21人が本棚に入れています
本棚に追加
「思っていたよりはどれも悪くない」
退勤後、ヒースに連れられ彼のなじみだというデザイナーのアトリエに連れて行かれると、ジェイクは着せ替え人形のように様々の服をまとわされ、もう2時間近くああでもないこうでもないとやられていた。
「あんた、自分のオンナみたいに取っ替え引っ替えしたはいいけど、この子に着させたの全部引き取ってくれるんでしょうね?!倉庫から引っ張り出してくるの大変だったんだから、元に戻せなんて言ったら承知しないわよ!おまけにもうこんな時間だし!」
いやにひょろ長い体型にバレリーナのごとくシャンとした姿勢で、厚い黒ブチのメガネをかけたこの神経質そうな男が、この数々の服のデザイナーであるブランドンだ。
「いくつか要らないのもあるが、まあいい、それは弟にやろう。こいつの絶望的な色のセンスに我慢ならなくてな。赤の他人ならまだしも1日中オフィスで目に入るんだ。あやうく発狂するところだった」
「絶望的で悪かったですね。はー、疲れた。お腹減った」
「ここからならカーライルホテルが近いな」
「まあ~学生のくせにいいご身分ね。社長にたーっくさんお洋服買ってもらって、高級レストランで美味しいお料理をいただいて。うらやましい週末ですこと」
「はあ……そりゃどうも。ブランドンさんもご一緒にどうです」
「なんだ、俺とふたりじゃ息が詰まるとでも?」
「いえ、めっそうもない」
「あたしは遠慮しとくわ。息が詰まるから」
「ずいぶんな嫌われようだ」
「あんたのことも嫌いだし、これから展示会の準備があんのよ」
「そうか、働き者だな。……なあブランドン、生きている限り5月は何度でもやってくるし、お前よりヒステリックなベラ・ハワードだって、来年には両刀の俺よりオールドファッションなカマ野郎に心移りをするかもしれないぜ。だからそう俺ばかりを恨むなよ」
意地の悪い顔で笑うヒースを、ブランドンはメガネの奥のとげとげしい眼差しでにらみつけた。彼は5月のショーの選考に漏れたのだ。だが、誰からもこのようにトゲトゲしい顔を向けられることにすっかり慣れきっているヒースは、どこ吹く風で支払いを済ませ、買い取った服をブランドンの従えるスタッフたちに駐車場まで運ばせると、颯爽とオフィスを後にした。後部座席は衣装の山になった。
「あの……ありがとうございます」
「不本意なのは分かるが、しばらくのあいだお前の服はその山の中から選べ。今持っている服はすべて捨てるか誰かに譲れ」
「ブランドンさんにあんなこと言って、大丈夫なんですか?」
「さあな。だがアイツは昔っからああやってカリカリしてるから、機嫌を取ろうと気を使ってやるだけムダだ」
「友達なんですか?」
「友達などと思ったことはない。大学時代からの腐れ縁だ」
「ふうん……」
ホテルのレストランは週末とあり満席であったが、創業者の令嬢クリスティアナの友人であることが幸いしてか、高層階にある会員制の特別室に通され、そのままレストランの食事を運んでもらえることとなった。
ここはパーティールームとして使用されることも多く、今日はちょうどVIP向けに開放されていたとあり、テレビや広告で目にする旬な顔ぶれが、室内のプールやテラスにちらほらと見受けられた。グラミーでそれぞれ賞を獲得した女のラッパーやイギリス人のR&Bミュージシャン、また最近ハリウッドにも進出し、春からアクションゲームのドラマ版の主演を務める若手俳優、そしてそれらの遊び相手かと思われる有名な下着メーカーのモデルたちや、あらゆるメゾンで引っ張りだこの男のモデルたちなどだ。つまりは皆この世の春の渦中にあり、きらめきと若さに満ち溢れた者たちであった。
「ただの夕食で、ずいぶん面倒な部屋に通されたもんだな」
プールの脇を通り抜けて螺旋階段を上り、室内と窓の向こうの夜景を一望できる、ひっそりとした暗がりの席に掛けた。給仕にシャンパンを注がれ、乾杯をする。面倒な部屋というより、ただの夕食にいったいいくらかけるのかと、ジェイクは半ば呆れていた。すると別のボーイが階段を登ってきて、「失礼します。ミスター・フォックス、ちょっと」と、まるでマフィアの下っ端がボスに事態の急変を告げるかのように、ヒースにそっと耳打ちした。漏れ聞こえる名前を聞くに、目ざとくヒースを見つけたモデルたちからの酒の誘いであろう。
「それなら、挨拶だけしてこよう」
「彼らの方からこちらにお見えになるかと思いますが」
「いやいい、俺から行く」
「ではご案内します」
「待ってろ。一杯やってすぐに戻る」
「料理が冷める前に帰ってきてくださいね」
そう言うとヒースは、なぜかほんの少しだけ微笑んで席を立った。
「……どこにいても落ち着かない人だ」
仕事が忙しいせいか、月曜と金曜をひたすらに反復している気分だ。先週末は疲れて眠り倒してしまったが、この週末もそうなるような気がしてならない。今よりずっとタフにならなくては、この先まともに休日も楽しめなくなりそうだ。
螺旋階段の下、青く光るプールサイドで、カクテルグラスを片手に立ち話をするヒースを見下ろす。モデルの群れに混ざっていても見劣りしないが、もうその輝きを感じられないのは、こうしてプライベートな時間まで彼に付き従うようになったせいだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!