3人が本棚に入れています
本棚に追加
空からはいつの間にか、初雪が降ってきていた。予報よりも幾分早い。雪片の細かさが、現在の凍えそうな寒さを物語っている。
だが、俺も春湖もその場から動かなかった。そもそも、彼女は降雪に気付いてすらいないだろう。
「……ごめんね、取り乱して」
ややあって、春湖の掠れた声が聞こえた。ハンカチを顔から外して、か細い息で深呼吸する。
春湖が眼鏡を外したところを見るのは初めてだった。
意外と美人だった、というわけでもない。平凡な顔立ちだ。ただ、眼鏡を外すことで、彼女を取り巻いていた堅苦しいムードが取り払われて、優しそうな柔らかい表情になった。
笑われるのを承知で言えば、名前の通り、春の湖のような印象だ。優しい日差しに見守られた凪いだ水面と、湖上にうっすらと掛かる靄。派手さはないものの、穏やかで落ち着きがあって、見ているとホッとするような顔だった。
泣いたせいで目の赤い春湖を見ていたら、
「あっ」
急に気付いたことがあり、俺は驚いて彼女を指差した。怪訝そうな視線を向けられ、慌てて指を引っ込める。
「どうしたの?」
涙を止めて真っ直ぐに俺を見る春湖に、たった今の発見を伝えた。
「どこかで見たことがあると思った。眼鏡を外した春湖の顔って、佐伯が描く女の顔に似てる」
そう。春湖の外見が纏う雰囲気は、佐伯の絵から放たれる個性とそっくりだったのだ。モデルの美女とは似ても似つかないが、佐伯が作品に追加する架空の要素――まるで、静かに澄んだ湖のような――は、今俺が彼女から感じたものと同じだった。
最初のコメントを投稿しよう!