7.最悪の再会

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7.最悪の再会

 翌日の休みは、二人で街中へ出かけることにした。  映画を観たりショッピングを楽しんだり、男女の恋人とさして何ら変わりのない過ごし方をした。  こうやって二人で散策していると、お互い目の留まるものが段々と分かってきて、それを知るのもまた楽しいひと時だった。  吏比斗は、このまま時を重ねていくのも悪くないなと、心のどこかでそんな未来を描いたりもしてみる。いつまで続くかは誰にもわかることではないが、そうであればどれだけ良いだろうと願いたくもなった。  いつの間にか日も暮れてしまい、そろそろ家へ帰ろうかと話していた、そんな矢先の出来事だった。 「よぉ。…吏比斗…だっけ?」  一見、大人しめのごく普通のサラリーマンといった装いの男が、吏比斗を背後から呼び止めた。吏比斗が振り返ると、男は仕事中なのか、手にはビジネス用の鞄を下げていた。 「相変わらずキレーな顔してるなぁ。って…なんだ、今は彼氏持ちかよ」  と、吏比斗の隣にいた野垣を、嫌悪感を顕にして見つめた。  野垣は、馴れ馴れしく吏比斗へと話しかけるその男へと一瞥するようにジロリと敵意を向ける。男は、昔のセフレを匂わせていた。 「あ……」  吏比斗はその男の顔を見たとたん、足が竦みあがったかのように立ち止まった。喉元で息が詰まったように声が出なくなる。 (左門…裕樹…)  思い出したくもない名前が、パッと脳裏へと浮かんだ。自然と震えを伴う身体を支えるために、吏比斗はなんとか膝に力を入れようとする。  目の前で突然震えあがった吏比斗に、男は俄然気を良くしたようだった。 「やっぱいいなぁ。そこのあんた、この子譲ってくんない?」  男は、真面目そうなサラリーマンといった風貌の割に、ナリに似合わない汚れた話し方をした。ずいぶんと二面性のある男だ。  野垣はギュッと吏比斗の肩を抱き込んで、彼を安心させようと自分へと抱き寄せる。その肩は、野垣でさえ驚くほどに震えていた。その姿はまるで、真夜中にうなされていた時の彼を連想させる。 「へぇー、優しいんだねぇ。でも、吏比斗は痛くしたほうがめちゃくちゃいい反応するんだぜ?」  怯える吏比斗に一歩近づいて、その顔を覗き込もうとする。 「ま、お兄さんには出来そうにもない事だろうけど!」  まるで吏比斗の過去を、わざと野垣に向けて晒しているかのようだった。見るからに幸せそうなこの二人が、憎らしくて仕方がないのかもしれない。  そんな勝手なことを並べ立てる男を前にしても、吏比斗の口からは何も言葉が出てこなかった。  というより、震える吏比斗は呼吸すらも忘れたように硬直してしまっている。  野垣はそんな男へと、怒りの衝動が沸き起こった。 「そうか。ーーー君が、自分だけが馬鹿みたいに善がって嗜虐性を楽しむような男だってことくらいは、私にもわかるよ」  物腰は穏やかだが、言っていることは決して穏やかとは言えない。吏比斗は思わず野垣の顔を見上げていた。その表情までもが今までに見たこともないような、まさに鬼の形相だった。  野垣は、さらに追い打ちをかけるようにして男へと続ける。 「そう言った性癖は、然るべき所で相手の合意の上で行うものだ。…この分じゃあ、被害者はまだまだ背後に隠れていそうだな」  言い終わるやいなや、野垣はその男の胸ぐらを掴んでいた。 「のっ…! 野垣さ…っ!!」  思わず吏比斗は、不利になりかねない野垣の行為を阻止しようと声を出した。しかし、暴力を振るうかと思われたその手は、男の腰から財布を取り上げ、中から免許証を取り出す。 「左門…裕樹ね。調べてみれば分かることだ」  野垣はスマホを取り出す。 「吏比斗。どこのバーで知り合った男か、覚えているか?」  吏比斗を振り返ってそこまで言うと、男は本当にやましいことでもあるのか、野垣の腕を振り払うと自分の財布と免許証を取り返してさっさと離れて行ってしまった。  