さとちゃんはあたしが守ってやんないと

1/1
前へ
/1ページ
次へ

さとちゃんはあたしが守ってやんないと

 駅前は2月中旬の大イベントに向けて彩られている。そこかしこにハートマークとチョコレート菓子の宣伝。  コーヒーショップで売っている飲料も、チョコレート味に力を入れているらしい。看板に大々的に書いてある。  泉は壁に寄りかかろうと後退する。すると、足が自動販売機の横のゴミ箱にぶつかった。 「ペットボトル」と書かれた穴に、コーヒーショップの持ち帰り用のプラスチックカップがねじこまれている。マナーの悪い客が、飲みおわったカップの処分が面倒で、そこに入れたようだった。そのゴミは穴よりやや大きかったためにはみ出している。肝心のペットボトルは入りそうになかった。 「クソみてえな奴がいやがるな」  (いずみ)はケッと笑い、その場から離れた。  少しすると、さとがやってきた。彼女は泉に気づくより前に、自動販売機の横のゴミ箱に目を留めた。プラスチックカップがはみ出す醜悪なゴミ箱だ。  さとはそのカップを引っぱろうとした。しかしなかなか抜けない。  その格闘を、通りがかりの中年女性が見つけ、しかめ面で言った。 「ちょっとあんた、そこに捨てちゃ駄目でしょう!」  どうやらさとがそのカップを捨てたと思ったらしい。さとは不思議そうに中年女性を眺める。中年女性がガミガミ言うと、さとはふわりと髪を揺らして頭を下げる。 「すみませんでした」  見かねた泉が助けに入る。 「ちょっと、さとちゃん」  しかし泉が来たときには中年女性は足早に去った後だった。  さとはゴミ箱からカップを取りだし、何事もなかったように微笑む。 「泉さん。お早いですね」 「それよりさとちゃん、自分が捨てたわけじゃないのに何で謝ったんです」 「これ捨てちゃった人が今いないので、代わりに」 「こんなとこに捨てる馬鹿を庇う必要ねえです」 「でもこれ捨てた人も、捨てちゃ駄目って知らなかっただけだと思いますよ」 「なわけねえって……」  泉は肩を落とすが、さとはにこにこしたまま、目の前のコーヒーショップに入っていく。そしてレジ前で店員に尋ねる。 「これってどこに捨てればいいですか?」 「こちらでお預かりします」  さとは満足そうに微笑んだ。 「あのなあ、さとちゃん」 「ほえ?」 「あんたはこんなのしなくていいんです。次から放っておけばいいんです」 「でも」 「誰かが勝手に片づけちゃ駄目ですよ。これじゃ捨てた奴が反省しねえ。分かります?」  さとは首を傾げた。よく伝わっていないようだ。泉が訴えかけるように見つめると。さとは柔らかく微笑んだ。 「泉さんが言うなら次はそうします」  映画館に着き、入場口で券を見せる。すると、銀色の薄い小袋を渡された。封筒の形になっており、小さなセロテープで口が申し訳ていどに止められている。  エスカレーターに揺られながら、さとは不思議そうに言う。 「これ何でしょう」 「入場特典のポストカードじゃねえですか?」 「ほあ。すごい!」 「ランダムらしいですよ。7種類くらいあって、内1種類はレアだとか」 「可愛いのほしいですね」 「あたしはどれでもいいですけどね」  話している内に席を見つけて座る。ふたりは隣同士だ。泉の隣は空っぽだが、さとの隣には大学生くらいの青年が座っていた。ポストカードホルダーに入場特典を入れ、しげしげと眺めている。ほしかった物が出なかったのだろう、チッと舌を打つ声が聞こえた。  自分たちの入場特典を確認しようと思ったが、劇場内の明かりが消えたため、上映後にしようと考えた。  子ども騙しの映画だ。上映前、泉の評価は軽かった。  しかし――。 「面白えじゃねえですか!」  エンドロールの後、泉は興奮していた。  絵は可愛らしかったが内容は意外とダークだった。オーキーとドーキーのゆかいな冒険と題された本作は、最初は愛らしい小人たちの会話がメインだった。しかし開始20分が経ったとき、突然巨大怪獣が襲来し、メルヘン世界を徹底的に崩壊させた。  生きのこった小人たちが旅をするのだが、無秩序、傍若無人、可愛らしいとは真逆の展開の数々。  どうりでタイトル詐欺映画とか言われてたわけだd、と泉は心臓を高鳴らせた。  一方のさとはほわほわとした笑顔でのんびりと言う。 「楽しかったですねー」 「クッソたぎった」 「小人さん可愛かったです」 「ダークメルヘンからしか得られねえ栄養がある」  感想を言いながら席を立とうとする。