花が降る最後の夜に、もう会えなくなる君と

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「意外だね。幸雄がそんな文句をさらっと言うなんて。あんなに緊張しやすいのに」  目をぱちくりさせて香苗がつぶやく。頬と耳が熱くなるのを感じて、幸雄は思わず肘で顔を覆った。腕を動かしたことで連動して右手が動き、持っていた線香花火が数センチ上昇する。  火花が激しく散った。それとほぼ同時に、咲化が始まる。  幸雄の花火が、だんだんと明るさを失っていった。夏の夜空に浮かぶ花火のように円形だった形が崩れていき、光に隙間ができる。  線香花火としては有り得ないその形は、歯車や蓮根を思わせた。蝋燭から蝋が垂れ落ちていくように、光の粒がこぼれていく。その明るい光粒は落ちる途中で姿を変え、ひとひらの花弁へと化した。海に映る夕陽色の花びらは、金盞花(きんせんか)だ。  しかし光と花弁が同一化するのは一瞬だけ。淡い発光の中、花弁の形状と種類を見極めた瞬間に火花の光は消え、何も見えない暗闇の中に花の欠片が落ちた。 「あ、もう咲化してる。はやいね。まだ花火していたかったのに」  話を逸らすように口を開いた香苗の言葉は、どこか白々しい。声にわざとらしさが感じられる。それをいじるほど幸雄も愚かではなかった。香苗からわずかに目を離し、咲化していく花火の光を眺め続けた。  玉状の光が、花火からぼとぼととこぼれていく。液状の泥のように落ちて輝きを失いながら花弁へと変貌し、静かに砂浜へと着地する。  実態も質量もなかった光が、明るさを失う対価として形状を手に入れ、風に吹かれて砂地を這う様は美しい。たとえその姿は見えずとも。  これが咲化だ。この世の汎ゆる光が、発光しないただの花弁に変化し、散り桜のように舞い落ちる現象がそう呼ばれている。  咲化が進むことはすなわち、それだけ世界から光が消えていることを意味していた。だから、視界が暗いのは夜だからという理由だけではない。  街中の多くの建物には、既に明かりが灯っていなかった。咲化は、火のような自然の光だけでなく、LEDやネオンといった人工の光も花へと変えた。完全に真っ暗になった幸雄の家も、蛍光灯の下には花びらが無数に落ちている。今はどこの家もそうだ。
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