Toccare(トッカータ:即興曲)

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 俺は将来を有望視される新進ピアニストだった。  しかしそれはもう過ぎた日の夢。  ある日俺は事故でその可能性を失った。  事故以来、俺の指が、手が、震え、  勝手に飛び跳ねるようになったのだ!  絶望的だ!  もう生きる希望も色あせてしまった。  俺は失意のどん底でのたうっていた。  ある日、病院に行くため地下鉄に乗っていた。  その日の診断の結果によっては、もうこの世とはオサラバしようと思っていた。  シートに座っている間も、俺の指は膝の上で踊っていた。  隣の座席の男が俺の指をじっと見つめていた。  そんなに見ないでくれ・・・・・・  指は勝手に動き回り、隠すこともできない。  と、  男は足元の鞄から何かを取り出した。  それは平べったい長方形をしていた。  男はそれをそっと俺の膝の上に滑り込ませてきた。  次の瞬間!  車内に美しいメロディが流れ始めた。  乗客は動きを止めた。  人々は会話を止めた。  皆そのメロディに聞き入っていた。  男が俺の膝の上に置いたモノ、  それは卓上用のコンパクトピアノだった。  鍵盤の上を俺の指が跳ね回っていた。  曲が終わった。  車内に大きな拍手が沸き起こった。  その一年後、  俺は“謎のトッカータ作曲家”として  世界に名を馳せていた。 (完)
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