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3/19 華麗なるランチ
月曜夜のこと。インスタで定食屋を再度チェックしたが、まだ休業期間のようだ。これから暫くの間は別の店でのランチになるかな……と思いつつ、俺は苦悩していた。
どうしても食べたいものができてしまったのだ。
だけど、「これが食べたい!」って上司が言うと部下は断れないよな?笹川くんが気分じゃなかったら申し訳ないし……。でも俺の口は完全にあれを欲している!
……と考えていると、笹川くんからラインが来た。ナイスタイミング。
「先週はハンバーガーに付き合ってくださりありがとうございました。明日のお昼もご一緒できるでしょうか。よろしければ、明日は課長の行きたいお店にご一緒したいです!」
……ありがとう、笹川くん!おかげで俺の行きたい店に心置きなく誘えるぞ!
「カレーですか……!」
火曜の昼。俺と笹川くんはスープカレー専門店にやってきていた。
俺は昨日、インスタで大学の元同期が北海道旅行でスープカレーを食べている写真をあげているのを見てしまい、どうしてもスープカレーの口になってしまったのだ。そして調べてみると、職場の近くに食べログで高評価の店を見つけてしまったのだ!
「そう、スープカレーだ。しかも北海道に本店を持つ有名店だ!」
「おお……!それは期待大ですね!」
お店は賑わっていたが、少し待てば入れた。
ぷうん。店内に入った瞬間にスパイスの良い匂いが鼻についてきた。うーむ。カレーの香りって何でこんなに食欲をそそるのだろうか!
「すごい、具材がいっぱい!メニューも豊富ですね!」
「辛さやトッピングも細かく選べるんだな……目移りしてしまうな!」
メニューには様々な具材をあしらったカレーが写真付きで並べてある。笹川くんも一生懸命メニューを見ていた。何かを探しているような表情に見えた。こだわりのカレーでもあるのだろうか。それとも実は昨日もカレーでそれと違うものを選ぼうとしているとか?
だがランチの休憩時間は有限だ。それほどぐずぐずと迷っている暇はない。俺たちは結局、定番と書かれたセットメニューを注文することにした。俺は辛さは普通(2 辛)でドリンクはラッシー(よく知らないが人気No.1とあった)、トッピングはザンギ(メインの肉も選べるシステムだった)、ご飯は大盛りにした。笹川くんは辛口(5 辛)でドリンクはウーロン茶、トッピングはやわらかチキン、もちろんご飯大盛りを注文した。
「辛口か……辛いもの、好きなのか?」
「はい、結構好きなんです……まあ、追加料金を払って7辛とか8辛とかを頼む勇気はありませんが。」
「いや、それでも十分すごいけどな。」
それほどでも、と笹川くんは謙遜していた。笑顔だったが、心なしか瞳に陰りがあるように感じた。
もしかして何か悩みでもあるのだろうか?……単に疲れてるだけかもしれないか。まあ様子を見てみよう。とりあえず、カレーだ、カレー!
ウキウキしながら待っていると、カレーが到着した。
「う、美しい……!」
カレースープの中に、所狭しと大きな具材が並んでいた。じゃがいも、パプリカ、人参、ごぼう、れんこん、コーン、なす、そして肉!カラフルできれいな見た目だ。スープの色もたまらない。笹川くんのカレーをちらりと見ると、俺のよりも赤く、辛そうであった。
「すごいな、そっちの色、辛そうだ……!」
「ええ、……この赤さがたまりません!」
おお、本当に辛党なんだな。俺が苦笑いしていると、笹川くんは少し照れくさそうな顔をして、
「さ、冷めないうちにいただきましょう!」
と言った。
スプーンでご飯をすくい、カレーのスープに浸した。米粒の白さにじんわりとカレーの色が染み込んでいく。ああ、何という幸せなグラデーションなのか。笹川くんも俺の食べ方を見ながら、ご飯を浸していた。
ひょいっとスプーンを口に運んだ瞬間、カレーの風味が口いっぱいに広がった。
「お……」
「おいしい!」
俺と笹川くんはほとんど同時に叫んだ。
本当に美味しいカレーだったのだ。辛いだけじゃなく、スパイスが混じり合って深みを出していた。おそらく複雑に配合されたスパイスたちは、互いを引き立て合うかのように共鳴していた。まさに素晴らしいハーモニー!レトルトカレーも大好きだが、一口でぜんぜん違うことが分かる。
そしてごくんと飲み込むと、後からじわじわと辛さと旨みが広がっていく。口と喉がぽかぽかしてきた。
俺たちは無心で次の一口、また次の一口と食べてしまった。
「笹川くん」
「課長」
俺たちはまたほとんど同時に呼びあった。
「……先に言って良いぞ。」
「課長こそ……。」
またタイミングが被った。
そしてしばらく見つめ合っているうちに、2人でふふっと笑い出してしまった。
「……それ、一口くれないか?」
