五月十五日 火曜日

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─9─  入ってきたのは若い女性だった。大学生くらいだろうか。その女性は、俺達の方を見るなり、なんの躊躇いもなく近づいてきた。 「下澤様ですか?」 「は、はい。もしかして、吉塚さんですか?」 「はい。お待たせして申し訳ありません」 「いえ、俺達も今、来たところですから」  メールの印象通り、真面目そうな女性だ。 「失礼します」と、一礼してから席についた。  吉塚文香(よしづかふみか)という女性は、細い黒縁メガネをかけており、化粧っ気はない。服装はベージュのカーデガンを羽織り、肩を越える長さの黒髪を、無造作におろしている。少し地味な印象だ。 「本日はわざわざ来ていただいて、ありがとうございます」    俺がそう言うと、楓太も頭を下げた。 「こちらこそ、突然押しかけてすみません」 「お忙しかったんじゃないですか?」 「いえ、大学生ですので、時間には余裕があります」 「お話を始める前に、何か注文しましょうか」    俺と楓太はブラックコーヒー。吉塚さんはカフェオレを注文した。 「さっそくですが、お面の話をお聞きしてよろしいですか?」  吉塚さんは手に持っていたハンカチを強く握った。 「お面を最初に出品したのは、私です」 「吉塚さんが?」 「正しくは、頼まれたんですけど……」  そう言うとゆっくりと下を向いた。何か理由がありそうだ。 「あのお面は、武咲集落(むさきしゅうらく)で拾いました」 「むさき集落?」  全く聞いたことがない。 「その集落は、昔、この町の近くにあったんです。ここから、一時間くらいの場所にあります。今では色んな噂があって有名な心霊スポットなってしまいましたが……」 「じゃ、その心霊スポットで拾った物なんですね?」 「──はい。集落には何軒か廃屋が残っていました。その内の一軒にお面が落ちていたんです。私を含めた四人は止めたんですが、一人の男性が面白半分で持ち帰ったんです」 「その男性は……」 「お面を拾った五日後に亡くなりました」  やはり、五日後。 「他に誰か触りましたか?」 「私以外は全員……」 「それで亡くなったというのは、持ち帰った……」 「私以外は全員死にました」 「えっ……」 「私以外は触りましたので」  思わず楓太の顔を見た。楓太もこちらを見ていたのか、すぐに目が合った。 「最初に触った人だけではなく、触った人全員が死んだと?」 「はい、そうです」 「そ、そうですか……」  途端に鼓動が早くなる。これはどういうことなんだ。触った人が全員呪われるとするなら、この俺も対象になるはず。それがどうして、楓太だけ。それとも、他に条件があるのか?  まあ、いい。とりあえず今は知りたい情報を聞くことが優先だ。 「単刀直入にお聞きします。呪いを解く方法はご存知ですか?」  面を拾った経緯はどうでもいい。誰が死んでいようが関係ない。楓太さえ助かればいいんだ。 「色々調べましたが、わかりませんでした。お面の呪いに気づいたあと、その呪われた男性にネットで売って欲しいと頼まれました」 「それは、なぜ?」 「面が誰かの手に渡れば、呪いも一緒に消えるんじゃないかと考えたようです」  やはりそういう事か。  そして、面を手にした人が同じ考えに行き着き、呪いの連鎖が生まれたということか。   「少しまとめますと、あなたたちが面白半分で行った心霊スポットでお面を見つけ、面白半分で持ち帰り勝手に呪われた。そして、人に呪いを押し付け、数人の命を奪ったということで間違いないですか?」  この言い方に、棘しかないないことはわかっている。たが、楓太の命が危険に晒されているんだ。嫌味の一つや二つ言ったってバチは当たらないだろう。 「──はい、間違いないありません」  彼女は、持っているハンカチを再び強く握った。 「兄ちゃん、そんな言い方ひどすぎるよ」 「何言ってんだよ。お前、死ぬかもしれないんだぞ? それも、見ず知らずの奴の軽はずみな行動で。庇う要素一つもないだろ」 「でも、彼女には何か理由がありそうだよ。どう見ても、心霊スポットに行くようには見えないよ」 「理由なんて関係ねーよ。既に人の命が失われているんだ。綺麗事言ってる場合じゃないだろ!」 「申し訳ありません!!」  大きな声と同時に、吉塚さんは立ち上がり頭を下げた。 「吉塚さん、座ってください……。理由があるんですよね?」  どこまでお人好しなんだ、楓太は。  吉塚さんは下を向いたまま、ゆっくりとソファに腰掛けた。メガネをはずし、持っていたハンカチで目元を押さえたあと、そのままメガネを拭く。 「どうして、行くことになったんですか? 心霊スポットなんて」  声を抑え、優しい声色で楓太が問いかける。 「──私、高校の頃いじめられていたんです。今回、一緒に行った四人は私をいじめていたグループのメンバーでした。大学生になってやっと離れられたと思ったのに、連絡が来て、心霊スポットについて来いと……」 「断れなかったんですよね?」    楓太は、うつむきながら話す、彼女の顔を覗き込むように話しかけた。 