俺は世界の舞台でふるふる卵に切れ目を入れる

1/1
20人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ

俺は世界の舞台でふるふる卵に切れ目を入れる

 チキンと玉ねぎ、にんじんをバターで炒め、ほかほかのご飯を入れる。そこに、くつくつと温めた濃厚デミグラスソースとケチャップを調合したソースをじゅうっと絡めていく。フライパンを上下に振って、具材を宙に上げ、落とさないように返してキャッチする。上下に何度か振ったあとは、左右にも同じように振る。俺のフライパンの中で、親父のチキンライスが踊るように出来上がっていく。 「いい! いいよ左我士くん! 上手!」  ポジティブを受け継いだ仁音さんは俺をひたすら鼓舞しながら、卵の準備をする。三個割って、味付けは少しの塩だけだ。  出来上がったチキンライスを楕円の型に入れ、お皿の上でそのまま置く。俺は必死で、緊張のせいなのか照明のせいなのか、とにかく暑い。  卵をかき混ぜる仁音さんに、俺は助けを求めた。 「ふるふるオムレツはやっぱり作れるかわからない」 「大丈夫、私が隣で指示するから!」  あのオムレツが出来なければ、我が店の黄金ふわとろオムライスは完成しない。卵が肝といっていい。  俺は額の汗を腕で拭って、卵用フライパンの前に立ち、仁音さんから菜箸を受け取った。  そこに、テレビカメラが近づいて来た。ふわとろが輝く工程を見逃すまいと、前屈みになってフライパンに迫るカメラマン。  俺の心臓は限界を超えて、もはや諦めの境地に立った。  ええい、やるしかない!  じゅっと卵を全量フライパンに流し、手早くフライパンを前後に振りながら菜箸で休みなくくるくるとかき混ぜる。外側から火が通ってくると、フライパンを傾けながら少しずつ剥がして中へ中へと包んでいく。 「そうそう! とんとん、叩いて、丸く包んで!」  横で仁音さんが熱く支えてくれる。躊躇っている暇はない。熱が入る程、卵を固まらせてしまうのだ。俺はもう、無我夢中でやった。幼い頃から見て来た親父の料理。ただただ、その記憶とDNAをこの腕に注ぎ込んだ。 「いいんじゃない!」  仁音さんのGOサインを聞いて、さっと火から下ろし、フライパンをしなやかに上下させて、卵を少しずつ返し、ふるふると綺麗に丸く包んでいく。そうして出来上がった卵を、チキンライスの元へ運ぶ。型を外したチキンライスは、行儀よく卵が乗るのを待ってくれた。そこへころんと、オムレツ卵を乗せる。  カメラが俺の手をじっと追う。  絶品チキンライスの上に鎮座する、ふるふるのオムレツ。  湯気でさえも、尊くきらきらと輝きながら立ち上る。  意識の遠くで、司会者の盛り上がった声が微かに聞こえた。  カメラマンが息を殺す。  俺は、震える手で、ふるふる卵にナイフの先を置いた。  すっ──……。  ひと思いにきっかり中央一直線、ナイフを引いた。  すると俺の入れた切れ目から、ふわふわとろとろの魅惑の卵が幸せの雪崩を起こし、まるで親が子の頭を撫でるように優しく、チキンライスを覆った。  しん、とスクリーンに釘付けになっていた大観衆の、大きな拍手や歓声、指笛の音が耳に届く。そのどよめきの中で、俺は安堵に震えながら仕上げのデミグラスソースをかけ、パセリを振った。 *** 「おう亜紀、来てたのか。左我士、繁盛してるな!」  親父が相変わらずのポジティブを押し出しながら来店して来て、白い歯を光らせて常連おじさんの隣に座った。  隅の方で母さんもオムライスを頬張っている。 「ああ、おかげ様で」  『全国オムライスグランプリ優勝』のトロフィー。  『世界ホームメイドミールグランプリ特別賞』のトロフィー。  店に飾った歴代の輝かしい名誉達。  俺はフライパンを振りながら、トロフィーの隣をちらりと見やった。  あの日から数年で店主となった俺は今も、小さな勇気のどんぐりを小瓶に入れて飾っている。 <完>
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!