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「先生、何か考えごとしてます?」 ジャレットに問われ、ハッと我にかえる。 「君の兄さんのことを考えていた。彼が私たちのことを嗅ぎつけたら、いったい私はどんな裁きを受けるのだろうとね」 正直に明かすと、ジャレットは「ああ……」と苦笑した。 「2年も気付かれてないんですから平気ですよ。彼は目ざといけど、ひとつのことにしか集中できないんです。あの業界でデビューしてからはずっと仕事にしか目を向けてません。恋愛もおろそかにしてばかりです」 「君に対してはそうとは思えない偏愛ぶりだ」 「まあ確かに……この歳まであの過干渉が続くとは思いませんでした。でもたぶん死ぬまで治らないと思うから、諦めてます」 「結婚を考える相手ができたら、君は心を鬼にして彼から離れなくてはならない」 「そのつもりです。いい歳をした兄弟が子供のようにべったりしてるのは、やっぱり異常ですから」 「子供というより……」 「男女のよう?」 「……うむ」 「はあ。ときどきそんな気分になります。彼の奥さんになったかのようなね」 「せめて親友までにとどめておくべきだ。大人なんだから世話を焼かなくていい」 「はーい」 気の抜けるような返事をして、両腕をからめるとギュッと力を込めた。 「……でも先生になら、何でもしてあげたくなる」 「頼りない男で悪かったな」 「頼りない人が好きです。シャンとしてるのは外だけでいい。……兄さんも変だけど、僕も元からなんです」 「変とは思わんさ」 寒空の下を10分歩き、ジャレットの借りているアパートにたどり着く。玄関を閉めるとすぐに、外ではできないようなキスをした。 そしてまっすぐ寝室に向かい、コートもシャツもベッドの下に散らかしたまま、ふたりは1週間ぶりの肉体に溺れ合い、つながったまま何度も深いキスをした。 ジャレットは淡白なのかあまり積極的に求めてこないが、ザックはしたくなるのだ。男の身勝手な部分だと思うが、捕らえて喰らいたいという本能が強く残っている。 ジャレットと、40も後半になったこの中年男との年齢差は、両の手では到底足りないほど開いている。ジャレットはこのひねくれてくたびれた中年が好きだった。本人は自覚していないが、性格が兄とよく似ており、扱いやすいのも理由のひとつだ。兄ほど自惚れ屋ではないが、彼も自身の才能に確固たる自信を持ち、飄々とこなしているように見えても仕事に対して一切手を抜かない。 そういう男にどうにも惹かれてしまうのかもしれない。親友のアラン・ローレンスだって、これも本人は認めないだろうが、兄やザックと似た系統の男である。そしていずれも少し不器用で、なおかつ「隙」のある男だ。人にはそう見えなくとも、ジャレットには分かる。硬い彼らの心の、ほんのわずかなやわらかい部分に惹きつけられてしまう。 ジャレットは母校の大学にて教授の補佐をするかたわら、空いた時間は発表会に向けての論文制作や研究に費やしている。社会心理学を専門としていたが、ザックと出会ってからはプロファイリングについても深く取り組むようになった。 専攻する分野のせいか、あるいはジャレット自身の砕けた性質ゆえか、まるでカウンセラーのように、ときどき学生からプライベートや恋愛の相談を受けることもある。特に最近は同性愛についての悩みがようだ。たいていは思い込みや若気の至りであることが多い。 しかし「どうすれば同性の恋人と家族になれるのか」と深刻な面持ちで問われると、ジャレットも同じように腕を組んで頭を悩ませてしまう。カンタンに答えは出ない。それどころか自分でも同じ悩みを抱えている。だが、彼らのようにそれを明かすことはない。 「先生、もしこのまま奥様と別れることになったとしたら、僕と一緒に暮らしてくれますか?」 裸のまま寄り添うジャレットが、コーヒーでも飲みますか?と聞くかのような口ぶりで尋ねる。ザックは吸っていたタバコの煙にむせて咳き込んだ。ジャレットはいつもふたりの関係を深刻にはとらえていない。だから「ザックの恋愛観」などあっさり飛び越えてくる。 「な、……何だね急に」 「そういえば聞いたことないなあ、と思って」 「私は君にとって都合のいい男でありたいだけだ」 「あー、またそんな曖昧なこと言って、ずるずるごまかすんだ」 「わかった、じゃあハッキリ言おう。君と暮らすことはない」 「え……何故です?娘さんがいるから?」 「違う。私は君と今の関係のまま終わりたいんだ。今がちょうどいい。理想的な不倫関係と言える」 「なるほど。……いずれ奥様のもとに戻りたいのですね」 「少し違う。戻れるなら戻ってもいいが、戻れるとは思っていない。こういう言い方は君に悪いが、私は君と恋人でいる方が楽しい。ただそれだけだ。結婚したら同じことを繰り返す。私は家族を愛しているが、家庭に向いてない。ローレンスさんにも言われたよ。そのとおりだと思ってる」 「だから僕に他の恋人ができたら、あっさり手放すって言ったんですか。虚しいなあ」 「こういうバカげたことを言わない人間を選ぶんだ。私たちはお互いに都合のいい関係さ」 「はあ、僕に相談をしてくる悩み多き学生たちに会わせてあげたい。あなたのようにきれいごとを言えない残酷な大人の方が、彼らのためになります」 「それじゃあ次は、実体験を基にした恋愛の指南書でも出すとしよう」 「売れませんよ」 ジャレットがためいきを吐く。これ以上うるさいことを言い出さぬよう、その口元に吸いさしのタバコをくわえさせた。ザックは内心焦っている。このままダラダラと今の関係を続け、ほどよいところで終わりたいと願っているからだ。明日フラれても後悔はない。常に捨てられる覚悟はできている。 「……僕のことを捨てる勇気がないだけなんですね」 タバコをくわえながら言われ、またしてもギクリとなった。心の内を見透かされている。この青年はいつもおっとりとして朗らかだが、ときどき冬の寒気のように鋭い眼差しを向けてくる。そこだけが妻と似ていた。だがそれだけ言うとタバコを消し、いつもの柔和な表情に戻って、「あなたのウソをつかないところが好きです」とキスをした。 「もうつかなくなっただけさ。だが正直でいる方が人に嫌われやすくなった。好いてくれる君は不思議だ」 ジャレットの胸に顔をうずめ、その身体を抱きしめ返す。ずるいと言われようが、この青年の言うとおり彼を捨てる勇気は到底ない。
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