始まり

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─3─  湊に会ったのは、ゴールデンウィーク前。十日以上は会っていないことになる。その時は確か、行きつけの居酒屋で食事をし、その後、俺の家で飲み直した。  特に変わった様子はなく、悩んでいる様子もなかった。 「車はあるな」  インターフォンを鳴らす。 「いないのかな……」    楓太が不安そうに俺の顔を見上げる。  何度か鳴らしてみるも、なんの返答もない。本当にいないのだろうか。  湊は歩くことが嫌いで、すぐ近くのコンビニに行く時でさえ、車を使う。そんな奴が、車を置いてどこかへ行くとは考えにくいのだが……。 「兄ちゃん、開いたよ……」 「えっ?」 「試しにドアノブを回してみたら、開いちゃった」 「なんで開いてるんだ……」 「どうする?」 「入るしかないだろ」  ドアを掴み、体が入るくらいに開ける。 「湊? いるのか?」  狭い玄関に片足を入れ、覗き込むように声を掛ける。湊からの返答はないが、テレビの音が微かに聞こえる。 「湊……入るぞ」  靴を脱ぎ、リビングの扉の取手に手をかける。曇りガラスから、なんとなく湊の姿が確認できた。   「湊、いるんじゃないか。何やってんだよ!」  不安が解消された俺は何も考えず、一気にドアを開けた。   「湊……」  湊を見た瞬間、声を失い、その姿から目を離せなくなっていた。 「ど、どうしたんだよ……。おい……、おい、湊」 「湊……くん……」  楓太はドアの前で立ち尽くし、小さな声で、ブツブツと何かを呟いている。 「楓太? なんだ? どうしたんだ?」 「……じ。お……じだ……」 「おい! なんなんだ?」 「……同じだ。あれと同じだ……」 「あれと同じってどういうことだ! わかるように説明しろ!」    次々に起こる、説明のつかない事態にに苛つきを覚えていた。 「俺が見た……あの家族と同じなんだ。湊くんの……その、姿……」  湊はソファの上で、生きているのが不思議なほどにやせ細り、今にも命の灯火が消えてしまいそうだった。 「お前がさっき見た……、あの家族のことか?」  楓太は小さく頷いた。   「湊、俺だ。凛太だ。わかるか?」  頬を触ると、皮膚は固くなり氷のように冷たい。  声をかけても返事がない。  俺の視線が目に移った時、「ヒッ」と、声になる前の息が漏れ出た。  微かに開いた目は黒目で埋め尽くされ、湊の面影は消え、ただただ不気味な人形のようだった。   「まずい! 楓太、救急車だ! 救急車を呼べ!」 「あ、あ。うん! わかった!」  楓太がポケットからスマートフォンを取り出すも、動揺しているせいか、落としてしまう。 「大丈夫か? 兄ちゃんがするか?」 「大丈夫。大丈夫、俺がする」  楓太がその場で腰を曲げ、スマートフォンを拾い上げようとしたときだった。湊から、喉が潰れたような声が漏れ出た。 「あ……ああ……あああ……」  先程まで全く動かなかった湊が体を起こし、ソファの端へ後退りする。  木の枝のようにやせ細った腕を前に出し、必死で何かを拒否している。 「兄ちゃん危ない! こっち来て!」  楓太の大きな声に思わず情ない声が出る。  その迫力に、這うように楓太の方へ移動する。 「兄ちゃん……見える?」 「見え……る?」 「──あれ」    楓太の顔から目を離し、湊へと視線を移す。 「や、やめろ、やめろ……、どうして……、やめてくれ!」  湊は顔を手で覆うように下を向き、一心不乱に頭を振る。  何も見えていない俺と、全てが見えている楓太は、一歩も前へと踏み出せず、目の前で起こっている出来事をただただ、見ていることしかできなかった。     もがき苦しむように頭を振っていた湊は、動きを止めた。  両手は顔から離れ、ぶらんと、下に垂れた。 ──そして、そのまま仰向けに倒れた。      
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