札束を売らない

1/1
前へ
/1ページ
次へ

札束を売らない

 もし、河井(かわい)(しげる)を知らないというのなら、SNSの検索窓にその名を打ち込んでみるといい。大会で優勝したデッキリストが、たくさん出てくるはずだから。だけどその日付を見ると、おおよそが4年前のものであることに気付くだろう。  その理由を知る者は少ない。が、それはともかく、輝かしい来歴をまとった彼のデッキを鞄にいれて、河井(かわい)奈緒(なお)はカードショップ『こおり観ず』に向かっていた。それは繁の持っていた最後のデッキであり、カードだった。  査定の結果、ついた値段は約4万円だった。値のつかないカードもあった。兄に電話をかけると「ほかの店でも査定をしてもらって、一番高いところで売ってくれ」とのことだった。  デッキは札束だ。何千何万円のカードの集積だ。そう、繁は(うそぶ)いていた。しかし査定額は、到底「札束」と言えるものではなかった。  この地域にあるカードショップを次々に回る。どこも似たような値段しかつかない。端数まで細かくメモに書いていく。 「これ、本当に売っていいの?」  買い取り手続きのための書類を記入していたとき、奈緒が持ち込んだデッキを確認していた店員が、横やりをいれてきた。 「ほしいカードがあるから売ってくれるのは嬉しいけど、こんななデッキははじめて見るよ。もったいないって思っちゃうな」 「お前知らないのか? これ、ここら辺のカードショップで知る者はいないくらいだった、伝説のプレイヤーが作ったやつだよ。もう引退するらしくて、それを妹に売りにこさせたんだよ」 「伝説のプレイヤーって、だれです?」 「河井繁っていう子だよ」  それを聞いた若い店員は、マンガのようにのけぞってみせた。 「ええっ! マジですか! オレ、そのひとのデッキを参考にしてたんですよ。うわあ……これが河井繁のデッキかあ」  いままで、兄のカードを売りに行かされていた奈緒は、これに似たような反応を何度も見てきた。このカードゲームに思い入れはないながらも、みんなが絶賛する兄の宝物を売ることには、少なからず抵抗感があった。  あとは、署名をするだけだ――しかし、奈緒は、署名をしなかった。兄のデッキを鞄にいれて、お店をあとにした。      *     *     *  友達からお金を借りるなんてできない。金銭のやりとりをすれば、友達が友達でなくなるかもしれない。だけど、「46,300円」をすぐに用意しなければならない。兄に渡すために。  しかし中学生の奈緒には、大金を用意することなんてできない。売るのをやめたデッキを持って、家へと帰った。 「おい、金はどうした?」 「…………」 「カードは?」 「…………」 「おいおい、ひとの金を使ったんじゃないだろうな」  奈緒はなにも答えなかった。いや、なにを言えばいいのか分からなかったのだ。泣くことはできた。しかしここで泣いてしまうのは、禁じ手を使うようで躊躇(ためら)われた。  なにもかも正直に言ってしまおう。そうこころに決めた奈緒は、こんなお願いをした。 「あのデッキ、わたしに頂戴(ちょうだい)」 「……は? なに言ってんの?」 「わたし、あのカードで遊びたい」  今度は繁が絶句する番だった。口をあんぐりと開けている。その視線の先には、いつもとは違い、なにか(ひらめ)くものを眼の奥に持っている妹がいる。 「勝手にしろ……」 「じゃあ、いいの?」 「勝手にしろ、って言ってんだよ!」  バタンとドアを閉めた繁は、明日まで開催の限定ガチャに課金するための金の工面のために、頭を回転させた。  妹から金を取ってやろうかとも思った。しかしなぜか、妹のことを、ほんの少しだけ「愛しい」と感じてしまっている。      *     *     *  ドンと壁に枕が投げつけられた音に気付かず、奈緒はカードをカーペットの上に並べていた。ルールも分からなければ、遊んでくれる「同志」なんてひとりもいない。  それでも、この「46,300円」の価値のあるデッキで、カードショップに集う猛者(もさ)たちをけちらしたいという気持ちでいた。  勝ちまくる兄に嫉妬して、徒党を組んで悪口を言っていた奴らに復讐をする――そんな決意を胸に、奈緒は、カードに書かれている能力を、じっくりと読みはじめた。  すると、ひとつのカードに眼が止まった。それは1枚しかデッキに入れられていなかった。その能力は、素人の奈緒からしても、「強力」であることは一目瞭然だった。きっと、このカードが一番高い値がついていることだろう。  そして、このカードが《切札》だと、奈緒は確信した。 [すべてのモンスターを破壊する。あなたは、破壊されたモンスターの数に「1」を足した数のライフを得る。これらの能力は、必ず実行されなければならない]
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加