雪の思い出

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 重い気分のまま足を進める。椿は自身の死んだ記憶を断片的にしか覚えていない。  目の前に見えたのは妹の楓だ。ボアのある真っ白なコートに身を包み、肩まである栗色の髪の毛を揺らしながら椿に話しかけた様に見えた。 「お姉ちゃん。久しぶりだね。」  そう言って椿は人懐っこい笑みを浮かべる。楓の視線の先にあるのは桐生院家の墓だった。雪に埋もれた墓の前に持参した椿の花を置く。  さっき青山は椿は楓に殺されたと言った。目の前にある楓の人懐っこい表情が急に恐ろしくなり背筋が震えた。 「なぁ、楓。」  そう言って、楓に声をかけ肩に触れる。触れようとした手は通り過ぎ、声も届かない。  楓は椿に背を向けたまま、桃色の手袋でパタパタと墓の上に積もった雪を落としていく。桐生院家の墓にはしっかりと先祖の名前と共に椿の名前が刻まれていた。楓はゆっくりとその名前をなぞった後、目を瞑りしばらく手を合わせた。  暫くして気が済んだのか、楓が墓石に向かって話し始めた。 「お姉ちゃん。私ね、喪が明けたら(たくみ)さんと婚約する事になったの。」 「匠とは誰だ。」  聞こえない筈なのについ返事をしてしまうのは生きていた頃の名残に違いない。勿論、楓から返事があるはずも無いので薄れかけていた記憶を必死に掘り起こす。  確か、円城寺(えんじょうじ)(たくみ)。不動産から、ホテルの運営等幅広い事業を経営する円城寺グループの御曹司だったはずだ。高身長で、爽やかな外見の男だった。椿にとっては何も魅力を感じない男であったが、世間一般的には好青年の部類に入るのだろう。  勿論、桐生院家も大きな屋敷で使用人が何十人もいる様な生活をしていた。世間から見れば十分円城寺グループに釣り合う血筋に間違い無い。椿は生前、匠の婚約者だった。所謂政略結婚だ。隣に目をやると楓は曇り空の様な表情で墓石を見つめていた。  顔合わせの匠の様子を思い出す。匠の家族と私の家族。其々の家族同士で料亭に集っていつか挨拶をした。その時は匠は酷く楓を気に入っている様だった。勿論、楓も。  だからこそ、椿が亡くなった後婚約する運びになったのだろう。そうでなければ死んだ婚約者の妹を娶るなど悪趣味な事はしないだろう。 「匠の婚約者になりたくて、私を殺したのか?」  勿論、返答などないのに一応問う。生者の名残である。 「お姉ちゃん、あのね。あの日の事故調べたのよ。納得いかなくて。」  相変わらず墓石を見つめたまま淡々と楓が話す。思った返答では無いが面白い事を言い出した妹に、視線を送った。 「雪の山道を走っていて、カーブを曲がりきれなくて谷底に落ちたの。車ごと。」  楓が喋るたびに白い息が上がる。 「そうだろうな。」  椿が喋っても白い息は上がらなかった。記憶を辿ってみても、死んだ原因は多分そんな所だろう。 「だけどね、タイヤが滑った訳でもなければ、ブレーキ痕もなかったの。」 「あの日、運転していたのは青山だったか。」  きっと、そうだ。だから青山も私と死んだのだ。鈍色の空から、雪が落ちてきている。きっと椿は寒いだろう。 「……お姉ちゃんのこと、青山が殺したのよ。」  蚊がなく様な、か細い声で、楓は呟いた。相変わらず虚に墓石を見つめている。さっき、供えられた椿の花の上にはもう、真っ白な雪が積もり始めていた。
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