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誕生日は嫌いになった。
2xx9年12月7日
今日は私の13回目の誕生日だ。
外では何も特別なことはなく誕生日だからと言って辛いことが無くなるわけでもなかった。私は今までプレゼントをもらったことがない。私はものが欲しいとは思わない。
みんながねだるものは皆意味のなにものに思えてしまう。
その考えは間違っているのだろうか。
生活に必要なものがあればその他のものはいらないものに思えてきて、お母さんからのお小遣いもただ溜まっている。
使わずにいるとお母さんは不思議そうな目で見てくる。
でも、嫌がったり差別をすることはない。
困ったりしていたことがあっても察して助け舟を出してくれる。
大好きなお母さん。
息をして、無駄に酸素を減らしている人にでも感謝を伝えることができてすごいなと思う。私だったら無理。
いらないものに思えてしまう。
価値のないものに思えて、不快感がたまらない。
きっと私は社会に出れない。
なぜ人は息をするのだろう。
なぜ人は愛すのだろう。
なぜ人はすぐに枠入れをしようとするのだろう。
疑問が疑問を読んでしまう。
なぜ?なぜ?と色々考えてしまうとみんなから変な視線を向きられる。
でも、お母さんはその考えは大事だと言ってくれた。
人は考えて思う生き物だたら考えなくなってしまった瞬間人は人で亡くなるらしい。
まだそのことはわからないけれど。
なんか感覚でわかる気がする。
些細なことも考える人が勉強を制すってどっかのドラマで言っていた気がする。
考えて、妄想するのは楽しい。
色々な物語があり、言葉や数字には美しさが詰まっていると思う。
そんなことを言ったらお母さんはむずがしい顔から途端に笑顔になった。
あと、小説を書いているおじさんは生意気と言って優しく頭を撫でた。
そんな幸せがいつまでも続くと本気で思っていた。
私の誕生日が来る前の日、お母さんは誰かと重い話題の話を夜中していた。
喉が渇き、水を飲もうと足を運んだ際に聞こえてしまった。
あんなにキレているお母さんは初めて見ることだった。
そんな夜が二、三日続いていた。
そして、誕生日当日になった日。
「お母さんから出張に行くことになってしまうけど、夕食前に帰ってくる」
と言われた。
楽しみにしていてね。
と後ろしがた越しに言われた。
その姿が私が最後に見た母の姿だった。
夜になり、一人寂しい時間が続いた。
珍しくおじさんもいなかった。
長い長い沈黙が続く中、破るように一本の電話がかかってきた。
お母さんは
しんだ。
お亡くなりになった。
いなくなった。
空に行った。
消えてしまった。
、、、、、、、、
そして私は、
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