五月十五日 火曜日

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─8─  しばらくの間、お互い言葉を交わさずに時間が過ぎた。掛け時計の時を刻む音だけが部屋の中に響く。静かな空間に、時折、窓の外から子供たちの声が入ってくる。俺の住むアパートの近くには小学校があり、登下校時は賑やかになるのだ。 「そうだ、メール……」 「どうしたの?」 「今朝、昨日の人に教えてもらった連絡先にメッセージ送っておいたんだ。もしかしたらもう読んでくれているかもしれない」  テーブルの上に置いてあったノートパソコンを開き、メールボックスを確認する。すると、数件の新着メールがきていた。   「これだ……」  目に飛び込んできた件名。 『お面の件ですが……』    藁にもすがる気持ちでクリックする。 「メール来てたの?」 「ああ……。読むぞ」  下澤凛太様。はじめまして、吉塚文香と申します。  今朝方のメールについてですが、メールですと長くなり、うまく話しが伝わらないと思いますので、一度会ってお話させていただけないでしょうか。私は、旭川市に住んでおります。下澤様も北海道にお住まいとの事でしたので、もしよろしければお会いしたいと思っております。  ご検討よろしくお願いします。 「なんか、仕事のメールみたいだね」 「うん。でも、誠実そうな人だな」 「旭川なら、近いし会えそうじゃない?」 「そうだけど、俺たちには時間がないんだ。すぐに会ってくれるならいいけど……。今日でもいいか打診してみるか」  すぐにメールを返信する。  それにしても、向こうから会いたいと言ってくるとは予想外だった。返信さえ期待していなかったというのに、まさかの展開だ。  あれこれ考える間もなく、すぐに返信が来た。    午前中なら、時間とれます  吉塚です。急ですが十時頃はいかがでしょうか。私がそちらまでお伺いします。どこか、ゆっくり話せるお店がありましたら、そちらで待ち合わせはどうでしょか?  ご検討よろしくお願いします。  この後数回のやりとりで、待ち合わせ場所を決め、午前十時に、駅の近くにある喫茶店で待ち合わせとなった。昔からある落ち着いた店だ。そこなら、静かにゆっくりと話せるだろう。 「楓太、一緒に行けそうか? 俺一人で行こうか?」 「大丈夫。自分の耳で聞きたいから」 「わかった。でも、無理すんなよ」  この状態で外に出すのは不安ではあるが、呪われているのは楓太なのだ、やりたいようにやらせてやろう。  待ち合わせまでの間、軽く食事を済ませた。やせ細った楓太は、てっきり食欲がないと思いきや、むしろお腹が空くようになったらしい。食べても食べても満たされることがなく、食事が終ったばかりだというのに、今もスナック菓子を食べている。これにも何か理由があるのだろうか。    相手より先に待ち合わせ場所に着くよう、少し早めに家を出た。  天気もよく、暖かい日差しが俺の荒んだ心を和ませてくれる。しかし、すぐに現実へと引き戻される。 「兄ちゃん、寒い」 「寒い?」  暑がりの楓太が寒いとは。こんなに痩せてしまっては体温調整もうまく機能しないのかもしれない。ヒーターを入れ、後ろに積んであったひざ掛けを楓太に渡す。  そう遠くない場所にある喫茶店は、親の若い頃からある年季の入った店。  父が生きていた時、「母さんとの初デートは駅前の喫茶店だったんだ」と、酔うと決まって話してくれた。その時の父はいつも幸せそうで、母さんへの愛情は昔から変わっていないことを伺わせた。 「着いたぞ」  父の青春であるこの喫茶店は、俺と父との思い出の場所でもある。弟が生まれる前に父と訪れたことがあり「お前は兄ちゃんになるんだ。弟を守ってやれ」と言われ、初めて兄という自覚が芽生えた。当時と変わらない外観で、ふと、懐かしい記憶が蘇る。  この喫茶店は町役場のすぐそばにあり、お昼時は役場の人間で混雑する。  壁は白色。深い緑色の軒先テントが張られていて白い文字で『コーヒー 縁』と書かれている。これは、(えにし)と読む。  待ち合わせの時間まで、十五分あるが、先に入って待っていよう。どうにも落ち着かない。  チョコレート色のドアを開けると、カランカランと耳触りの良い音が鳴った。 「いらっしゃいませ」 「三人です。あとでもう一人来ます」 「ボックス席どうぞ」  ここは、二代目店主とその奥さんが切り盛りしている。  ワインレッド色のソファに、楓太と隣合わせで座る。大勢の人たちが座ってきたベロア生地のソファは、真ん中がへこみ、少し座りづらくなっていた。長く座るには腰が痛くなりそうだ。 「大丈夫か? 寒くないか?」 「うん、大丈夫。俺、ここ初めて来たかも」 「家族で来たことなかったか?」 「たぶん、俺が小さい頃じゃないかな」 「あー、確かにそうだったかも」  そんな他愛もない話をしていると、ドアの開く音がした。      
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