「やっぱり。僕も同じことを聞こうとしてました。」
そして互いのカレー皿をズズッと相手方に寄せ、互いのスープを一口すくって飲んだ。
か、辛い。見た目通り辛い。口がピリピリする。ごくんと飲み込むと、熱いものが通って行くのを感じた。でもただの激辛、というわけではなさそうだ。後からスパイスの風味が口へと抜けていく、が、辛い。
「美味しい、けど、辛いね……!」
「ああ、課長、無理しないでください……そうだ、ラッシーで中和してください!」
ラッシー?ああ、この白いドリンクか。ラッシーをストローからすするとヨーグルトのような甘くて優しい味がして、カレーの痛みを消してくれた。
ああ。良い気持ちだ。なるほど、だからラッシーが人気なんだな。
「大丈夫ですか、課長?」
「ああ、美味しいよ……辛い、けど、癖になるな!」
「そうなんです、癖になっちゃうんですよね!」
「……俺の方のカレーはどうだった?物足りなくないか?」
「全然!こちらは、具材やスパイスを味わいやすくてすっごく美味しかったです!」
「そうか、良かった……じゃあ、そろそろ具材に取り掛かるかな。」
とりあえず俺はじゃがいもを2つに割って、カレーを浸して食べてみた。
美味しくないわけがない!じゃがいもの豊かな甘さとカレーがじんわり合う!
ふと顔を上げると、笹川くんはチキンを砕いて食べ始めていた。
「すごい、スプーンで砕けるくらいチキンが柔らかいです!……うん、味もしっかりしみていて、より旨味が引き出されてます!」
「俺もザンギを食べるぞ……うん、このちょっとジャンキーなザクザク感、最高!」
そうして、俺たちは夢中でカレーを食べ進めた。米、野菜、肉、そしてスパイス。素晴らしい四重奏が口の中で広げられていた。
食べているうちにじんわりと体温が上がっていくのを感じた。今なら、何でもできる気がする。そう考えて、このとき気になっていたことを尋ねてみた。
「……なあ、笹川くん。悩みごととか、ないか?」
「……え?」
突然の俺の質問に面食らった顔をしていた。
「いや、俺の考え過ぎかもしれないんだけどさ、店のメニューを見ているときとか、カレーを見たとき、一瞬、複雑そうな顔をした気がして……。」
「いえ、そんなことは……。」
笹川くんは言葉では否定しつつ、何だか言いたいことがありそうな顔をしていた。
「仕事でわからないことでもあるか?」
「いえ、皆さん優しくて、大丈夫です。」
「じゃあ、もしかして、カレーの気分じゃなかった?」
「いや、カレーは好物です!」
「じゃあ、実は何日も連続でカレーだったとか?」
「……え?」
「せっかくカレーの辛味で老廃物を排出してるんだ!心の老廃物も出してほしいんだ!」
俺の言葉に笹川くんは少し顔をほころばせた、気がした。
そして、決心したのか、少し顔を赤らめつつ、苦々しい表情をしながら、
「……笑わないで聞いてくれますか?」
「ああ!もちろんだ!」
どーんと聞いてほしい。
「実は、」
「うん!」
「僕、」
「うんうん!」
「にんじんが、苦手なんです!」
「…………え?」
予想外の答えに俺はキョトンとしてしまった。
「小さい頃からにんじんだけは好きになれなくて。」
「そ、そうか……。」
それだけ?という言葉を俺は必死で飲み込んだ。が、顔に出ていてしまったらしい。
「ほら!やっぱり課長も子どもっぽいって思いましたよね!?だから言うの嫌だったんですよ!」
「いやいや、そんなことはないぞ!にんじん、俺も小さい時は嫌いだったし。」
「でも、小さい時だけですよね?大抵の人は大きくなるにつれて克服しちゃうんですよ!」
う、うーん、そうかもしれないな。そう考えて首をひねっていると、
「僕の場合はファミレスのハンバーグのにんじんが本当にトラウマでトラウマで……。
きんぴらごぼうとかに入ってるやつならいけるんですけど、大きな塊はやっぱりしんどくて。
いつもはこっそりにんじんを残しちゃうのですが、課長の目の前でものを残すのも気が引けてしまい……。今日もメニューでにんじん抜きのが無いか調べたのですが無くて!」
と、笹川くんは力説し始めた。
「別に気にしなくて良いんだよ!?俺だって苦手なものもあるしな。……何なら、俺が君のにんじんを食べるよ。」
「い、い、え!どうせなら食べてやりますよ!」
彼はムキになっているようだ。
「トラウマもデトックスしてやりますよ!!」
大丈夫か!?……と思いつつも、ちょっと面白いので、彼のにんじんとの格闘を見守ることにした。
笹川くんはにんじんにスプーンをそっとさしこみ、一口大の大きさに切り取った。その瞬間、彼は、おや、という表情をした。
そして、カレーのスープによく染み込ませて、顔の前までスプーンを持ってきた。そしてしばらくにんじんと対峙した後、覚悟を決めた顔をして、勢いよくスプーンを口に突っ込んだ。
ぱくっ!
