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「だから今後、俺の作品と信仰心を否定するような言動だけは慎め。それさえ守れば俺は他人に敵意を向けたりしない。怒りはもっとも神経を摩耗させる面倒な感情だからな」 同時刻。土曜の夜とあり馴染みのレストランはいつもより混雑しているが、オーナーのはからいによりヒースはいつ訪れても特別な席に案内される。余計なことを口走りやすい自分たちには、周囲に他の客がいないこの席は実にありがたいとジェイクは思った。そして案の定ヒースは酒を飲むなりくだらない文句を垂れてきたが、どうやら彼はオフィスで「不浄」呼ばわりされたことを、いまだに根に持っていたようだった。 「呼び出されたのは、遠い昔の失言を蒸し返して説教するためだったのか……」 ジェイクがこの贅沢な席にそぐわないシラけた顔でつぶやく。 「違う。お前が月曜から金曜まで一貫して俺の誘いを断るから、それなら土曜はどうかと提案しただけだ。そしたら腹を空かしたお前がシケたツラでまんまとやって来たんだろ。それに今のは説教ではなくただの忠告だ」 アーミーを置き去りにして帰宅し携帯の電源を入れると、アーミーの最後の着信から1時間後にヒースからの着信履歴が残されていた。何事かと思いかけ直すと「お前に恋人は?」と唐突に問われ、いないと答えると「それなら今夜はなんの予定もなく自宅の部屋にひとりでいるはずだ」と返され、大きくうねった食事の誘いと強引な約束を取り付けられたのだ。 「悪意があって断ってたんじゃありませんよ。僕にだっていろいろ……プライベートな用事が……」 「恋人も友達もいないお前に?」 「失礼な、友達くらいいますよ」 「案ずるな、この業界にいればいくらでも薄っぺらい友達は作れる。深く付き合う必要のない便利で手軽な友人ばかりだ。遊びの内容によって誘う相手も細かく仕分けられるぞ」 「何言ってるんですか……。それに友達がいないのは社長の方でしょう。ジャレットさんにボロクソに言われてたくせに」 「作る必要があるならもっと人に好かれる努力をしてる」 「へ?……あ、ああ……そうでしょうね」 「今は余計なことに気を回している余裕はないんだ。俺は仕事と人間関係、どちらか一方にしか集中できない。昔からそうだ。そしていつも人間の方を犠牲にしてきた」 「なるほど。まあ、どっちも器用にはできませんもんね」 ジェイクは彼の意外な返答に少しだけ調子を狂わされた。だがふたたび説教を垂れられるよりはマシだ。そして再燃することのないように話題を変えるため、思いきってこう尋ねた。 「恋人も作らないのですか?」 ヒースはグラスを傾けていたが、ジェイクの問いを反芻するようにしばらく黙ると、それを片手に持ったままわずかに目線を下げ、「……恋人か」と小さくつぶやいた。 「友達とは違うでしょう。友達よりもエネルギーが必要な存在だけど、好きだからそれを苦とは思わない。困難を乗り切るためには不可欠な存在でもあると思います」 「お前にそんなことが理解できているのか」 「こう見えても過去にそういう人がいたことはありますからね」 「どんな奴だった」 「え……?えっと……」 好きではあったけど、その像を言葉で表すとなると、的確な答えが浮かばなかった。話したくない部分もある。 「僕のことを好きでいてくれた……ってことしか出てきません」 我ながらトンチンカンな答えだ。具体例がどうしても出てこず、あまりにも曖昧で陳腐である。だがヒースはどういうわけかそれを馬鹿にはしなかった。鼻で笑うと思ったのに、表情を変えずじっと瞳を見つめられる。 「家族のように愛されたのか?」 「家族……うーん、親子とか兄弟とは違う気がしますけど、でも無理やり当てはめるのなら夫婦というのが近いのかな。だってセックスもするんだし。僕のことを大切にしてくれるから、僕も大切に思っていました。ただそれだけです。どんな人だったのかなんてうまくは言えません」 「なぜ別れた?」 またしても言葉に詰まる。 「それは……」 それはもっとも答えたくない部分であった。 「その人に別の好きな人ができたから……です」 視線を泳がせながら小声で答える。インターンの面接前夜よりもずっと気が重かった。だがヒースは畳み掛けるようにこう尋ねた。 「それであっさり終わりにしたのか」 「……だって、他の人を好きになられちゃったらどうしようもないですもん」 「勝てない相手だったんだろ」 ギクリとする。 