が、そのとき、さとのかばんから銀色に輝く物が落下した。 「ほえ?」 「入場特典が落ちましたぜ。……おっ?」  袋の口に貼られていたセロテープが剥がれており、中のカードが飛びだしていた。よく見るとそれは表面がキラキラと輝いていた。 「わあ。綺麗」 「レアカードじゃねえですか」  キャッキャと盛りあがるふたりを、隣の席の青年がじろっと眺めた。うるさくしすぎたかと思い、泉は顎を小さく前に出して謝罪した。  ふたりは黙って帰り支度を進める。  さとはカードをしまおうとしたが、かばんの中に入れていたマフラーがこぼれ落ちてしまった。  さとはカードの入った封筒を一旦肘かけの上に置き、マフラーをしまいなおす。  さとが封筒を置いたのは、泉とは逆側の肘かけだった。 「……あれ?」 「どうしたんです、さとちゃん」 「カードがありません」  さとは銀色の封筒を開けてみせる。先ほど見たはずのポストカードがない。  周囲を見回すが、どこにも落ちていない。  泉はふと、さとの隣席の青年の姿を見た。  その青年は上映開始前と同様に、ポストカードホルダーを持っていた。上映前と違うのは、口元に笑みが浮かんでいることだ。上映前は舌打ちすらしていたのに。  それほど映画が面白かったのだろうか? 否、何かがおかしい。まるで企みが成功したような、悪質な微笑みだ。 「そこのあんた、ちょっと待つです」  泉が声をかけると、その青年はビクッと肩を震わせた。 「ぼ、ぼ、僕ですか」 「他に誰が?」  青年は素早いまばたきを繰り返し、落ち着きなくかかとを上下させる。 「な、何の用です」  青年の敵対心のにじむ眼差しに、泉はニヤリと笑った。 「盗ったモン出しな」 「はっ?」  青年の声が静かな劇場内にこだまする。係員が何事かと反応しかけたが、別の客に呼びとめられ、すぐには来なさそうだった。  さとはくりくりとした眼差しを泉に向けている。状況が分かってなさそうだ。泉はさとへの説明も兼ねて発言する。 「あんた、さとちゃんのカード盗みましたね」 「な、何のことか」 「盗ったところ見てましたぜ」  泉が挑発的に目を細めると、青年はヒッと小さく悲鳴を上げた。本当は目撃しておらず鎌をかけただけだが、この作戦が成功したらしい。  青年はポストカードホルダーを両手で抱え、身を固くする。泉が首を横に倒して睨んでいると、彼は観念したように呟いた。 「……別にいいだろ」 「あ?」 「上映が終わるまで開けもしない。挙句その辺に放っておいて、僕が盗ってもまだボーっとしてる。そんな奴にレアカードはもったいない」 「だから盗んでいいとでも?」 「僕は全種類集めるために何度も映画館に足を運んだ。あとこのレアカードだけあればコンプリートだ。僕がもらったほうが圧倒的にいい」 「ゴミカス一点集中ヤロウが」  泉と青年は怒りを向けあう。  だが当事者のさとは、以外にものんびりとしたままだった。 「あのー」 「さとちゃんも文句言ってやんな」 「そのカード、あげますよ」 「……は」  泉はさとを二度見した。しかしさとはポヤッとした表情のまま、まん丸の目でふたりと見つめている。 「キラキラなの綺麗だなって思いましたけど。とってもほしいって言うなら、私そのカードあなたにあげます」  さとがニッコリと微笑むと、青年は異物を見るような目でさとを見た。 「何で」 「でも勝手に取ったのはやだなって思うので。そうだ、交換こしましょう」 「え?」 「あなたが今日もらったカードと、私がもらったカード。交換こすれば、どっちもハッピーになりますね」  さとは屈託のない笑顔を見せる。青年もぎこちないながらに笑みを浮かべる。  しかし、泉がそれに納得しない。 「駄目ですよ、さとちゃん」 「ほえ?」 「こっちはレアカードなんです。お兄さんのコレクション、全部こっちに渡すなら許してやってもいいですよ。……この映画だけじゃない。あんたのカードホルダーに入ってるやつ、全部です」 「いや、これは」  青年は両手でカードホルダーを胸に抱える。泉は意地悪そうに口角を上げた。 「さっさとよこしな」 「これは……その」  さとが声を発する。 「あの、泉さん。私、1枚と1枚の交換がいいかなって思うのですが」 「駄目です。レアリティが違えんで」 「うーん、でも、私のは1枚」 「いいから」  泉が強く主張すると、さとは純粋そうな目で泉を見た。 「泉さんはそれがいいって思うんですね」 「そりゃな」 「じゃあ、そうします。だって、泉さんがそうするって言うんですし」  さとはいつものように微笑んだ。