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ハルコホリック
自殺した佐伯の通夜の席で、島永春湖が友人の頬を張った。
酷く冷えた冬の日だった。深夜には初雪の降る予報で、凍てついた外気に頭部を刺されながら、俺は葬儀場へと足を運んだのだった。
通夜が滞りなく終わり、さっさとこの場を後にした方が良い、というタイミングで、唐突に喧嘩が始まったのだ。
ぶたれた女は赤らむ頬を手で押さえ、どうして? と問いたげな視線を春湖に投げている。
それは俺も同様だった。
死んだ佐伯も春湖もぶたれた女も、俺が通う美大の同期生だ。春湖とは二年近い仲だが、突然暴力を振るうような人間には見えなかった。一体、何があったのだろう。
春湖は眼鏡の奥の瞳を苛立ちで揺らしながら、感情的に震える声で言った。
「例え時が巻き戻ったって、あなたに出来ることなんかない。何かしたとしても無意味よ。きっと佐伯君は自殺するわ。いいえ、むしろ、あなたは何もしないでしょうね。断言する。あなたは自分のことしか考えられないんだから。これ以上、佐伯君の苦悩を自分の物にして楽しまないで」
春湖の剣幕に、ぶたれた女がぶたれる直前に口にした言葉を思い出す。彼女は涙と鼻水で顔を濡らしながら、ヒステリックにこう喚いたのだ。
『佐伯君が死なないために、もっと私達に出来ることがあったんじゃないかな? 誰かがあの人のつらさを受け止めていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかな?』
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