
青年は素早いまばたきを繰り返し、落ち着きなくかかとを上下させる。
「な、何の用です」
青年の敵対心のにじむ眼差しに、泉はニヤリと笑った。
「盗ったモン出しな」
「はっ?」
青年の声が静かな劇場内にこだまする。係員が何事かと反応しかけたが、別の客に呼びとめられ、すぐには来なさそうだった。
さとはくりくりとした眼差しを泉に向けている。状況が分かってなさそうだ。泉はさとへの説明も兼ねて発言する。
「あんた、さとちゃんのカード盗みましたね」
「な、何のことか」
「盗ったところ見てましたぜ」
泉が挑発的に目を細めると、青年はヒッと小さく悲鳴を上げた。本当は目撃しておらず鎌をかけただけだが、この作戦が成功したらしい。
青年はポストカードホルダーを両手で抱え、身を固くする。泉が首を横に倒して睨んでいると、彼は観念したように呟いた。
「……別にいいだろ」
「あ?」
「上映が終わるまで開けもしない。挙句その辺に放っておいて、僕が盗ってもまだボーっとしてる。そんな奴にレアカードはもったいない」
「だから盗んでいいとでも?」
「僕は全種類集めるために何度も映画館に足を運んだ。あとこのレアカードだけあればコンプリートだ。僕がもらったほうが圧倒的にいい」
「ゴミカス一点集中ヤロウが」
泉と青年は怒りを向けあう。
だが当事者のさとは、以外にものんびりとしたままだった。
「あのー」
「さとちゃんも文句言ってやんな」
「そのカード、あげますよ」
「……は」
泉はさとを二度見した。しかしさとはポヤッとした表情のまま、まん丸の目でふたりと見つめている。
「キラキラなの綺麗だなって思いましたけど。とってもほしいって言うなら、私そのカードあなたにあげます」
さとがニッコリと微笑むと、青年は異物を見るような目でさとを見た。
「何で」
「でも勝手に取ったのはやだなって思うので。そうだ、交換こしましょう」
「え?」
「あなたが今日もらったカードと、私がもらったカード。交換こすれば、どっちもハッピーになりますね」
さとは屈託のない笑顔を見せる。青年もぎこちないながらに笑みを浮かべる。
しかし、泉がそれに納得しない。
「駄目ですよ、さとちゃん」
「ほえ?」
「こっちはレアカードなんです。お兄さんのコレクション、全部こっちに渡すなら許してやってもいいですよ。……この映画だけじゃない。あんたのカードホルダーに入ってるやつ、全部です」
「いや、これは」
青年は両手でカードホルダーを胸に抱える。泉は意地悪そうに口角を上げた。
「さっさとよこしな」
「これは……その」
さとが声を発する。
「あの、泉さん。私、1枚と1枚の交換がいいかなって思うのですが」
「駄目です。レアリティが違えんで」
「うーん、でも、私のは1枚」
「いいから」
泉が強く主張すると、さとは純粋そうな目で泉を見た。
「泉さんはそれがいいって思うんですね」
「そりゃな」
「じゃあ、そうします。だって、泉さんがそうするって言うんですし」
さとはいつものように微笑んだ。しかし、泉は妙な引っかかりを覚える。
「あんた、本当に分かってます?」
「はい。泉さんが正しいって言ってるから、正しいんですよね」
泉は一瞬、さとは皮肉を言ってるのかと思った。泉が妙にかたくななので、嫌味を言ったのだと考えた。
だが泉はすぐにその考えを否定した。さとは驚くほどのお人好しだ。人を疑うことをまったく知らない。
異様に素直な、聞き分けのよすぎる彼女は、何ひとつ疑う素振りを見せずに言っているのだ。
「泉さんが正しいというから、それは正しいってことなんですね」と。
泉の中に昔の思い出がよみがえる。幼い泉の態度を母親が声を荒らげて叱っている。どうして、と泉は尋ねる。しかし母親は理由を説明しない。ただとにかく、そうすべきだからそうするの、と繰りかえす。
あのときと、今と、一体何が違うのか。
泉はうつむき、首を左右に振る。
「……さとちゃんの言うことが正しいです」
「ほえ?」
「レアだの何だの、あたしが勝手にアタリハズレをジャッジすんのは間違いだ。大事なのはさとちゃんがどうしたいかですよね」
「私は、1枚と1枚を、交換こしたいなって思います」
さとに微笑みを向けられた青年は、気まずそうに下を向く。
「僕は……僕はただ……」
劇場を出たふたりは、近くの公園のベンチに並んで座っていた。
さとはポストカードホルダーをさまざまな角度から眺めている。
「……もらっちゃってよかったんでしょうか、これ」
「だと思いますよ」
さとはカードホルダーを開く。そこには例のキラキラと輝くカードが入っている。
結局、例の青年はレアカードをもらわなかった。それどころか、彼があれほど大事にしていたポストカードコレクションをすべてさとに譲ってしまった。
さとの態度に感化され、一からやり直すことに決めたらしい。
「あの野郎は手に入れるべきモンを手にしたんです」
「そうなんですかー。あ、そうだ」
そう言ってさとは、小さな紙袋を泉に手渡した。
「何です、これ」
「泉さんにあげたくて持ってきました」
中には小箱が入っていた。開けると、こげ茶色の丸い塊が数個入っていた。
街に飾られた装飾を思いだす。もうじき2月14日だ。だからきっとこれはチョコレート。見たところ手作りだ。
泉は困った顔になる。
「あたし、甘いの得意じゃねえんで……」
「大丈夫です。これ、カカオ多めです」
「手作りで? すげえ。あざっす」
泉は思いだしたように自分のかばんから小さな箱を取りだした。
「買ったやつですけど」
「嬉しいです!」
開けると、ハートや星など可愛らしい形のチョコレートが並んでいる。さとはその内ひとつが気になるらしい。
「りんご型チョコ可愛い」
「……明日世界が終わるとしても、今日も私はりんごの木を植える」
泉が脈絡なく呟いたので、さとは目をぱちくりさせた。
「ほへ?」
「映画にあったセリフです。さっきは意味分かんねえなって思ったんですけど、さとちゃんならやりそうだなと思いました」
「私もりんご大好きです」
「明日世界がぶっ壊れても植えます?」
「泉さんも一緒に植えてくれますか」
「あんたひとりでやってください」
「えー」
「あんたが植えた木を、あたしが守ってやってもいいですけど」
泉はツン、とそっぽを向く。さとは泉の膝の上のチョコをひとつ取り、泉の口に近づけた。
「泉さん。あーん」
「嫌です」
「あーん」
「やりませんよ、恥ずかしい」
さとはぷくっと頬を膨らませる。また唯々諾々に意見を飲むかと思いきや、何故か彼女はめげなかった。
「あーん」
さとはマイペースなのに、変なところで受動的だ。そのくせ、こうして強情な面も見せてくる。掴みどころのない子だと思う。
泉は頬を掻き、口を開けてみせた。さとは嬉しそうにチョコを放りこむ。濃くて、苦くて、それでいて少しフルーティーだ。
「りんご?」
「隠し味です」
そう言ってさとは自分も口を開けてみせた。泉にも同じことをしてほしいらしい。
彼女の口にりんご型のチョコを入れる。
泉の人差し指が、さとの唇に触れた。彼女の唇はしっとりとして柔らかい。乾燥した季節には不釣り合いなみずみずしさだ。
さとは目を細め、美味しそうにチョコレートを頬張っている。
泉もさとからもらったチョコレートをもうひとつ指先でつまみ、口に入れた。
泉の人差し指が、泉の唇にそっと触れた。
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