しかし、泉は妙な引っかかりを覚える。 「あんた、本当に分かってます?」 「はい。泉さんが正しいって言ってるから、正しいんですよね」  泉は一瞬、さとは皮肉を言ってるのかと思った。泉が妙にかたくななので、嫌味を言ったのだと考えた。  だが泉はすぐにその考えを否定した。さとは驚くほどのお人好しだ。人を疑うことをまったく知らない。  異様に素直な、聞き分けのよすぎる彼女は、何ひとつ疑う素振りを見せずに言っているのだ。 「泉さんが正しいというから、それは正しいってことなんですね」と。  泉の中に昔の思い出がよみがえる。幼い泉の態度を母親が声を荒らげて叱っている。どうして、と泉は尋ねる。しかし母親は理由を説明しない。ただとにかく、そうすべきだからそうするの、と繰りかえす。  あのときと、今と、一体何が違うのか。  泉はうつむき、首を左右に振る。 「……さとちゃんの言うことが正しいです」 「ほえ?」 「レアだの何だの、あたしが勝手にアタリハズレをジャッジすんのは間違いだ。大事なのはさとちゃんがどうしたいかですよね」 「私は、1枚と1枚を、交換こしたいなって思います」  さとに微笑みを向けられた青年は、気まずそうに下を向く。 「僕は……僕はただ……」  劇場を出たふたりは、近くの公園のベンチに並んで座っていた。  さとはポストカードホルダーをさまざまな角度から眺めている。 「……もらっちゃってよかったんでしょうか、これ」 「だと思いますよ」  さとはカードホルダーを開く。そこには例のキラキラと輝くカードが入っている。  結局、例の青年はレアカードをもらわなかった。それどころか、彼があれほど大事にしていたポストカードコレクションをすべてさとに譲ってしまった。  さとの態度に感化され、一からやり直すことに決めたらしい。 「あの野郎は手に入れるべきモンを手にしたんです」 「そうなんですかー。あ、そうだ」  そう言ってさとは、小さな紙袋を泉に手渡した。 「何です、これ」 「泉さんにあげたくて持ってきました」  中には小箱が入っていた。開けると、こげ茶色の丸い塊が数個入っていた。  街に飾られた装飾を思いだす。もうじき2月14日だ。だからきっとこれはチョコレート。見たところ手作りだ。  泉は困った顔になる。 「あたし、甘いの得意じゃねえんで……」 「大丈夫です。これ、カカオ多めです」 「手作りで? すげえ。あざっす」  泉は思いだしたように自分のかばんから小さな箱を取りだした。 「買ったやつですけど」 「嬉しいです!」  開けると、ハートや星など可愛らしい形のチョコレートが並んでいる。さとはその内ひとつが気になるらしい。 「りんご型チョコ可愛い」 「……明日世界が終わるとしても、今日も私はりんごの木を植える」  泉が脈絡なく呟いたので、さとは目をぱちくりさせた。 「ほへ?」 「映画にあったセリフです。さっきは意味分かんねえなって思ったんですけど、さとちゃんならやりそうだなと思いました」 「私もりんご大好きです」 「明日世界がぶっ壊れても植えます?」 「泉さんも一緒に植えてくれますか」 「あんたひとりでやってください」 「えー」 「あんたが植えた木を、あたしが守ってやってもいいですけど」  泉はツン、とそっぽを向く。さとは泉の膝の上のチョコをひとつ取り、泉の口に近づけた。 「泉さん。あーん」 「嫌です」 「あーん」 「やりませんよ、恥ずかしい」  さとはぷくっと頬を膨らませる。また唯々諾々に意見を飲むかと思いきや、何故か彼女はめげなかった。 「あーん」  さとはマイペースなのに、変なところで受動的だ。そのくせ、こうして強情な面も見せてくる。掴みどころのない子だと思う。  泉は頬を掻き、口を開けてみせた。さとは嬉しそうにチョコを放りこむ。濃くて、苦くて、それでいて少しフルーティーだ。 「りんご?」 「隠し味です」  そう言ってさとは自分も口を開けてみせた。泉にも同じことをしてほしいらしい。  彼女の口にりんご型のチョコを入れる。  泉の人差し指が、さとの唇に触れた。彼女の唇はしっとりとして柔らかい。乾燥した季節には不釣り合いなみずみずしさだ。  さとは目を細め、美味しそうにチョコレートを頬張っている。  泉もさとからもらったチョコレートをもうひとつ指先でつまみ、口に入れた。  泉の人差し指が、泉の唇にそっと触れた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加