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おまけ お伽草子
家族についての様子がちらっと見える作品に気がついてしまったので、一旦完結しておきながら、追記してしまう。
読み手のセンサーが変わると、既読の作品からも新たな発見があるものだ。
結婚後、太宰は安定して作品を生み出せていたとされる。
この時、子はまだ2人だったようだ。
しかも!この頃は太宰は、まだ自宅で作品を書けていたのか、と思った。
しかも!ちゃんと父親として娘の面倒をみているじゃないか(涙)
息子は2歳とあるが、この時点ではまだ妻が背負って対応可能だったのだろう。
子が2人なら、夫婦で手分けして、なんとかなっていた。
3人目が生まれ、成長して楽になっているはずの息子が障害で手がかかり続ける状況により手が足りなくなり、家庭崩壊が始まったとすると、前ページで最大4年と書いたが、最大2年だな。
いや、2年だって、「思ってたんと違う」2年は十分しんどい。
ここで、桜桃の冒頭を読み返す。
乳飲子でなければ、ぶっちゃけテキトーに子守りなんてできちゃう。桜桃時点で、7歳と4歳。7歳のお姉ちゃんの世話を手抜きすることだってできただろう。昭和時代なんて、幼稚園児でも大抵一人で外に出歩いていたものだ。4歳の息子だって、多動で目が離せないならともかく、そうじゃない。少しくらいほったらかせただろう。
だが、太宰はそうすることができなかったのだ。下男のごとく、子に尽くしている。とても優しく、そして真面目すぎたのだ。
側から見たらちょっとしか頑張ってないようなことを大きく書いてる可能性だってあるが、本人には下男のように感じていたのなら仕方ない。人のキャパは皆ちがう。
顔は笑って、面白いことをいいつつ、苦しんでいたという太宰は、おそらく「嫌なヤツと思われたくない」という恐怖心からの周囲へのサービス精神の塊で、自分がこうあらねばならぬと考える在り方へ"過剰適応"していたのかもしれず、家庭でも、良い人、良い夫、良い父であろうと頑張りすぎた結果、心のバランスが取れなくなり、全てを放り出してしまった人生だったのかもしれない。
金持ちのボンボンに生まれ、そのせいでイヤなやつと思われたくなくて、サービス精神を発揮することにより、自己が抑圧され、その結果、自己顕示欲が首をもたげてしまい、芥川賞をせびるなどイヤなやつと思われてしまった人生でもあるかもしれない。切ない。
頑張りすぎた結果のダメンズを、責めることはできないなぁ。世の中には頑張らないままダメンズとしての自身を肯定しながら生きながらえてるヤツばかりじゃないか。(私を含む)
そして、根底には、幼少期に母に愛されたかった思いがあるような気がしてならない。
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