千里

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 義母が私を敦子と呼びだしたのは集落の短い秋が終わる頃だ。 「え?」  戸惑う私にため息をつき、「え?じゃないでしょう。敦子ちゃんたら庭にあんなに草が生えてるのに」と。  寝起きで髪を振り乱したままの彼女に私は何て返したのだろう。  反射的に「すいません」とでも言ったのか。  覚えていないのは「いよいよきた」という不安が強かったせいだ。  敦子が夫の前妻の名前だということは知っていた。彼女と義母の折り合いが悪く、そのせいで離婚したことも。  五年前に認知症と診断された義母は、少しずついろんなものを失っていた。記憶も意識も彼女の海をよるべなく漂っては混濁していく。私や私の名前もとうとうその流れに乗ってしまったのだ。  昨日、義母自身が枯れ草ばかりの晩秋の庭を片付けたばかりなのに、それなりに穏やかに過ごした私との年月より敦子さんがいたいつかの夏の方が義母の目には鮮明に映る。  それはある程度の覚悟を持っていたにも関わらず、少なくないショックを私に与えた。  
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