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「でも、流れで答えるくらい、いいんじゃないんですか?」
課長の言葉に腹が立つ。美香も黙って小さく頷いてから、
「私もそう思うけど、会社って、そういうものなんだよね。特に、私はまだ新入りだし。まぁ、ケースバイケースだけど」
「……」
「少なくても、教材の選び方のことは、専門の担当部署があるんだから、そこに任せる。それがうちの方針だからって」
「融通利かないんですね」
「そうね。でも……融通って、利かせた方がいいケースと、そうじゃないケースって、あるんだよ……」
「……そうなんですか?」
社会人1年目の直人には、分かるようで分からない話だ。
何となく腑に落ちないでいると、美香が、
「杉田さんも、だんだん分かってくるよ」
空気を変えるように言ってから、続けて、
「そうそう、杉田さんって、早稲田なんですって?」
思い出した、というように訊いてきた。
「そうです。一応、4年で卒業できました」
「一応?」
変な言い回しの直人を、きょとんとした目で見ている。
「いや、ホント危なかったんです。単位ギリギリだったんですよ。あと1つ足りなかったら、僕、今ごろまだ高田馬場にいますよ」
「ははは。おもしろい」
彼女が、右手にカップを持ったまま、左手を口に当てて笑う。
「倉澤さんは、どちらの出身なんですか?」
「私、慶応です」
「えーっ、そうなんですか?」
中途ということもあってか、彼女の出身校の情報は聞いていなかった。
「それなら、早慶戦、観に行きました?」
春と秋に、神宮球場で開催される、東京六大学野球のリーグ戦だ。
「もちろん!毎回行ってましたよ、慶早戦」
最後の『慶早戦』というところを、強調して言う。
「慶早戦?」
聞き慣れない言葉に、今度は直人がきょとんとする。美香は笑って、
「そう。慶大生は、みんな慶早戦って言うんだよ」
「へぇ。初めて聞きました」
「そう?わりと有名だよ」
「いえ。知らなかったです。でも、早慶戦って言う方が、語呂がいいですよね?」
「いいえ。そんなことないです。慶早戦の方がシックリきます」
そこで2人は、一瞬顔を見つめ合ってから、ハハハと声を出して笑った。
そして、彼女は残りのコーヒーを飲み干し、腕時計に目をやると、
「あっ、いけない。急ぎの仕事があるんだ!」
慌てて立ち上がり、急いでもう一杯のインスタントコーヒーを淹れると、
「じゃ、もうひと頑張りだね!」
小さく手を振って、席に戻っていった。
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