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女はあまり面識のない佐伯の死に、必要以上のショックを受けているようだった。彼女には情緒不安定なところがある。佐伯と親しかった春湖を心配して通夜に来たはずが、結局は一番取り乱していた。
そんなわけで、春湖の言い分は最もだったが、悲しむ人間に暴力を振るう理由としては弱いように思えた。ましてや、葬儀場で喧嘩を始めるなんて迷惑この上ない。
数秒のタイムラグの後に、ぶたれた女が春湖の言葉の意味を理解する。その顔が怒りに歪んだので、俺の隣にいた先輩が「うわ、やべ」と呟いた。お前も来いよ、と俺に目で合図を送ってから、彼は二人の方へと駆け寄る。俺もその背中を追いかけた。
「春湖」
先輩がぶたれた女を宥めに掛かったので、俺は春湖に近付いた。名前を呼んでも、彼女は相手を睨み付けたまま動かない。
「周りの迷惑だから、出よう」
もう一度声を掛け、後ろからそっと両肩に触れる。すると、目には見えなかった細かな震えが手のひらに伝わってきた。
無論、彼女は寒さに凍えているわけではない。怒りに打ち震えているのだ。
肩に手を置かれた春湖は、たった今気が付いたとでも言うように、ぼんやりと俺の顔を見た。その瞳に理性が戻ってきたような気配がして、
「周りの迷惑だから、出よう」
先ほどの言葉を繰り返すと、春湖は小声で「そうね」と頷いた。
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