ニートな俺(21歳)

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ニートな俺(21歳)

 親父が営む町の洋食店は、ある時オムライスを改良して、濃厚デミグラスソースの黄金ふわとろオムライスに変身するや、それが大ヒット。地道に、着実にファンを増やしていった。  とにかくポジティブでチャレンジ精神旺盛な親父は、俺が中学二年の頃、全国オムライスグランプリとかいう大会に出てグランプリを勝ち取った。  それから店は一層大繁盛して、テレビや雑誌に出ることも増えた。毎日店は忙しくて、店の二階にある家で親父と過ごす時間はほとんどなくなった。それでも親父は俺が朝、学校に行く支度の途中でも、学校帰りでも何でも、俺を見かけると白い歯をきらりと光らせて、「おう、左我士(さがし)! 手伝ってくれ!」と、笑顔を向けてきた。  小学生の頃までは、店のキッチンにいる親父にくっついて、包丁さばきや、肉や野菜をじゅっと炒めるフライパンさばき、くるくる、とんとんと手早く見事に作り出されるオムレツをじっと観察しては、「俺にも貸して!」と目を輝かせたものだ。  開店前や、お客さんが少ない頃なんかは、「おう、やってみろ!」と、親父は俺にかまってくれた。  ……と、俺は不採用通知メールを眺めて昔のことを思い出した。 「なんか、もういっかな……」  パソコンを見るのをやめて、両手を頭の上で組んでどさりとベッドにもたれた。  友達と同じだからって理由で一応入った大学は、二年生になった夏で辞めた。ふらふらアルバイトを転々とした後、何となく義務感で就職活動もしてみたけど、さっぱりだ。  親父の店が有名になって、忙しくなって、俺たち家族、特に母さんは親父に対して心の溝を深めていった。そんな母さんの態度をよそに、親父はいつも白い歯をきらりと光らせて、「ようし、今日もお客さんが待ってる!」とか言っていた。俺が高校生の時、ついに母さんの中で何かが切れた。親父が若い女性グルメブロガーとカラオケオールをしたことがきっかけだった。「左我士はお父さんの跡継がなくたっていいからね」と言い残して、出て行った。  母さんと親父は今も離婚はしていないが、それからずっと別居だ。その頃から俺は、親父への不満のようなものが募っていったように思う。 「左我士はいいよな、親父さんの店継ぐんだろ?」  友達は皆、口を揃えてそう言った。 「湯目(ゆめ)は、やはり調理師専門学校へ進むのか?」  担任は目を輝かせてそう言った。  高校生の俺には夢とか、やりたい事とか、特に持てなかった。ただ、『親父の跡を継ぐ』のが嫌だった。担任は驚いていたが、進路相談はのらりくらりと乗りきって、友達が受けると言った大学を一緒に受けて入学した。入学してから何かやりたい事に出会うかと思ったが、俺にはわくわくするものがなく、ただ身の入らない授業に出て、友達とぷらぷら遊ぶ毎日が退屈でたまらなかった。 「俺達、このTOEIC特別講座の年間コース受けようと思うんだけど、湯目もどうだ?」  二年に上がった春、いつも一緒に遊んでいる友達から誘われた。  その時俺の中で、何かがぐらりと崩れ落ちた。  こいつら、いつもぷらぷら遊んで、俺と同じようなもんだと思ってたのに、将来のことちゃんと考えてたんだ……。  俺は「ああ、考えとくよ」と返事をして、翌日から授業に行かなくなった。  店はいつだって行列を作る程、繁盛していた。  親父は家でも、店の前でも何でも、俺を見かけると、「おう、左我士! いるなら手伝ってくれ!」と笑顔を向けた。おっさんのくせに元気で、底抜けに明るい。「大学はどうした」とか、「元気がないんじゃないか」とか、一言も聞かれなかった。眩し過ぎる活気が、俺には鬱陶しかった。俺は親父にふいっと背を向けて部屋に籠るようになったのだった。 「はぁ……わっかんね……」  天井に吐き出した無力な独り言は、虚しく散るだけ。  人生の路頭に迷い、俺は完全にニートになった。
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