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「おかあさん…」
それを聞いた僕は、また、頭が真っ白になってしまった。
今度こそ、本当に怒りでティッシュ箱の、すでにぺちゃんこになってしまった黒猫を、おかあさんが覗いて顔を出すはずの出入り口に向かって投げつけていた。
「おとうさんは?」
「おとうさんじゃなきゃ帰らない!」
いつの間にか、ぼくの横に立っていたおかあさんと先生が、仰向けで床の上を背中で這いずり廻りながら、家のリビングより天井の少し高い教室のごく低い、床のぎりぎりの高さの空中を、4歳児にしては、とてつもない強さで蹴り続けるぼくを、必死で押さえつけようとしていた。
ぼくの頭の中は、相変わらず真っ白になっていたので、誰に何をされたのかは、もちろんはっきりとは覚えていないのだが、時々ぼくの顔を覗き込む先生の顔は、本当に困ってしまっていたし、おかあさんは、とても寂しそうな顔をしていたことだけははっきりと、今でも思い出せる。
そして、その後どうやって、おかあさんの車に乗せられ、家にたどり着いたのかは、全く思い出せない。
多分ぼくは、お母さんの車の中で眠ってしまったんだろう。
ふと気がついた時、ぼくは、いつものタオル生地がいっぱいほつれたお気に入りのタオルケットにくるまっていた。顎の一番とんがった部分の左側のいつものところに、ほつれた糸が毛玉になっている部分をこすりつける。こうすると、なぜだかすごく安心する。それから、ほつれた糸をちょっと口に含む。何かの味がするわけではないけれど、ちょっと泣いてしまった日は、いつもここをちょっと口に含んでしまう。
こんなところを、おとうさんやおかあさんに見られたら、多分「もう赤ちゃんじゃないんだから。」って、言われるのは、わかってる。
こんな糸くず、全然美味しいわけでもなんでもない。
でも、ゆっくり舌先でころがしていると、自分の唾液がじんわりタオルケットに染み込んでいく。
窓に掛かる、カーテンの向こうはまだ暗い。でも、こうしてタオルケットの糸くずをなめていると、ぼくは眠り薬でも飲まされたように、また眠りの中にひっぱり込まれるのだった。
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