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「わざわざいいのに、迎えに行くぐらい大したことじゃない」 金曜日。さんざん迷った挙句、アーミーは勇気を振り絞ってジャレットを「このあいだのお礼」という名目で誘い、ふたりは仕事終わりに落ち合った。この1週間は互いに顔を合わせることはなかったが、アーミーの近況はSNSを介して一方的に把握している。彼はジェイクと仲直りをしたのか、ライブで他の友人たちと集まったその中央にふたりが並んで映った写真を昨夜アップしていたので、ジャレットはひそやかに安堵した。 「いえ、俺には命の恩人のようなものですから」 本当は先生にお会いしたかったんです、と言ったら、彼はまた複雑な顔をするだろう。だからこれは一方的なデートだ。 「……でも、何でヘビを見に?」 アーミーは近所に住む爬虫類マニアのリックという男に頼み、ジャレットを招いて彼の「種類別コレクションルーム」のひとつを見学させてもらったのだ。その部屋にはところせましとヘビの飼育ケースが並び、大小様々の世界中のヘビたちが一堂に会して、見慣れぬ客人に舌なめずりするように細い舌をチロチロと見せつけて歓迎してくれた。 「先生が毒ヘビの研究をなさってると、風の噂で耳にしたので……」 「ええ?そんな噂どこから?」 「違うんですか?」 「生物の研究をしたのは、ボーイスカウト時代の野鳥観察以来かな」 「え?……な、なんだ、てっきり……」 「でもリックのコレクション、なかなか興味深かった。おもしろかったよ。僕もヘビは嫌いじゃない」 「そ、それならよかった……お嫌いだったら、ただの嫌がらせをするところとだった」 だがアーミーは何かを思い出すと、「ああ……」と嘆息しひたいに手を当てた。 「どうした?」 「俺、先生にプレゼントを買ったんです」 「え、それもお礼?」 「ええ」 「そこまでしてもらわなくても。……けどありがとう」 「でも……これ」 おずおずと差し出された、銀色の細いリボンで封じられた黒い紙製のケースを受け取る。ジャレットがいそいそと中を開けると、うねうねと波打つ2対の銀製のカフスが入っていた。 「ヘビ……」 「愛好家だと思ってたので……」 「い、いいのかいこんな立派なもの?ただ送り届けただけだぞ」 「そんな重いプレゼントじゃありませんから心配なさらず。知り合いがシルバー細工の店をやってるんで、そこで安く買ったんです」 「いろんな知り合いがいるんだな」 「知り合いというか、リックの兄さんなんですけど」 「あ、そーなんだ……。でもすごい、細かくうろこまで刻んであるぞ。嬉しいよ、使わせてもらうね」 「よく考えたら、先生にヘビってあんまり合わないなあ」 「そんなことないよ、なんか油断ならない感じがしていいじゃないか。それにカフスはなかなか自分で買うことなかったから、欲しいと思ってたんだ」 指先でつまみ上げ、照明にかざして眺める。だがヘビよりも、光を受けたジャレットの瞳の方がずっと美しく輝いて見えた。 「なんか悪いなあ、こんなモノまでもらっちゃって」 「俺がしたくてしたんです」 「ありがとう」 「……先生」 ダメだとわかっているのに、その愛おしい顔を間近で見ると、やはり恋心はもくもくと肥大していく。だがジャレットはアーミーのグラスにワインを注いでやると、「そういえばお兄さんは結婚するんだね」と、空気を断ち切るように話題を切り替えた。 「……ええ。夏に入籍する予定みたいです」 「そうか、おめでとう。こないだの食事会の写真で見たけど、綺麗な人だった。彼女は、仕事は何を?」 「不動産に勤めてます。お母さんの会社だそうですよ」 「へえ、社長令嬢だ。君の兄さんなかなかやるな」 「彼がアパートを借りるときに知り合ったんです。担当が彼女だったみたいで、兄の一目惚れです」 「あれだけ綺麗ならそうだろうな」 するとアーミーは「そういえば」と切り出し、仕事用のカバンをごそごそと漁ると、ある本をテーブルに置いた。 「この本の方、ご存知ですか?」 目の前に置かれたのは、ジャレットの部屋の本棚にも並べられたよく知った本である。どう反応するべきか迷ったが、アーミーにはこの動揺も見破られまいと、ごく自然なリアクションを装った。 「……うん。ザック・ウォルツ。知ってるよ。彼が何か?」 「あの食事会の日に、僕、この博士と会ったんですよ」 「え?」 