すると、彼ははっとした顔をしてつぶやいた。
「あれ……美味しい?」
俺はその言葉にほっと胸をなでおろした。
「そうか、美味しいか、良かった!」
「いつものにんじんの塊と全然違う……すごく柔らかいし、独特の臭みや甘さもないし、むしろ旨味を感じる……。」
「うんうん、きちんと煮込まれているから、味がしっかり染み込んで美味しいよな!」
確かにファミレスの付け合わせのにんじんとは全然違う。(もちろんあれはあれで良いものだとは思うが。)
そのまま笹川くんはにんじんをパクパクと食べ切ってしまった。
「すごい……克服しちゃいました!」
「おめでとう!……よし、俺も食べるぞー!」
その勢いのまま、俺たちはスープカレーをあっという間に完食した。
「ごちそうさまでした!」
カレー屋からの帰り道。
笹川くんがぽつりと話し始めた。
「あの……今日はありがとうございました。」
「え?ああ、あのカレー屋、美味しかったよな!」
「ええと、それじゃなくて……それもそうですけど……悩みがないかって聞いてくださり、嬉しかったです。」
「あー……まあ、上司として、部下の悩みは聞いておきたいしな。でも、気のせいだったらどうしよう〜、とか、余計なお世話かな〜、とか、結構気にしてたから良かったよ。」
「確かに、人によっては熱血すぎるとか踏み込まれたくないとか感じるかもですが。」
「あ、やっぱり?」
「……でも、僕は嬉しかったです。課長が親切心から仰ってくれてることも分かってましたし。まあ、今回はどうでもいい悩みだったんですけど、きちんと見てくれたんだなあ、って。」
「……。」
「あ、あと、気軽に話せる環境って嬉しいですよね、コロナの時は気軽な悩み相談ってできなかったので。」
「笹川くん……。」
彼の素直なお礼で、胸に熱いものを感じた。
言われてみればそうだよな。小さな相談って、こういう食事の場がないとやりにくいものがあるよな。わざわざメールするのも気が引けるだろうし。
「だから、ありがとうございました。」
「……いやあ、こんなおじさんでいいなら、いつでも話を聞くからな!恋バナでもぐちでも、何でも話してくれ!!何て言ったって俺たちは……。」
その後の言葉に詰まってしまった。俺たちは何なんだ?毎週火曜日に一緒にランチを行くだけの関係。その他では仕事やプライベートで別段仲良くしている訳ではない。
「……ええと。」
「ランチ同盟、ですかね。」
俺が続きの言葉を探していると、笹川くんがさらりと言った。
「ランチ同盟……。」
「ええ。毎週火曜日に、美味しくてお手頃なランチを楽しく食べる、同盟です。」
なるほど。同盟か。かっこよくてちょうどいい。格式ばらず、無礼講すぎず、いい。
「……そうだな!ランチ同盟として、何でも話してくれ!」
「……ありがとうございます。」
笹川くんは微笑みながら言ってくれた。
「それじゃあ、僕、午後は得意先に行かなきゃなので、この辺で。」
「おお、頑張ってくれ!」
「はい、カレーパワーで頑張ります!」
そう言うと、笹川くんは駅へ向かって歩き出した。俺はその優しい背中を見つめていた。
すると視線に気がついたのか、笹川くんがこちらへくるりと振り向き、
「……課長!」
と叫んできた。
「どうした〜!?」
俺も聞き返すと、
「来週も、ランチ、ご一緒したいです〜!」
と言ってくれた。
「こちらこそ、よろしくな〜!同盟だろ〜!!」
と叫び返した。
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