「浮気なら恋人よりも劣った相手と出来るが、恋人を振るとなるとそれはハナから浮気心じゃない。お前の女はどんな男に取られたんだ?」 「そんなこと聞いてどうするんです?」 「どうもしないが知りたいだけだ」 「もう思い出したくもない。特にこんな贅沢な食事を前にして、不味くなるような話はやめましょう」 「俺の誘いさえ断らなければいつでも食わせてやるぞ」 「……けっこうです」 「つれないことを言うなよ。俺なりにお前のことを可愛がってやってるんだ」 その言葉に、ジェイクが少しだけ口を尖らせる。文句を言いたいのだろうが出てこないのだ。 「お前の過去をとやかく言うつもりはないが、単純な興味を持つくらいは構わんだろう?何も親を目の前で失った奴に、そのときの状況を事細かに聞き出しているわけじゃない。俺だってそれくらいの思慮はある。だが、昔の女のことを聞くくらいどうってこたない。女が死んだわけじゃなければな」 「……女、女と言ってますけど、僕を捨てたのは男です」 言おうかどうか悩んだが、思い切って切り出した。 「……ほう?男に捨てられたのか。男が男の元へ去っていったと?」 「いえ。勝てない相手の元です」 「どんな」 「彼は僕に気を使ってバイセクシャルと言ってましたが、ほんとうは普通の男のように女の方が好きでした。だから僕との付き合いにやがて限界を感じ、胸が大きいわけでも飛び抜けて美人なわけでもない、赤毛でそばかすだらけのどこにでもいる普通の女の子を選んだのです」 「赤毛は油断ならない手合いが多いぞ。わざわざブロンドに染める奴はもっと危険だ」 「へえ、覚えておきます。今となっちゃどうでもいいことだけど」 「そいつは赤毛女がいいのに何故お前をたぶらかした?」 「気の迷いでしょう。でも、僕を好きでいてくれたことは本当ですよ。それだけはわかるんです。だから余計につらかった。男の僕がどれだけ彼を愛していたって、彼の好きな料理をぜんぶ覚えたって、女の人を前にした本能みたいなものには抗えないし、勝てない。セックスのときに彼の眼に映るのは、骨ばった身体の真っ平らな胸と、彼と同じようにぶら下がった物体です。彼が性欲のない病気だったならもう少し長く続けられたかもしれませんけど、それでもモヤモヤしたものは拭いきれなかったと思います」 「モヤモヤしながら何度もお前にペニスをブチ込み、何にも考えずに腰を振り、気持ちよく果てていたわけだ」 「よくそんな下品なこと言えますね」 「俺にはペニスの良さはわからんが、男を抱く悦びはよく知ってる」 「……は?」 「俺の前にはペニスの有無など関係ない。俺に抱かれる奴らはすべて、俺にとってのかわいいメスだと思ってる」 「変態なんですか?」 「バカ言うな」 「社長はバイセクシャルだったのか……」 「そう言われるたびにいつも思うんだが、男にも女にも平等にペニスを突っ込むだけなのに、わざわざ両刀という枠に組み込まれなくてはならんのか?」 「男も女もどっちも抱けるということがひとつの性的嗜好なんですよ」 「性別にこだわりがないだけだ。誰でもいいというわけじゃないぞ」 「じゃあどんな人が良いんです?」 「後腐れのない奴」 「……本当は恋人もいたこと無いんでしょう」 「言い方を変えよう。俺が振ってもお前のように恨んだり引きずったりしない奴だ」 「あなたは生き方を変えるべきです」 「弟に100回言われたセリフだ」 「101回目の今日で変えてください」 ヒースが口元をゆがめ鼻で笑った。いやな笑いだ。だがジェイクにはわかる。彼はいま「楽しい」のだと。 「……それから、返せないものを返せと迫る奴もイヤだな。考えナシで与えたくせに、後で惜しくなるような愚かな奴。時間を戻せというのとおんなじだ」 また、ぞくりとなる。この男はどうしてこんな目をするのだろう。すべての人間をはねつけるような瞳なのに、羽虫のように吸い込まれそうになる。あのオフィスに残っている者はマゾヒストというわけではなく、この目つきに興奮する特殊な性癖を持った変態の集まりなんじゃないだろうか。 「……それが人間というものです。もっと人の気持ちに寄り添えるようにならないと」 「ベラと同じこと言うんだな」 「僕もジャレットさんも編集長も、なぜあなたに同じことを言うかわかります?」 「なぜ?」 「欠落人間のあなたのことが好きだからですよ」
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