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ジャレットとアーミーとジェイクは、それぞれの日曜をぼんやりと過ごした。ジャレットは昨夜のアーミーの思わぬ告白をどう受け止めるべきか悶々とし、アーミーもそのときのことを思い起こしている。ジェイクはヒースに募らせていた小さな慕情のようなものを、妙な話の流れでつい明かしてしまった。それぞれの土曜夜の余韻が、昼を過ぎても消えることなく尾を引いている。
「来週また雑誌の取材が入っていてね。ドラマの俳優たちとの対談風景をそこかしこから撮られるそうだ」
ジャレットはザックが研究所から持ってきた、様々な人物のあらゆる表情が複数のマスに収められた大きな1枚の紙を壁に留め、先ほどから熱心に眺めている。左上から順に各々の心情を探り当てるという、これまでの学習の総まとめであるテストのようなものをしていた。
これは定期的に行われるが、ザックは彼の集中力をわざと散漫にさせるため、テストのときは横からいつも無関係な話題を振ってくる。この荒技ともいえる方式のおかげか、ジャレットの集中力と「眼力」はめきめきと伸びており、ここまですべて正解し、顔写真も残すところあと2人分だ。ザックは研究所の所員たちにも同じ方式で訓練をさせている。
「あのヤマネコくんを撮影に使っていいかと編集者に尋ねたら、メーカーに問い合わせてわざわざ許可をもらってくれたようだ。衣装にも厳格な決まりがあるから、スタイリストのつかない私でも着用するものはいちいち厳しいチェックを受ける。無事に同じ写真に収めてもらえることになって嬉しいよ。結婚指輪をはめなくなって久しいが、代わりに燦然とあらわれた高価な2頭のヤマネコたち……。娘たちは勘がいいから、その雑誌のことは黙ってるつもりだ」
「あなたが黙っていても雑誌は宣伝の広告を打つんですから、いずれ知ることになりますよ。何で教えてくれなかったのってあとで責められるに決まってる。もう隠し事をせず、これを機に僕のことを彼女たちに紹介してくださってもいいんですよ。……15番の方は……軽蔑。瞳で過去のビジョンを探り、片側だけ歪んだ口元にその人への心情が表れている。目の前の人に対してでなく、過去に自分が出会った人の悪口を話しているところですね」
「正解。……君というすばらしい人物を紹介するのはまったく問題ないが、関係については嘘をつくことになるな。もし妻と私の離婚が成立し、互いに別の伴侶があったとしても、娘たちは自分の父親が男とセックスをしているということまでは、きっと受け止めきれない」
「最後、16番は親愛だ。あえて仏頂面のモデルを使いましたね。でもこれだけはすでにわかってました」
「……正解だが、その根拠は?」
「……それが残念ながらわかりません。ただ何となくです」
「ふむ。最後だから引っかけ問題かと警戒して悩まれるのを期待してるのに、うちの所員は素直に正解する者が多いんだ。それもほとんどの正解者が君と同じことを言う。なぜだと思う?」
「なぜ?うーん……」
「わからないか?では逆に、この表情を理解できないのはどういう人物に多いと思う?」
「理解できない人物……親愛の表情を……ああわかった、えっと、こういう顔を今まで向けられなかった人です。つまり……こういう表情を知らないということは……たとえば、親に愛されなかった人……とか」
「そう。サン・ノウルズで10代から収監されている囚人を対象に実験を行った結果、対象者9人の全員が不正解だった。このモデルでなく、彼らの母親くらいの女性の同じ表情を見せても、まったく見当違いの答えを出した。何かを企んでいるとか、嫌いな奴が死んだという知らせを聞いたとか、すなわち慈愛の眼差しが彼らには悪意に映るんだ。すると、君がなぜすぐに正解できたかわかるな?」
「ぬくぬくと恵まれた生き方をしてきたから、ということですね」
「そうだ」
ザックが16番のモデルの表情について、なぜ親愛であるのか、その根拠と分析法をつぶさに教えた。どれだけ表情の乏しい者でも、精神病質でない健常な人間である限りは、必ずその顔にはそれぞれの特徴をともなった心情が明確に示されるのだ。
だがなぜジャレットがこの顔だけをすぐに見抜けたのかと言えば、まさしくこれまでのアーミーが自分に向けてきた表情と重なったからである。今までは特に意識していなかったのに、昨夜の告白を受けたせいで、彼の自分に対する人懐こさの理由が一気に「この表情」につながったのだ。
だからこそ、このモデルの心情がごく自然に、かつ明瞭に映されたのだと言える。アーミーはモデルよりも表情豊かではあるが、奥手で控えめなところがあるから、もしかしたら本来は人一倍読み取りづらい男なのかもしれない。だが自分に向ける顔は、いつだってわかりやすい好意的な眼差しなのだ。
その次は静止画から動画に切り替え、モニターの中のモデルたちの会話風景から心情を分析するテストをした。7人分あったが、ジャレットはこれもすべて正解した。他の職員よりずっと多く生徒たちと接してきた、日々の親密な交流の賜物であろう。だがそもそもジャレットは、あらゆる人々とすぐに打ち解けられる社交的な性質であった。周囲にクセ者が多いのは、彼がそういう者たちとも上手く心を通わせることができるからだ。泣き虫で人見知りでいじめられてばかりだった子供の頃とは大いにかけ離れている。いつからこうなったのかは分からないが、半分は兄のおかげであると思っていた。兄の助力というわけではなく、こうなってはいけないという反面教師的な意味でだ。
「もう私の助けはいらないようだ。いずれ君が教師を辞めて、同じ研究所を立ち上げたりしないことを祈るまでだな」
「僕がそんな面倒なことするわけないでしょう。でもこの先たくさんの人と関わっていく上で必要な知識なんです」
ジャレットは思った。なぜあの16番のモデルを見たときに、すぐとなりにいるザックの顔が重ならなかったのか。彼が何を考えているのかわかるのは、わざわざ彼の難解な表情を分析しているからではない。週末だけの関係でも、紛うことなき特別な存在であるからだ。触れ合うのが当たり前の関係を長く積み重ねてきたからこそ、彼の思考パターンなど夫婦のようにとっくに把握している。もちろんお互いにだ。
それでも、写真の親愛の色にはアーミーの面影を見たのだ。7つも8つも年下の生徒がいたずらに発しただけのような軽い言葉に、まだしつこく囚われているというのだろうか。だがあのパーティーの夜、女生徒たちが自分に向けて放ってきた同じように軽はずみな親愛の言葉よりも、ずっと重く響いたことは確かだ。響いたとは、どういうことなのだろう。ひとりの学生としか見ていなかったせいで、突然の告白には当然動揺したし困惑もした。だが実はもっと心の奥底を刺激されていたかのように、後になってじわじわと彼の言葉が効いてきたのだ。
「……夕方を過ぎたら、また土曜まで待たなくちゃいけないのか」
ジャレットがつぶやくと、「待てるさ」とザックが壁から剥がした紙を丸めながら返した。
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