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紙細工
その後、ぼくは、朝ごはんを食べたんだったか、どうしたんだったか、今ではもう思い出せずにいる。それに、どうやって幼稚園に着いたのかも、なんだか記憶が抜けている。
覚えているのは、教室にお友達も先生も、いつもの様にそこに居たにもかかわらず、ぼくは、なんだかひとりぼっちだったって事だ。
先生も、おともだちも、みんないつもの様に話しかけてきたんだったとは、思うのだけれど。でも、僕は、ただひとりだけ、カプセルの中に入って居て、教室の中をぷかぷか浮いて漂って、ただその空間に居ただけだった記憶しかない。
僕の大好きな工作の時間も、僕は、ただハサミを色画用紙に直角に当て、細かく、細い切れ込みを無数に、機械的に、さくさくさく、と、一定のリズムで作り続けていた。
もう少し大きくなってから、このハサミの使い方は、切り絵師の人がハサミの使い方の練習で、修行に使う練習方法の一つだと小耳に挟んだ事があったけれど、その時のぼくは、そんなことは全然見たことも、聞いたこともなかった。でも、紙に丁寧に、ハサミの腹のできるだけ奥の部分を直角に当てる。さくりとした感触を感じながら刃を閉じて切れ目を入れる。そして、素早くハサミをほんの数ミリ横に動かしてまた、さくり。
一本一本の切れ目を、あまり猫のヒゲのように細かくしようなどと言う邪心を起こすと、その糸のような紙は、容赦無く元の紙からこぼれ落ちてしまう。だけど、大抵は、ぼくは紙の糸を切り落とさずに、さく、さく、さく、と、無心に切れ目を作り出していく事ができた。これは、紙の端まで切ったものを丸めると、丁度おかあさんの鏡の置いてあるテーブルの上にある、お化粧用のブラシのようになる。
僕はやっぱり、その紙のブラシの穂先を顎のとがった部分と、左の少し窪んだ部分で感触を確かめずには、いられなかった。
紙のブラシの穂先が、ぼくの顎を優しくなでる。
なんだか気持ちよくて、ずっとなで続けたくなって、ぼくは顎の感触に神経を集中させてしまう。もう、ぼくは、カプセルに乗ったまま、園の教室から飛び出してしまっているようだ。どこにいるのか、現実感はないし、教室の景色も、お友達や先生の姿も、すりガラス状のカプセルの向こう側で、何も見えない。
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