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後編
そして、本番の日。
その日、デルフィヌスは朝から会場準備と、昼からリハーサルに携わった。相変わらず、大きなシャンデリアが素晴らしい会場だ。
カノープスは、会場準備が終わったころ、いつの間にか、会場の隅のテーブルの、一番奥の席に座っていた。羽根の飾りがついたスーツに、今日も白い陶器の義足が眩い。カノープスも、中学生くらいの時はシャウラのように組織に属していたが、そこでちょっとした失敗をした謝罪に、両足を自ら切り落としたという肝の据わった男だ。今日はにこにこしているし、主催者だからデルフィヌスも挨拶を、と思って近づいていったが、あまり気が抜けない。
「デルフィヌス、今日はよろしくな」
カノープスはひらひらと手を振って来た。デルフィヌスは頷くことすらせず、目を合わせるのを応答とする。
「今日のパーティには、金持ちの娘たちが大勢来る。特に金のある家の娘は、ガラスの靴を履いて来る。特に金のある家の息子は、胸に黒い薔薇を差してくる。それがドレスコードってことになってるのさ。そいつらは、特別に、あの中央のテーブルに集めてもらうことになってる。ちょっとした合コンだな。そう言う奴を見付けたら、近寄らないことだ」
「どうしてよ」
水色のドレスに身を纏ったシャウラが、腰を屈めてカノープスの首に両腕を回し、「ねぇ、どうしてか教えてよ」と強請る。だが、カノープスは「見ていれば分かるさ」とチェシャ猫のように笑うばかり。
そうこうしているうちに時間となった。舞台袖に控えていると、緞帳がゆっくりと上がっていくのが見えた。ビーズを散らかしたような眩い光が、緞帳だった場所の闇の中に見えた。ひときわ輝いているのは、矢張りあのシャンデリアだ。今、あの下に、特別金持ちな人たちが座っているのだと思った。かつてのデルフィヌスえあれば、其処に座れていたのだ。デルフィヌスは医者の娘であったから。
シャウラが反対側の舞台袖から、つかつかと歩いて来て、デルフィヌスの手を取る。「あなたからエスコートしないと駄目じゃない」と薄っすら笑いながら。そして練習のとおり、彼女と腰元を擦り寄せるようにして踊る。響くピアノの音色は生演奏だった。首を伸ばして明かりの向こうの暗闇の奥を見ると、アルネブが目を閉じて体を揺らしながら弾いているのだった。
「何処見てるの? 私を見て」
デルフィヌスはシャウラに視線を移した。シャウラはまさに蛇のような目で笑っている。デルフィヌスは今だけはダンスに集中することにした。シャウラのオリエンタルな香りを肺いっぱいに吸い込むと、酒で酔ったことなど一度もないが、酔ったような心持ちで、蕩けるような目でシャウラを見詰めた。
歓声を受けると、トラウマとしてある、小学生のころの舞台の出来事が頭を過る。小学校では、寧ろデルフィヌスは雄弁な方であった。活発な子供が大人にも子供にも好かれることを知っていて、ある程度、空気を読んで演じていた部分もある。
ある日、クラスのお遊戯の演目と、その王子役がデルフィヌスであると決まった時から、姫役を二人の女子生徒のうち誰が演じるかという議論になった。うちの一人をデルフィヌスが決めてしまったために、もう一人が「姫役になりたいと立候補するなんて自惚れだ」と虐められてしまったのだ。その子は自殺し、今度はデルフィヌスが姫役に選ばなかったせいだ、と糾弾された――其処からデルフィヌスは階段を滑り落ちるように人生が狂っていった。改めて思い出せば頭を撃ち抜きたくなるような過去で、それが故に立ち直れないまま罪を重ねてきたのだが、今、デルフィヌスはやっと、そのトラウマから抜け出せるような気がした。
ピアノの曲がゆっくりとフェードアウトし、完全に止まったところで拍手の盛り上がりは最高潮になった。この音とともに、デルフィヌスのトラウマも消えていくような、そんな気がしたのだ。
そんな気がした直後。ほんの一瞬の出来事だった。
最初は小さな、ぴん、という音。次に轟音。拍手が悲鳴に変わる。
シャンデリアが突如垂直に落下し、下にみるみると血が拡がっていった。その下敷きになっている席は、先にカノープスが「特に金持ちな家の子息」と紹介していた人達が座っていたはずだ。
人々の悲鳴は、この場を侵食するようにゆっくりと、暗闇と静寂に変わった。
その暗闇を裂くように、シャウラが真っ赤な唇を歪め、腰を丸めて笑い出した。
「ふふ……あっはっはっは!」
デルフィヌスは彼女を見た。意志表示に乏しい流石のデルフィヌスも目を見開いてしまうくらいだった。
奥のテーブルで、カノープスが拍手している。アルネブも立ち上がって顎を撫で、「素晴らしいものが見られました」と満足げだ。生き延びた、あのテーブルについていなかった客たちは茫然と立ち尽くしている。
それらを一瞥した後で再びシャウラを見ると、ただ不敵な笑みを返された。
「驚いたか? デルフィヌス」
カノープスが金色の髪を弄りながら声を投げて来た。
「実はこのためにお前とシャウラを呼んだのさ。御覧の通り俺は歩けないからね、一気に大勢を殺せという依頼を請けて困った。で、この方法を思いついたんだ」
広げた手の指に金色の指輪が光る。
「パーティに見せかけて標的を集め、シャンデリアの下敷きにして一気に殺す、っていう方法をな。ステージを観ている間は、人は集中する。トイレに立つやつも、酒を注ぎに立つやつも少ないだろう。だから、狙いやすくなる……そのためにステージで踊ってくれる人間を誘ったら、シャウラとお前が来たって訳だ。デルフィヌス、お前の反応を見ると、シャウラから詳細を知らされてなかったのか?」
「教えるわけないわ。嫌な仕事だと思われて逃げられたら困るもの。ダンスの相手役を勧誘するのも仕事のうちだから」
最近、デルフィヌスは、善悪に悩んでるみたいだったし、とシャウラはラメで彩られた爪を見ながら言った。
「そんなに気に病むことじゃないわ。偉そうに、VIP席に座ったのが運の尽きよ。自分の命が誰からも狙われていないと思いこんでるなんておかしいわ。悪意も愛も殺意の元凶になるんだから」
「それにやったのはお前らじゃない。シャンデリアを切ったシルマだ」
シャウラが鼻で笑うのが部屋全体に響くと同時に、デルフィヌスは、ふ、と短い息を吐いた。
トラウマは解消されることはない。ただ、上塗りされて厚くなるだけである。
ゆっくりとステージを降り、シャンデリアの下に行く。其処にぶちまけられた、先程まで誰かのものであった腎臓か肝臓を拾い上げる。これはデルフィヌスのコレクションになるのだ。
その背中に、「やはり燃やすのが一番なんですけどね」とぶつぶつ言うアルネブの声が聞こえて、笑いたくなる。名作「羅生門」を思い出していた。この世は悪人ばかりだ。他人も自分も。
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