敦子

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敦子

 幼名という風習がこの村特有のものだと知った時に感じたのは、単純な好奇心だ。  例えば近代までの武家にはそういうことがあったらしいけど、こんな雪深い山間の村に武士がいたはずもないし、近くの村にもそんな話はない。  幼名を名乗るのは雪の怪から身を守るため。村人なら誰でも知っている話だけど、十歳を過ぎた頃から、私は素直にそれを受け入れなくなっていた。  「ホマレは難しいことが好きだね」とか「せっかく美人なのに理屈をこねる女は可愛げがない」とか、周りには散々言われたけれど、気になるんだから仕方がない。  浴びせられたお小言も調べるのに夢中になってしまえば気にならなかった。  はっきりしたことはわからなかったけれど、私の推測では、村の人々のいう雪の怪とは、雪そのものだと思う。  雪は身近だけど、とても怖い存在だから。一度吹雪いてしまえばどんなに慣れた道でも東西南北を失ってしまうし、何日も降り続けば山へ狩りにも行けず死活問題に繋がる。  とはいえ、その恐怖を退ける手段として幼名があるというのは意味がわからない。  私が導き出した結論は幼名とはいわゆる迷信のひとつ、というありふれたもの。  例えば、山神は女だから狩りに女がいると嫉妬して獲物をとらせてくれない、とか、天気雨の日は狐が嫁入りしている、とか。根拠がわからないけれどまことしやかに流布するもの、そういったものの中のこの村だけに通じる迷信が幼名なんじゃないだろうか。  もちろん、そう結論づけたところで周りに喧伝はしない。春に町への進学が決まっている私はともかく、残った父や兄弟たちの暮らしを思えば村の秩序に波風は立てるべきじゃない。誰が困るわけでもないし、村が幼名を使いたければ使えばいいのだ。  私だって漢字の名前に憧れてはいたけどホマレが嫌だったわけではないし、もうすぐ十五歳で好きな名前になるし、いずれにせよ関係がない。  でも今は後悔している。  長年受け継がれてきた風習を迷信と侮った自分の愚かさを。  私との別れを思ってめそめそ泣く末の妹に「敦子」という名前を気軽に教えてしまった浅はかさを。
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