4.初デート

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4.初デート

 次の土曜日。  吏比斗は近隣の駅前まで出て、近くのバス停へと向かっていた。野垣が車をだしてくれるらしく、バス停近くで拾うからとそこで落ち合うこととなっていた。  休日の街中は、どこも学生や家族連れで賑わっていた。バス停の停留所からは少し離れた位置で、街路樹を背に吏比斗は待つこととする。スマホで時間を確認すると、待ち合わせの時間までまだ余裕があった。  このバス通りに車を停めるとなるとそう長く路上駐車もできないだろうから、先に吏比斗が到着していれば野垣も拾いやすいだろう。そんな思いから、今日は余裕を持って外出していた。  しばらく通り過ぎる往来を眺めていると、そんな吏比斗の前で見知らぬ若者が立ち止まった。 「君、いま時間いい?」  声をかけてきたのは、ひょろりと背の高い若者だった。髪は茶髪でふわっとしたパーマを当てている。まだずいぶんと若く、ぱっと見は小綺麗にしていて、美容師のようにも見えた。 「? …いえ」  それともキャッチだろうか。  とりあえず否定だけして男が去るのを待ったが、男は更に吏比斗の顔をまじまじと眺め入る。そして。 「君ってキレイだね! 近くでお茶でもどう?」  ナンパのようだった。吏比斗はとうに三十を越えていたが、私服を着ているとやはりどこか幼く見られる傾向があった。声をかけてきた側は学生に近いようにも見えるが、本人もまさか一回り近く年上の人間に声を掛けたなど思いもよらないだろう。 「…いや、連れが来ますので」  今度はハッキリと答えた。  男は「なんだぁ」と呟き、「残念」と溢した。こんな昼時に通りすがりの男性へと直球で声を掛けてくるなんて、今時の若者は凄いな…と、吏比斗は逆に驚いてしまった。  ちょうどそんな時だった。 「吏比斗!」  大通りから大きな声でそう呼ばれて、吏比斗の心臓が跳ね上がった。振り返ると、道路に車を寄せて停車した中から、野垣がコッチと手を振っている。 「あ…」  つられるように、吏比斗の足は野垣へと向いていた。先ほどは少しも動じなかった心臓がドクドクと音を立てる。やがて落ち着きを取り戻しつつも、いつもより早い鼓動を打ち続けていた。 「今の人は、知ってる人?」  助手席でシートベルトをする吏比斗へと、野垣はそう尋ねた。 「いえ。さっき声を掛けられたばかりで…」  それ以上の説明は避けたくて、吏比斗は曖昧に答える。 「じゃあナンパかな」 (う……)  吏比斗は言葉を詰まらせた。  運転席から、ため息とも含み笑いともとれる吐息が溢れる。 「次は、君の家まで迎えに行かないと」  そんなことを言われて、吏比斗はみるみる顔を紅潮させてしまっていた。 (……なんだ…?)  吏比斗は、火照る頬を隠すように両手で覆ったが、幸い野垣には気づかれてなかったようだった。 「吏比斗はどこか、行きたいところはある?」  バックミラーを確認しながら、野垣はリクエストはないかと尋ねた。 「いえ、とくには…」  吏比斗は手から顔を覗かせて答える。急にそう言われても、何も思い浮かびそうになかった。 「じゃあ、ちょっと付き合ってもらえるかな?」  そう言って走りだした車は、高速道路の入口へと入っていく。ある程度は野垣も行き先を考えていたようだった。  目的地は言わなかったが、南に向かっているだろう車はどうやら海を目指しているようだ。  小一時間ほど走ると、遠目に青い水面が見え隠れし始めた。 「あっ、海!」  思わず吏比斗は窓から見えた景色を指差した。 「うん、あと少しで着くよ」  やはり、野垣は海に行きたかったようだった。 「海を見たかったんですね」  吏比斗が運転席の彼へと聞くと、 「海を見たかったというか、君に似合いそうだなと思って」 前を向いたまま、ちょっと照れたように野垣はそう答えた。 (なんだ、それ…)  吏比斗はまた顔が熱くなっていくのを感じる。  運転しながらも野垣は、今度はチラリと吏比斗を横目に見た。 「吏比斗は海みたいだなって」 「うみ…?」  頬を上気させつつも吏比斗は、さすがに自分が海だと言われてもよくわからないといった顔になる。 「ハハ。きっと、自分では分からないよ。どちらかといえば君の印象なのかな」  吏比斗は窓から遠目に見える海を眺めた。  ほとんどか緑で覆われた景色の中から、まるで切り取られたかのように真っ青な水面が浮かび上がっている。  あんなに穏やかに凪いでいても、ひとたび風が立つと急に色が変わって波立ってしまう。野垣はそんな魅力を吏比斗に感じていた。印象は他人が決めるものだから、当然のこと、吏比斗には理解できないだろう。  前方を向きながらそう話すときの、野垣のその穏やかな眼差しに、吏比斗はつい心を奪われてしまいそうになった。  セックスまでしておいて、何でこんなことで胸が込み上げてしまうのか。吏比斗には自分でもわからなかった。ただ、野垣から目が離せなくなってしまう。 (あぁ。やっぱり…落ちたじゃないか)  それだけは自覚として、吏比斗の内へと残されてゆく。  まもなくして、【駐車場】と書かれた看板が見えてきて、野垣は車をそこへと駐車させた。夏は海水浴場の駐車場として使われているようだ。  冬の海は閑散としていたが、天気が良いおかげで水面は穏やかでキラキラと輝いている。 「うん、似合ってる」  野垣は満足そうに確認する。 