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瓶の中で虫が鳴いた。昨日詰めたばかりの虫だ。
翅をふるわせて鳴き続けるのを捕まえて、もう何匹かも詰めてある。
最初の一匹の鳴き声に触発されでもしたかのように、他の虫たちも次々に鳴き始める。何をそれほど懸命に鳴くのかと問えば、ただ本能のためという答えがあろう。無論、虫たちが答えることはないのだが。
窓辺で書き物をしていた私は手を止め、虫の入った瓶を一つ持ち上げた。小瓶の中で小さな虫は、老いた私の目ではとらえ切れぬほどの細かな動きで翅をふるわせ、音を出していた。
死への準備のための書き物をするのに飽いて、私はそのまま小瓶を卓に置いた。いくつもある虫の小瓶を何個も並べ、月明かりのもとで眺める。
何日も前に詰めたものもいるはずで、エサを与えた憶えもない。だというのに虫たちは私に生を見せつけるかのように尚も鳴き続けている。
翅は硝子の瓶を割ることも出来そうなほどの音を出す。
私は並べていた虫の瓶を、中身の無くなった冷蔵庫の中に入れた。空だというのに電源を入れたままにしていたその家電の稼働音が、虫の音と重なるのを聞きたく思った。
冷気のこもる庫内に瓶を詰め終わる。中は虫たちの小瓶でいっぱいになった。どの瓶の中でも虫は必死に翅を動かしている。ぶぅぅんという低音を奏でる冷たい箱に閉じ込めて、私はそのままベッドに入って眠りについた。
夢の中、庫内からでも聞こえてくる虫の羽音と冷蔵庫の稼働音がいつまでも追ってくるのだった。
翌朝になっても冷蔵庫からは虫の鳴く音が聞こえていた。そんなこともあるものなのかと奇妙に思いながら冷蔵庫を開けてみれば、虫たちはすべて小瓶の中で死んでいた。
ただその体についていた翅だけが、本体の死とは無関係にふるえ続けて音を出している。
翅だけが生きている。
私は嬉しくなって、虫の死骸をそのままに、また冷蔵庫の戸を閉めた。
二重の音が耳を癒す。
その次の日も翅は鳴り続けていた。私は期待に満ちた心で、虫の小瓶と冷蔵庫内を整理した。
棚を外して中の空間を広くする。そこに虫の体から引きちぎった翅を散らした。それでも翅は尚もふるえて音を出しているので、私は胸の高鳴りを抑えられない。
服を脱いで全裸となると、私は冷蔵庫の中に自らの体をおさめた。
無数のふるえる翅たちが、私を包んで眠りに誘う。
庫内で何日を過ごしたのだろう。
目が覚めた時、私は巨大な翅持つ虫となっていた。
ごそりと冷蔵庫から這い出て翅をふるわす。すると焦がれていたあの虫の音が、私の身から奏でられるのだった。
ただ本能で翅を懸命にふるわせる命。私はそれになれたのだ。
古びた人の体はもうどこにも見あたらない。私は開け放たれた窓から身を乗り出して、巨大な体と翅で空へと飛び出した。
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