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私が廊下に出たときには、真澄はすでに階段を下っていて、一階へと姿が消えるところだった。後を追って昇降口へ出ると、真澄は内側から施錠を外し、昇降口のドアを開いていた。
「倉田先生、こっちです!」
真澄の声に誘導されて倉田先生が走ってくるが、すんでのところで足を縺れさせて転んだ。
と、こちらへ向かって歩いてきていた雄大さんの様子が変わった。スコップを肩に担ぎ上げ、猛烈な勢いで走ってくる。その速度は、陸上のトップ選手をも超えているように感じられた。人間業ではない。
危機感を覚え、私はすぐさま真澄の元へと走り寄った。真澄が倉田先生を校舎の中へ引きずり込んだ瞬間に昇降口のドアを閉めて鍵をかけると、一拍も置かずに大きな衝撃音が響き渡る。
こちらへと走ってきていた雄大さんが、昇降口のドアに激突したのだ。ドアは軋みをあげたが、持ち堪えた。ドアに嵌め込まれたガラス越しに、こちらを観察している雄大さんと目が合う。
「助かった。ありがとう、大和」
「いや、真澄の対応が早かったからだ」
こめかみから冷や汗を垂らしている真澄に礼を言われ、雄大さんの感情のない眼差しにゾッとしながらも、私は軽く首を振る。
「ああ。もうこれで入ってはこれ……」
タイルにへたり込んだ倉田先生が私たちに続くように安堵の声を上げかけると、外の雄大さんは、担いだスコップを振りかぶった。そのまま盛大な音を立てながら、スコップの先端をガラスに打ち付けはじめる。
「ヒッ、ヒィッ!」
倉田先生の声は、すぐさま悲鳴へと変わる。
幸いなことに、ドアに嵌め込まれているのは防犯ガラスのようだ。すぐさま割れてしまうことはなかったが、一度の殴打でヒビが入る。
「ここを破られるのも時間の問題だ。予定どおり図書室に立て篭もるぞ。倉田先生、二階に行きましょう」
真澄がそう声をかけながら倉田先生の体を引き上げ、彼に肩を貸して歩きだす。
だが、私はその場に立ち尽くした。倉田先生の姿を見ると、自分の体の中に正体のわからない黒い靄のようなものが立ち込めてくるような感覚がして。
静まり返っていた校舎の中に、雄大さんがスコップをガラスに打ち付ける音だけが断続的に響いている。
「大和、しっかりしろ! はやく戻るぞ」
「あ、ああ……」
振り返った真澄に声をかけられ、私はやたらと重く感じる足を動かして階段を上る。ホゥロも、相変わらず黙って私のあとに続く。
図書室に戻ると、迎え入れてくれた妙子さんが倉田先生の姿を見て、目を見開いた。
「倉田先生、怪我をされたのですか。ああ、どうしましょう、真澄」
口元を両手で抑え、おろおろしはじめた妙子さんの言葉に、私もそこでようやく倉田先生の姿の異変に気がつく。図書室の明かりの下で見た倉田先生の服には、背中側を中心にして派手に血飛沫が飛んでいた。
しかし、当の倉田先生は慌てた様子で首を振った。
「あ、いや。僕は、怪我はしていないよ。大丈夫だ、心配をかけてすまないね」
「そうなのですか? では、その血はどうされたのです」
妙子さんが問いかけると、倉田先生は表情を暗くする。背後で、真澄が図書室の引き戸を閉め、鍵をかけた。そのまま図書室の電気を消す。
「話は奥でしましょう。隠れていれば、まだしばらく時間が稼げると思いますから」
真澄に促され、全員で図書室の奥へと移動する。倉庫から出した段ボールは、俺とホゥロが積み重ねて放置したままになっている。窓のない倉庫の電気はつけっぱなしにしていたので、そこから光が漏れてきていた。
本棚の影に隠れるようにして、全員で身を寄せ合うようにして床に座り込む。倉田先生は、低めた声で話しはじめた。
「いったいなにが起こったのか、僕にもよくわからないんだ。しかし、外はひどい有様だよ。言葉にすると馬鹿らしいが、ゾンビ映画のよう……とでも言えばいいのか」
「ゾンビ映画って、どういうことなんです?」
眉を寄せて不安げにしている妙子さんが問いかける。
「あの正体不明のサイレンが鳴ってから、多くの住民がおかしくなってしまったんだ。包丁だのスコップだの、凶器を持って襲いかかってきた。真澄くんと大和くんは、雄大さんの様子を見ただろう? なにかに怒っているとか、誰かに恨みがあるとかいう話じゃない。化け物にでも憑かれたようで、まともじゃないんだ」
問いかけられ、実際に雄大さんの姿を間近で見た私と真澄は頷く。『化け物に憑かれたよう』という言葉は、ある意味では正しいが、ある意味では間違っている。陰の民が体に入っているが、すでに本人は死んでいるのだ。
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