「…よくわからないな」  吏比斗は野垣の言葉に苦笑交じりに答えながらも、 「でも、キレイですね。海」 淡々とそう返した。海の先を見つめる吏比斗を野垣は横目で眺める。その口元が、きゅっと結ばれた。 「…僕の、恋人になってくれないだろうか?」  もしかしたら野垣は今日、はじめからこれを言うつもりで吏比斗を海へと誘ったのかもしれない。  吏比斗は思わず、感極まりそうになった。  吏比斗にはもう迷いはなかった。 「よろしく…お願いします…」  こんな時にも小さくペコリと頭を下げる吏比斗に、野垣は思わず笑みを溢していた。  帰りがけに野垣の自宅へと誘われて、吏比斗は了承してついて行った。  野垣のことが知りたいと思ってしまう。到着する間までも、吏比斗はソワソワとしていた。  地下駐車場へと停車させると、高層階用のエレベーターでそのまま上へとあがっていく。  高層階には住んだことがない吏比斗は、興味本位でキョロキョロと辺りを見回しながら歩いていた。  到着した角部屋の玄関ポーチは、一歩入れば他からのプライベートが確保された造りとなっていた。ピッと玄関の鍵が解除される音は小さいながらも、遮断された静かな空間へと響き渡った。 「どうぞ」  そう言われて、吏比斗は「お邪魔します」と呟いて入っていく。  廊下のつきあたりにリビングがある。その間に、いくつかの部屋を通り過ぎた。 「ずいぶんと、広いお部屋に住んでらっしゃるんですね」  とてもひとり暮らしとは思えない広さに、吏比斗は正直驚いていた。本当に妻子がいたとしても不思議ではない広さだといえる。 「もともと結婚は考えてなかったから、良さそうな物件を見つけたときに購入したんだ」  確かに、吏比斗もそろそろ物件を待つのもいいかと考えた時期があった。けれど、なかなか簡単に踏み切れるものでもない。 「へぇ? 思い切りましたね。いつごろにご購入されたんです?」  そんな質問にも、野垣は三十五の時だと教えてくれた。  野垣は今年で三十八になると言っていたから二年くらい前だろうか。  近隣にはひとり暮らしにも困らないような飲食店が沢山ひしめいている。駅からも近く、セキュリティもしっかりしていそうだった。確かに自分たちのような独り身が、ここを選ぶ価値は存分にありそうだと吏比斗にも納得ができた。  窓からは普通階層のマンションではお目にかかれないほどの夜景が窺えていた。夜景はとても魅力的で、いま見ておかないと勿体無いとさえ感じてしまいそうだった。  そのまま、ぼうっと窓の外を眺めていたら、いつの間にか野垣がコーヒーを用意していてくれていた。香ばしい香りが部屋中に漂い始める。 「ありがとうございます」  吏比斗は何か手伝えることはないかと彼の側へと近づこうとするが、 「今、そっちのテーブルに運ぶからいいよ」 と、カップに注いだコーヒーを手に、窓際に近いテーブルへとコーヒーを並べた。 「この景色は気に入った?」  夜景に魅入っていた吏比斗に気がついていたようだ。 「えぇ。とても良い眺めですね」  野垣の向かいに座るようにして吏比斗は椅子に腰を掛けた。まだ熱いコーヒーへふぅっと吹き付けると、さらに香りが立ち込める気がする。思わず目を閉じて、その香りを楽しんでいた。  少し前に“恋人”になる約束をした相手と、ただコーヒーを飲んでいるこの時間が、吏比斗には至福のひと時に思えた。普通なら、付き合っていくうちにこういったことを経験して、やがて身体を交えるような関係になっていくのだろう。本来ならそれが当たり前なのかもしれない。  野垣がもし、過去の吏比斗のことを知ったら、どう思うだろうか。  そんなことを考えたら、吏比斗は一瞬で背筋が凍りつきそうになってしまった。 (こんなこと、今まで考えたこともなかった…) 「? どうかしたのか?」  急に顔色を変えた吏比斗を不思議に思って、野垣はテーブルへと身を乗り出す。 (そうだ、先に言っておかないと…)  このまま野垣に隠し通して付き合っていけるとは、到底思えなかった。  吏比斗はカップの持ち手をギュッと握りしめながらも口を開く。 「…僕は今まで、まともにお付き合いを、その…したことがなくて…」  吏比斗がセックスに慣れていることぐらいは分かるはずだ。だから、吏比斗の言いたいこともこれで伝わるだろう。セフレの関係しか築けなかった吏比斗を、野垣はどう感じるのだろうか。 (嫌われるなら、早いほうがいい)  そう思いはしたが、この言葉はこれほど重たいものだっただろうか。  そんな告白をしながらも、吏比斗は思わず目を瞑ってしまっていた。 「…まぁ、いいじゃないか」  野垣は、恐れながら告白を切り出した彼へと優しく目を向けた。 「私も若い頃は、なかなか出会えなかったよ。本気で欲しいと思えるような相手にはね」  野垣は椅子を引いて立ち上がり側へと寄ると、座ったままの吏比斗の肩へと手をかけた。そこへ被さるようにキスをする。  吏比斗は受けたキスへとできるだけ応えるように、その唇へと吸い付いた。下唇を甘噛みすれば野垣もまた、同じように吏比斗へと返してくれた。  吏比斗は首筋を反らせるようにして、せいいっぱい野垣へと舌を絡める。その喉元が時折、こくりと音をたてて嚥下を繰り返した。  それは、吏比斗が他の誰とも築けなかった甘いひと時であり、その心さえ次第に満たされていく。  あんなに魅力的だった夜景すら、いつのまにかもう目に入らなくなっていた。
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