17人が本棚に入れています
本棚に追加
髪には白いものが混じり、目元には深い皺が刻まれている。
癌で入院したころの歳格好だ。でも、表情は活き活きしていて、同棲していたときのように若々しい。
波子は脱いだローブを丁重に老人に渡した。
どうして、あんな恰好で自分を追いかけたりしたのか、わけがわからない。
それでも、再会できた喜びに、思わず駆けだして彼岸へ戻っていきそうになる。
そのとき、もう一度靄が押し寄せてきた。
すべてが光の粒に包まれ、すっかり見えなくなる。
風がますます強まってきて渦を巻く。
足元が持っていかれそうになって、思わず叫ぶ。
「うああああ!」
自分のものとは思えない声が、また聞こえてきた。
いや、これは――。
凪人ではない。赤ん坊の泣き声だ。
産声のような力強い叫び。
生きたい、生きろという気持ちがはっきりと伝わってきた。
「ちょっと月詠、鈿音をあやして」
耳のそばで長女の照麻の大きな声が聞こえてきた。
「姉さんの大声のせいで泣いているのに」
これは次女の月詠だ。
凪人はゆっくりとまぶたを開いた。
殺風景な白い天井が目に映る。
蛍光灯を遮って、照麻の顔がのぞきこんできた。
「父さんの目が――目が開いてる!」
確かに、赤ん坊よりもやかましい声だ。
ぼんやりと凪人は思った。
まだ意識がもうろうとしている。
「ナースコール――いえ、ナースステーションから看護師を連れて来て!」
ばたばた音をたてて部屋を出ていくのは照麻の夫の建史だ。
最初のコメントを投稿しよう!