無論、著名な人物と鉢合わせたことへの驚きではない。ジャレットはこのふたりの対面など予想だにしていなかったし、彼はなぜそのことを教えてくれなかったのだろう?とも思った。 「というか、どうやらサン・ノウルズで知らぬ間にお会いしていたみたいなんです。お仕事であの刑務所に通っているみたいで……彼、僕の顔をチラリと見かけただけなのに覚えていてくれて、それであの店で話しかけてくれたんです」 チラリと、というのはザックの嘘であろう。ジャレットの心にはあの日の罪悪感がよみがえった。置き去りにされて打ちひしがれるアーミーの映像を、ふたりでさんざん笑ったのだ。 「……そうなんだ。すごい偶然もあるもんだ」 「本当に驚きました。ドラマは見てますけど彼の顔はよく知らないから、話しかけてもらえなければ気づくことはありませんでした。この本の近影よりもずっと渋くて、そのまんまドラマの主演になってもいいような素敵な人でしたよ」 「へえ」 ジャレットが思わずニヤリと笑った。だがザックとはすでに「面識がある」というのを言い出すタイミングを逃し、どうしたもんかと悶々とする。するとアーミーがこう続けた。 「それであの置き去り事件の顛末をお話ししたのですが、先生に迎えに来てもらったと言ったら、彼に言われたんです。あなたは先生のことをとても尊敬しているようだって」 「……僕?」 「僕が先生のことを語る表情でお分かりになったみたいです。僕の顔に親愛の情が浮かんでいる、って。……ドラマとおんなじような博士の分析を目の前で、しかも自分の表情を見抜かれたんですよ。感激しました」 どう答えたものかと悩み、「へえ、そりゃすごい」というつまらない相槌しかできなかった。それよりもジャレットはさらに困惑している。ザックはなぜ、アーミーに「親愛」などと言ったのだろう。いくらただの解析とはいえ、この青年の気持ちを焚き付け、後押しするかのようなよけいなセリフを、どうしてわざわざ?それにどうやら彼は、アーミーが自分に向ける感情をしっかりと把握しているようだ。どういう感情かと言えば、あの日、車の中で彼が自分に打ち明けた気持ちである。 金曜の夜。土曜夜にザックと訪れるような店と違い、アーミーの選んだ店は賑やかで華やかだ。ジャズの生演奏は無いが、DJブースが備えられている。客層も若く、パッと見渡した限りでは、まるであのシェアハウスでのパーティーのようだった。かしましく、派手な色彩に溢れ、酒に酔わなければ少しうるさい。先ほどからこちらをチラチラとうかがう女だけのグループや、それらを先にゲットしようと飛び込んでいく軍人らしき男たちのグループ、垢抜けない女を必死に口説く芋くさい男、その脇のカウンターでじっと見つめ合うブロンドの女と、赤毛の男。 おんなじ若者と、おんなじ男女ばかりの空間。アーミーと自分との隔たりは、まさしくこういった店のチョイスではっきりと感じられる。けれど自分は、こういう店も嫌いじゃない。なぜならザックと出会うまでは、こういうところばかりを選んで週末を過ごしていたのだから。 恋を得て、失ったものがある。だがそれはもう2度と戻らないものではない。目の前の男は、今も自分を「親愛」の眼差しで見つめているのだろうか。そして自分はいま、彼をどのように見つめているのだろう。 「人の心をのぞき見れたら、って子供のころはよく思ってましたけど、大人になるにつれそれが怖いことになっていく。だから博士は強い人だと思います」 「強い?……うん、そうかもな」 「成長するにつれ我慢や譲歩を知っていったはずなのに、自分に都合のいい答えしか受け取ろうとしないところは、いつまでも変わらない」 「自分のなかで譲れないものは、永遠に変わらないってことさ」 「なるほど……。先生、今の俺の顔を見て、心の内を読めます?」 「君の顔……うーん、そうだなあ……俺はこの店にいる誰よりもハンサムだ、って顔してるかな」 するとアーミーが小さくかぶりを振りながら目を伏せて笑い、少しいたずらな眼差しをしてもう一度ジャレットを見つめた。 「教えてくれ。……僕は博士じゃない」 ジャレットは、自分がいまどういう顔をしているのか、分からなかった。そしてアーミーが静かに言った。 「……先生が、俺の家に来てくれたらいいな、って考えてます」
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