予知する震え

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 涼介は、目覚めてすぐに、体の中は温まっているのに震えるという不思議な現象を味わえたことで、天にも昇るような気持ちになっていた。  その震えは、寒さによるものとは明らかに違っていた。寒さによる、いわゆる普通の震えは、冷たい外気に触れることなどによって生じるものであるから、力の方向は「外から中」である。しかし、涼介のこの震えは「中から外」なのだ。いわば、恐怖に晒された時の震えや武者震いの系統に属する震えである。ただし、そこまでの気持ちの変化や乱れはなく、体が内側から温かくなっていくのを感じながら、やや大きな周期で全身が震えるのである。  なぜ、この震えで、天にも昇るような気持ちになるのか。それは、この震えを感じた時には、決まっていつも良いことが起こるからである。  最初にこの震えが来たのは、小学校1年生の夏である。当時は公立の小学校に冷房などなかったから、教室はとても暑かった。にもかかわらず、涼介に、突然震えが来たのである。しかも、震えても寒くなるどころか、むしろ温かくなったのだ。これは、異常な経験であるため、当時子供であった涼介には、非常に印象に残っている。  その日、やや遅く帰宅した父親が、大抜擢で部長心得に昇進したと涼介と母に告げた。当時の涼介には意味不明な話であったが、父や母と話をして、「しょうしん」というのは会社で父親が偉くなったこと、それで貰えるお金も増えること、なので、涼介が買ってもらえるマンガやおもちゃも増えるかもしれないということは、なんとなくわかった。  それ以降、この震えが起こるようになったが、その度に、必ずと言っていいほど何かしら良いことが起こっていた。  例えば、小学校の防災マップを作るグループ授業でこの震えを感じた時には、涼介のグループの防災マップが非常に高く評価され、区から表彰もされた。  無謀といわれたレベルの高校へ入試を受けに行った時にもこの震えが来て、その高校へ大逆転合格し、当時通っていた塾の広告にも載ることとなった。  大学時代、ゼミ発表の準備を全くしないまま当日の朝を迎えてしまった時、この震えが来た。結果、教授はその日に限って大学に来られなくなり、ゼミは休講となった。  就職活動の最終面接の時にもこの震えがきた。その時は大手のデザイン系企業を受験していたのだが、面接者の一人と大学の専攻の話で大いに盛り上がり、かなりの好感触で面接を終え、無事に内定通知が送られた。そこは現在の勤務先である。  このように、温かさを感じる震えの度に、何かしらの良いことが起きているのである。それで、涼介は、この震えが来ると心躍るような感覚になってしまうのであった。  涼介は、本日、大事なプレゼンテーションを控えていた。いわゆるコンペであり、練習や準備も万端にしてきた。そんな今日の今日に、この震えが来たのだから、天にも昇るような気持ちになったのも無理はない。絶対勝つ、今日のコンペはもらった、と涼介は確信した。  涼介は自信満々に朝の身支度をしていたが、対照的に、妻の公子は非常に落ち着きがなく不安そうだった。 「あなた。くれぐれもお気をつけくださいね。」 「なぁに、大丈夫さ。心配はいらないよ。絶対に今日のコンペはもらった。良い報告ができるから、もう特上寿司でも頼んどいてくれよ。」 「いや、コンペのお話ではなくて・・・。ちゃんと信号を守って、前後左右を見て歩いてくださいね。あと、駅では一番前で並ばないでね。」 「なんだよ、急に。幼稚園児への注意みたいなことを言い出して。そんなこと言われなくたってわかってるよ。」 こうして、不安気な公子は、自信満々な涼介を送り出した。  涼介は家を出て5分ほど歩いたところにある横断歩道で信号待ちをしていた。すると、そこに居眠り運転のトラックが突っ込んできた。  一方、公子は、朝に感じた震えをとても気にしていた。  公子が最初に、この、体の芯からの底冷えを伴う、とても長く続く小刻みな震えを感じたのは、小学校2年生の冬の昼だった。その震えは明らかに寒さのせいではなかった。寒さによる震えは、体の熱が外へ奪われることに対抗して起こるが、この震えは、むしろ、体の中の熱源が、突然急速に衰えていくために起こるような震えなのである。この感じは何なのだろうと思っていたところ、母が学校まで迎えに来た。父方の祖父が死去したのだ。  次に、この震えが来たのは小学校5年生の夏の日だった。その日、仲の良い友人が、住んでいたマンションの階段から足を滑らせて転落した。頭を打って即死だった。  その次に、この震えが来たのは中学校2年生のクリスマスだった。12月25日は、長らく闘病していた母方の祖母の命日となった。  その次は、大学1年生の秋だった。震えの数時間後に、中学校から仲良くしていた友達が梨を喉に詰まらせて急逝したと、その友人の母から家に連絡があった。  その次は、働き始めて2年目の春だった。花粉症の薬の副作用の眠気も冷めるような底冷えと震えを経験したその日、母方の祖父が脳卒中で息を引き取った。  そして、直近は、2年前の夏の朝だった。その日、父方の祖母が老衰で帰らぬ人となった。  つまり、この震えが来た時には身近な人物が亡くなっているのだ。だから今朝、涼介にくれぐれも気をつけるようにと忠告したのであった。  しかし、その忠告も虚しく、涼介は死の間際にあった。よく言われるように、これまでの人生の走馬灯が流れ、これまでの思い出が映し出される。  防災マップで褒められた小学校5年生の時の全校朝礼で、校長が話している。 「優れた防災マップの作成を指導し、区からも表彰されたことにより、五年一組の田中先生は、来年度から教頭先生になります。全校、拍手。」  しばらくすると、高校入試の後の光景が出てきた。塾長が話しかけてくる。 「涼介、よくやったよ。ありがとうな。広告に載せたお前の合格体験記のおかげで、うちの塾に入りたいって問い合わせがいっぱい来ちゃって。こりゃあ来年度の入塾者はきっと増えるぞ。月謝でウハウハだ。」  またしばらくすると、大学のゼミで教授がニヤニヤしながら謝っている。 「先週は突然の休講となってしまい、大変申し訳ありませんでした。妻の出産が予定より1ヶ月も早まってしまいまして、急遽立ち合わなければならなくなってしまったのです。でも、大丈夫です。母子ともに健康です。」  さらに、今度は、入社した時の挨拶で部長が喋っている。 「今度の新人君はスゴいぞ。何と制御工学専攻だ。うちの会社はなかなか理系の人材に恵まれてこなくて、思うように進まなかったプロジェクトもままあったが、今度の新人君の採用で良い風が吹くだろうな。期待してるぞ。というより、早速、今、技術的問題が発生してるあのプロジェクトに関わってもらおうかな。」  ここで涼介は、ふと気がついた。 (そうか。俺が震えで予知していたのは、俺の良いことじゃなくて、俺が関わる人の良いことだったのか・・・。)  ところで、涼介と公子の関係は冷え切っていたわけではないのだが、涼介はかなり自信家で、人に対して横柄な態度をとることがよくあり、公子もその対象となることがあって、当然、公子はそれを嫌に思っていた。さらに、公子はマンションのローン残額がおよそ7000万円もあることに、常々強い不安を感じていた。  そんな彼女は、涼介が事故で死亡した場合の保険金が1億円であり、その受取人に自分が指定されていることは、まだ知らない。
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