男がいなくなったその場へと、吏比斗は力無くがくりと膝を折り曲げる。 「おっと…!」  吏比斗の肩を掴んでいた腕が、崩れそうになる吏比斗を支えて受け止めた。 「は、あ…すみませ…」  腰が抜けて動けない様子の吏比斗を、野垣は近くの座れそうな場所へと移動させる。すぐさま通りまで、タクシーをつかまえに出た。  野垣のマンションへと戻ると、吏比斗をソファーへと座らせて、肩にブランケットをかけてやった。彼のためにすぐに温かい飲み物を用意する。  震えこそ治ったものの、まだ元気のない様子の彼の隣へと野垣は座り込んだ。 「もうあの男が、君に声をかけてくることはないはずだ。もし何かあったとしても、次は法的な処置に出るから」  あんな男など、吏比斗の証言を取らずとも警察へ通報すれば後ろ暗い出来事でも持ち上がってきそうだ。男の行く末はとうに見えている。 「ご心配…お掛けしました…。もう、本当に大丈夫…」  吏比斗は隣の優しい男へと身体を預けて、額を彼の肩へと押し当てた。 (それよりも、この人に嫌われたくはない)  男に再会したのはさすがに怖かったが、過去の醜態をこの野垣に知られてしまったことのほうが吏比斗には悔しくてならなかった。  吏比斗は慣れないながらも精一杯、甘えるようにして願う。 (どうか、嫌わないで欲しい)  今離れたら、野垣との間に深い溝がさしてまいそうな気がしてならなかった。  吏比斗は彼の腕すらをも掴んで、ギュッと握りしめる。 「吏比斗。大丈夫だ」  野垣はそんな吏比斗を一度自分の身体から離して向き合うと、その漆黒なまでの黒髪を指で梳きあげた。 「吏比斗が嫌がるようなことは、俺は絶対にしない」  彼を安心させようと、野垣は真摯な眼差しで吏比斗へと伝えた。 (そうじゃない…)  吏比斗はどこか、野垣のその言葉に引っ掛かりをおぼえた。 「違う…。暴力は確かに怖い…けど…」  途中で口籠った吏比斗へと、先を促すように野垣は相槌で返す。 「あなたには、何をされても大丈夫…っていうか…」  かぼそい声ながらも、吏比斗は自分の素直な気持ちを野垣へと伝えた。  野垣は彼の両肩を掴んだまま、しばし固まってしまいそうになる。 「…吏比斗。自分の言ってること、わかってるのか?」 「はい。それは、勿論…」  言い切ってから、頬を赤く染め上げた吏比斗は、野垣の疑問の全てを肯定していた。 「ホント、君ってやつは…」  さっきまで本当に大丈夫なのかと思うほどに震えていたのに、今では安心し切ったように野垣を見上げている。  野垣はその細い身体を、腕全体を彼に擦りつけるようにしてかき抱いた。 「そんなこと言って、…俺がどうにかなってしまったら、どうするんだ」  吏比斗と初めて身体を重ねた時のように、野垣は彼へと再び魅了されていく。自制が利かなくなっていくのを自覚した。  こんなに弱っている吏比斗につけ入るような真似はしたくないと思いつつも、少しだけとばかりに野垣はそっと唇を重ねる。 「……ん…」  吏比斗も口を緩めてその舌を受け入れた。 「吏比斗…君が好きでたまらない」  そう野垣が囁けば、吏比斗は泣きそうな顔で目を瞑る。 「……っう、…」  吏比斗の口から嗚咽が溢れた。 「僕だって、大…す…」  吏比斗も一生懸命に伝えたが、嗚咽が邪魔をしてうまく話せない。そんな吏比斗へ野垣はまたキスをした。 「…っふ、…く…ぅ、う…」  おさまりきらない涙が溢れて、ふたりの口内が塩味に変わった。吏比斗の背中がしゃくりあげるようにびくりと揺れ動く。  さすがにここまでかと、野垣も諦めるようにその唇から離れた。泣いて赤くなったその頬にも名残惜し気にキスをすると、吏比斗をみて笑いかけた。 「よし。温かい風呂に入ろう」  野垣は立ち上がって、バスルームへとお湯を張りにいった。  まだ残る嗚咽を堪えながら、吏比斗はその後ろ姿を見送った。その優しすぎるほどの彼の背中は、吏比斗にはとても大きく感じられた。      
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