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札束を売らない
もし、河井繁を知らないというのなら、SNSの検索窓にその名を打ち込んでみるといい。大会で優勝したデッキリストが、たくさん出てくるはずだから。だけどその日付を見ると、おおよそが4年前のものであることに気付くだろう。
その理由を知る者は少ない。が、それはともかく、輝かしい来歴をまとった彼のデッキを鞄にいれて、河井奈緒はカードショップ『こおり観ず』に向かっていた。それは繁の持っていた最後のデッキであり、カードだった。
査定の結果、ついた値段は約4万円だった。値のつかないカードもあった。兄に電話をかけると「ほかの店でも査定をしてもらって、一番高いところで売ってくれ」とのことだった。
デッキは札束だ。何千何万円のカードの集積だ。そう、繁は嘯いていた。しかし査定額は、到底「札束」と言えるものではなかった。
この地域にあるカードショップを次々に回る。どこも似たような値段しかつかない。端数まで細かくメモに書いていく。
「これ、本当に売っていいの?」
買い取り手続きのための書類を記入していたとき、奈緒が持ち込んだデッキを確認していた店員が、横やりをいれてきた。
「ほしいカードがあるから売ってくれるのは嬉しいけど、こんなカンペキなデッキははじめて見るよ。もったいないって思っちゃうな」
「お前知らないのか? これ、ここら辺のカードショップで知る者はいないくらいだった、伝説のプレイヤーが作ったやつだよ。もう引退するらしくて、それを妹に売りにこさせたんだよ」
「伝説のプレイヤーって、だれです?」
「河井繁っていう子だよ」
それを聞いた若い店員は、マンガのようにのけぞってみせた。
「ええっ! マジですか! オレ、そのひとのデッキを参考にしてたんですよ。うわあ……これが河井繁のデッキかあ」
いままで、兄のカードを売りに行かされていた奈緒は、これに似たような反応を何度も見てきた。このカードゲームに思い入れはないながらも、みんなが絶賛する兄の宝物を売ることには、少なからず抵抗感があった。
あとは、署名をするだけだ――しかし、奈緒は、署名をしなかった。兄のデッキを鞄にいれて、お店をあとにした。
* * *
友達からお金を借りるなんてできない。金銭のやりとりをすれば、友達が友達でなくなるかもしれない。だけど、「46,300円」をすぐに用意しなければならない。兄に渡すために。
しかし中学生の奈緒には、大金を用意することなんてできない。売るのをやめたデッキを持って、家へと帰った。
「おい、金はどうした?」
「…………」
「カードは?」
「…………」
「おいおい、ひとの金を使ったんじゃないだろうな」
奈緒はなにも答えなかった。いや、なにを言えばいいのか分からなかったのだ。泣くことはできた。しかしここで泣いてしまうのは、禁じ手を使うようで躊躇われた。
なにもかも正直に言ってしまおう。そうこころに決めた奈緒は、こんなお願いをした。
「あのデッキ、わたしに頂戴」
「……は? なに言ってんの?」
「わたし、あのカードで遊びたい」
今度は繁が絶句する番だった。口をあんぐりと開けている。その視線の先には、いつもとは違い、なにか閃くものを眼の奥に持っている妹がいる。
「勝手にしろ……」
「じゃあ、いいの?」
「勝手にしろ、って言ってんだよ!」
バタンとドアを閉めた繁は、明日まで開催の限定ガチャに課金するための金の工面のために、頭を回転させた。
妹から金を取ってやろうかとも思った。しかしなぜか、妹のことを、ほんの少しだけ「愛しい」と感じてしまっている。
* * *
ドンと壁に枕が投げつけられた音に気付かず、奈緒はカードをカーペットの上に並べていた。ルールも分からなければ、遊んでくれる「同志」なんてひとりもいない。
それでも、この「46,300円」の価値のあるデッキで、カードショップに集う猛者たちをけちらしたいという気持ちでいた。
勝ちまくる兄に嫉妬して、徒党を組んで悪口を言っていた奴らに復讐をする――そんな決意を胸に、奈緒は、カードに書かれている能力を、じっくりと読みはじめた。
すると、ひとつのカードに眼が止まった。それは1枚しかデッキに入れられていなかった。その能力は、素人の奈緒からしても、「強力」であることは一目瞭然だった。きっと、このカードが一番高い値がついていることだろう。
そして、このカードが《切札》だと、奈緒は確信した。
[すべてのモンスターを破壊する。あなたは、破壊されたモンスターの数に「1」を足した数のライフを得る。これらの能力は、必ず実行されなければならない]
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