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恋に落ちた瞬間のことを、直人は今でもよく憶えている。
20年前の10月1日。
当時22歳の直人は、大卒の新人だった。
寝坊して、9時ギリギリに滑り込んだ職場は、ちょうど朝礼が始まったところだった。
「まず今朝は、新しい仲間を紹介します」
と切り出した部長の言葉に続いて、隣に立っていた、小柄で髪の長い制服姿の女性が、挨拶を始めた。
「倉澤美香と申します。この業界は初めてで……」
透明感のあるソプラノボイス。ほのかな笑顔に大きめのメガネ。
「……ご指導、よろしくお願いします」
彼女は最後、そう結んで丁寧にお辞儀をした。
謙虚さと落ち着き。その中にも、可憐さが漂う立ち姿……。
ひと目惚れ、ひと耳惚れだった。
それからの直人は、自分がまだ入社半年の新人ということも忘れ、美香の役に立つことに一生懸命になった。
たとえば、コピー用紙が4箱納入された時。
美香が率先して席を立ち、重たい箱を持ち上げようとするのを見るや、弾かれたように席を立ち、
「倉澤さん、僕やりますよ!」
と駆け寄った。
「えっ、いいですよ。こういうのって、新人の役目でしょ?」
かがみかけた腰を伸ばした美香が、直人に笑みを向ける。
自分のことを新人と言って、彼女は、年下の直人にまで態度が丁寧だ。
「いえ、僕も新人なんで」
「あっ、そっか。そうでしたね。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「はい。力だけはあるんで」
「でも、私にも持たせてください。ここでは私の方が新米ですから」
美香はそう言って、直人に向けたメガネの奥の目を細め、
「さ、運びましょ!」
「はい」
一緒に腰を落として、1箱ずつ持ち上げる。
箱にかかった彼女の長い髪が、サラサラと滑り落ちる。微かにいい香りがした。
2人で2往復。棚に仕舞い終えた彼女が、色白の頬を少し上気させながら、
「よし。おしまい!」
パンパンと手を払う。
「倉澤さん、お疲れ様でした!」
「ありがとうございます。助かりました。やっぱ手伝ってもらって良かったです」
笑顔の中に、ぱぁっと白い歯を見せ、席に戻っていった。
その数日後には……。
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