あなたの空に届け

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第19章   芳樹は同期の中では確かに光っていた。でも、同い年の彼にはそんなに興味があるわけではなかった。私はその会社の5つ年上の先輩と付き合っていた。彼には会社のことから始まって、日常生活に至る色々なことを教えてもらった。一人娘だった私は両親からは甘やかされていたので、彼のおかげで会社でもどこでも恥をかくことがなくなった。 その彼が急にニューヨーク支社に転勤になった。私は当然彼に一緒に来てくれと言われるものだとばかり思っていたのに、彼は別の女性を選んだ。その女性は彼の大学の同級生だった。私より綺麗じゃないし、私より粗雑な感じがした。私はその人のどこがいいのかわからなかった。私は痛烈な敗北感を感じて、それからかなり落ち込んだ。  そんな時に芳樹のお母さんが危篤だという知らせを受けた。私は今の自分の悲しい気持ちが、彼の悲しい気持ちと同調したように感じた。それで同期という建前で彼のお母さんの病室を訪れた。 ところが彼のお母さんを見た瞬間、この悲しみに満ちた場面にこそ自分が入り込める場所があるということだった。そして今の自分こそ、その場所に最も相応しい存在だと確信したのだった。今の私の悲しみは、彼と彼のお父さんの悲しみに溶け合うことで、私が悲しんだ意味が成り立つような気がした。だから私は愛する女性を前に悲しむ二人の男性に自然に同化出来た。そしてそれは自分にとっても心地よい場所だった。 二人に愛される女性は最期に私の手を握り、そして宜しくお願いしますと言った。私はその瞬間に彼女からその二人の男性に愛される存在を引き継がれた気持ちがした。自分がいなくなった後、あの二人の男たちに愛されるのはあなただと、そう告げられたような気がした。  それで私はそうなるべく努力をした。芳樹を愛するように努めた。そしてそう思うとそれが普通のことになった。私はいつしか芳樹を愛するようになっていた。それから彼の父親にも好かれようと努力をした。するとそちらにも受け入れられるようになった。そして一度そういう関係が構築されると、私も彼の父親が好きになった。  私は彼女が言ったように、見事に彼らから愛される存在になった。彼の父親は私と彼が結婚することを望んでいた。それは私にも十分に伝わって来た。でも彼はどうだろう。彼は私を好きだと言うだろうか。結婚してくれと言うだろうか。   第20章   僕は美緒の顔を見ると、この子の将来を、その人生を僕が奪ってしまうのではないかといつも思った。人は人を好きになって、それで付き合って、それで一緒になれば、それで終わりだろうか。人が人を求めるのは自然なことだとしても、それが終わりではない。それが始まりなのだ。  美緒にはこれから先、何十年もの彼女の人生が続いている。その人生に僕が大きく関与したとしても、僕の人生を美緒が送るのではない。美緒の人生は彼女の自由な心が決定して行くのだ。美緒の人生がもし僕と一緒に歩むのだと決定されているとしても、どう歩むかまでは決まってなどいないのだ。 美緒の夢は医者になることだった。その夢の実現の邪魔になりたくはない、なってはいけないと思った。そうすると果たして美緒とこのままの付き合いを続けるべきだろうかと思った。美緒の為に僕は彼女と離れるべきなのではないのかと思った。 僕にとって美緒はとても大切な人だった。美緒と一緒にいると、本当に心が休まった。しかし、その為に美緒の人生を取り上げてしまっていいのだろうか。そんなはずはない、そんな傲慢なことが許されるはずがないと思った。 「どうして、私と付き合ってるの?」  まだ付き合い始めた頃、美緒が僕にそう尋ねたことがあった。 「一緒にいて、心が休まる」 「それだけ?」  美緒が笑った。 「じゃあ、美緒はどうして?」 「私に知らない世界を教えてくれるから」  そう、僕は美緒にとって、「道を説く」存在だった。そうであれば、僕は美緒が進むべき道を示してあげなくてはいけない。 「美緒、医者になりなよ」 「え?」 「医者になったらいいよ」 「うん。でも、無理」 「どうして?」 「だって、無理だもの」  あの時僕はそれで黙ってしまったが、僕の役目は頑なな美緒の気持ちを解いて、そして彼女の進むべき道先を照らしてあげなくてはいけなかったのだ。
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