「──そうです」 「ネットで売ってくれって言われたことも断れなかったんですね?」 「はい……」  と言うことは、断るとまたいじめられると思い、仕方なくついて行き、仕方なく売ったというのか……。 「いじめは最低の行為です。いじめがトラウマになり、今回のことを断れなかったというあなたの気持ちはわかります。しかし、それで済まされるんですか?」 「兄ちゃん! そんな言い方ひどいよ! 冷静になれよ!」 「人が死んでるんだぞ! 冷静になるのはお前の方だろ」 「吉塚さんはいじめられていたんだ。そんなの、断れないに決まってるだろ!」 「──いじめられていたら関係のない人を殺してもいいのか? お前は呪いを解く方法がわからなかったら四日後に死ぬんだぞ。それも仕方ないのか?」 「いや、それは……」 「吉塚さん、俺にもいじめの経験がありますので、どれだけ辛いのかはわかります。ですが、心霊スポットに誘われた時、ネットで売ってほしいと頼まれた時、断らないと選択したのはあなた自身です。その選択の意味は、人が呪われてもいいから自分はいじめられたくないという、選択なのです。断る断らないは、あなたが選択できたのです」  ハンカチを握りしめる手に、涙がぽたぽたと落ちる。 「きついことを言っているのはわかっています。もちろんあなただけが悪いとは思っていません。断ることが怖かったというのもわかっています。しかし、この先、またいじめっ子たちに何かを頼まれた時、断らずに言いなりになるのですか? 人を殺したから埋めておいてと言われても、断らないのですか?」 「そんなの、断わるに決まってるだろ!」 「楓太、いじめられた記憶はそう簡単に消えないんだよ。またいじめられるかもしれないと思うと、その時の恐怖が蘇り、どんなことでも言うことを聞いてしまうかもしれない。今回だって実際、呪われるとわかっていて売ったんだから」 「そうだけど……」 「俺の言いたいことは、同じことを繰り返すなと言うこと。この先、何か選択を迫られた時、いじめにあっていたということに左右されてはいけない。強くなれということだ」  鼻をすする吉塚さんを、楓太が心配そうに見つめている。 「兄ちゃん……」 「なんだ」 「──みんな、兄ちゃんみたいに強くないんだよ」 「どいうことだよそれ」 「弱い人もいるということだよ。色んなことを言えずに我慢して生きているんだよ。兄ちゃんみたいに、言いたいことをズバッと言って、強く生きている人ばかりではない。その強い人の裏には、我慢をしている人がいる……。だから、兄ちゃんみたいな人が言いたいことを言っても喧嘩にならずに済んでいるんだよ……」  強く生きることは、悪いことなのかよ……。   「──もう、やめてください」  涙で濡れたメガネをはずし、吉塚さんは俺の顔をまっすぐ見た。 「私は今日、謝罪をしようとここに来たんです。なんと言われようが全てを受け止めようって。弱いことは自分でもわかっていましたから」    吉塚さんは自身に呆れるように微笑む。 「お兄さんの言っていることは正しいです。弱くなるも強くなるも、自分次第……。全て自分で選択してきたんです。今回のことは謝っても許されることではありません。でも、会って謝罪だけはどうしてもしたくて……」  改めて吉塚さんは頭を下げた。 「俺は、吉塚さんも巻き込まれた一人だと思う。だから、もう謝るのはやめてください」 「楓太……」 「もう、謝ってくれたからいいじゃないか。誰でも失敗はするだろ? その時に素直に謝れるかどうかだと思ってるから、俺は」  俺は何も言わなかった。  楓太の言っていることももちろんわかるが、彼女を許すことはできない。涙を流す女性を見ても許すことが出来ない俺は、非情なのか? 「──強くなります。もう、同じ間違いをしないためにも」  重い雰囲気のまま、冷めたコーヒーを啜り、店を出た。 「あのう……、これ。武咲集落への行き方です。道を覚えるのは得意でして、地図を書いてみました。たぶん、これで行けると思います。もし、行くことがあれは使ってください」 「ありがとうございます」  吉塚さんは、水色の軽ワゴン車に乗り込み、一礼をし、帰っていった。   「俺らも帰るか」  帰りの車内は無言だった。  俺は楓太に言われたことを繰り返し考えていた。  あの言い方……。まるで、今までずっと我慢してきたと言っているようだった。俺が感じていた、楓太と一緒にいるときの心地よさは、楓太の我慢によって成り立っていたものなのか?  今は、呪いを解くことだけに集中しなければならないのに、こんなことで頭を悩ませたくない。この問題は、この件が無事に解決してから考えよう。  でも……。  もし、呪いが解けなかったら……。  それでは手遅れになる……。  今、確認すべきなのか? 本当はどう思っていたのかを。 ──いや、そんなことは考える必要はない。俺は必ず見つける。絶対に楓太を守る。  だって、父さんと約束したのだから。 「楓太。今から、武咲集落に行くぞ」    
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