Nobody Knows

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 この世界の全てが嘘だったら、なんて誰しもが一度は考えることだろう?  成長痛のように訪れる、想像力が広がり突拍子もないことを考えてしまう『そういう段階』だ。  大人になった今でも俺は、たまに考える。  もしもこの世界の全てが嘘で、誰かが作ったものなら。  だとしたら、その作り手は随分と底意地が悪い。  神だか、仏だか、アーティストだか、ミュージシャンだか、監督だか。そんな作り手に対して思う。  もっと順調な人生を歩ませてくれればいいじゃないか。  そもそも誰かに動かされているなんて、ごめんだね。  やりたくもない仕事をして、休日は一人で夕方まで眠り、夜には酒の力を借りて眠る。  そんな毎日の繰り返しだった。  俺は退屈な日々を信じたくなくて、この世界が嘘だと信じたかった。 「なぁ、アンタ。全部ぶっ壊したいって顔してるぜ。もしくは、腹痛でトイレに駆け込みたいって顔だ。神を憎むか、神に祈るか、そんな表情をしているのはどっちかだ」  近所の酒場のカウンター。一人で安い酒を飲んでいた俺は、隣に座っていたスーツの男に話しかけられる。  吊るしのスーツにはない高級感を纏ったビジネスマン風の男性。  清潔感があり、安酒場にはそぐわない雰囲気を醸し出していた。 「何ですか、いきなり」  明らかに俺よりは年上だと一目で分かった。三十代後半といったところだろう。  一応敬語で返答してみた。  すると男は、飄々と微笑む。 「なんだ、随分とありきたりな返答だな。面白くないって顔してるくらいだから、面白い返答を期待していたんだが」 「何ですか、面白い返答って。オーマイゴッドとでも言えばいいんですか?」 「それも面白くないな。面白みがないじゃなく、面白くない。そりゃあ、つまらない人生でも仕方がない」  なんだ、この男は。  随分と失礼なやつだな。こうなればもう、敬語など必要ない。 「喧嘩売ってるのか?」 「別にそんなつもりはない。ただ、面白くないって思ってるなら、面白いことにでも誘おうかと思っただけさ」 「面白いこと? 違法な薬物でも売りそうな言葉だな」 「ははっ、その返しは面白い。だが、そんな悪戯じゃないさ。薬物に頼らなきゃ楽しめないなんて、低レベルな話すぎるぜ」  男はそう言いながら、コップに入った蒸留酒を飲み干す。  それに釣られて俺も自分の酒を飲み干した。一気に摂取したアルコールは喉に熱を残し、胃袋へと消えていく。  煮え切らない感覚を飲み込み、俺は男に問いかけた。 「じゃあ、何をするって言うんですか。ダブル・アクトでもしてみますか?」 「アンタと組んで、面白いダブル・アクトは出来そうにないな。けど、面白いことはできる。新しい世界を作るのさ」 「世界を作る?」  分かった。この男は泥酔しているんだ。  そうでなければ、こんなことを笑わずに言えるはずがない。  しかし、男は至って冷静な様子で頷く。 「そうさ。世界ってのは簡単に作れるんだぜ」 「マジで一ミリも意味がわからない。国を作るとか、そんな話の方がまだ現実味がありますよ。世界を作るって何ですか。もう一つ地球を作るとか?」 「だからアンタは面白くないんだよ。世界ってのはもっと身近にある。たとえば、アンタにとって職場とこの酒場、狭いアパート、安い酒、それが世界の全てだろう」 「馬鹿にしてるよな、やっぱり」  そろそろ酒をぶっかけて怒鳴ってやろうか。  あ、そういえば飲み干したんだった。  俺がコップを握りしめると、男は更に言葉を続ける。 「つまり、だ。誰かにとっての世界を作ればいい。不幸な人間を見つけて、手を差し伸ばしてみろ。自分に依存されるような状況を作り出せば、その相手にとって自分こそが世界の全てになる。それは世界を作り出すことと違いはない」 「言ってることは何となくわかるけど。それと、俺に声をかけたことと何の関係があるんですか」  世界を作り出す、という言葉の意味は分かった。けれどそれだけだ。  それ以外、何もわからない。  すると男は足元から銀色のアタッシュケースを持ち上げ、カウンターにドンと置いた。  驚いた俺は、椅子の背もたれに体を預けるようにして仰け反る。 「な、何だよ、これ」 「開けてみな」 「は?」  一気に戸惑いの中へと放り込まれたが、好奇心が働き、俺はアタッシュケースを開けた。  想像していたよりも、開けるのに手間取ってしまう。簡単には開かないようになっているようだ。大切な物を運ぶためのケースなのだから、そういうものなのだろう。  ようやく開くと、中には『あの偉人』の顔が並んでいた。  正確には百ドル札が、規則正しくいっぱいに詰められていた。  有り体に言えば、人の命さえ左右できるほどの大金。札束。 「か、金? しかもこんなに? これ一体」 「百万ドル。まぁ、一般的な生涯年収には届かないけれど、大金だろう?」 「大金っていうか、おままごとで遊ぶ子どもが冗談で言う金額だよ。百万ドルなんて」 「そうだな。アンタからすれば冗談みたいな金額だろう。それをやるよ」  俺は自分の耳を疑った。  今、この男は何を言った?  俺に百万ドルを譲渡する。そう言ったのか?  頭の中で繰り返してみるが、現実味はない。あるはずもない。 「何言ってんだよ。こんな大金」 「やるって言ってるんだ。これがあれば退屈な人生に風穴を開けられるだろう? これが面白いことさ」 「まさか、さっき言ってた世界を作るって……俺を依存させるってことか? 不幸そうな俺に手を差し伸ばしてみる、そんなところか」 「アンタを依存させて何になる。いい女にでもなったつもりか? まぁ、実は女で、主演女優賞でも貰ってるってんなら話は別だがな」  話を聞くたびに疑問が増えていく。なんだ、この現象は。   「じゃあ、どういうつもりなんだ」 「この百万ドルで何か面白いことをやってみろよ。俺はそれが見たい。それだけだし、世界の作り方は教えてやっただけだ。そんで、こいつで撮らせてくれ」  男は更に足元にあった四角形の鞄を取り出す。  その中から、やけに高そうなカメラが出てきた。 「撮らせてくれ、って何者なんだ。動画投稿者とか?」 「ただの動画投稿者がポンと百万ドル出すものかね。まぁ、時代的になくはないが」 「だったら、映画監督とか?」 「俺が何者だっていいだろ。アンタは大金で人生を変えられるし、俺は面白いものが撮れる。それでいいじゃないか」  何だ、こいつ。   「確かに俺は人生に不満を持っているし、退屈してた。けど分かってないな」  俺はそう言ってアタッシュケースを手に取った。  そしてそのまま、中身を男にぶちまける。飲み干してしまった酒の代わりだ。 「俺は嘘とか作り物とか大っ嫌いなんだ。これから何かを喜ぶたび、楽しむたびに、アンタの顔が浮かんでくる。アンタのおかげだって思っちゃうんだろ。そんなのごめんだね」  頭から『偉人』を被った男は、目を丸くしてから笑い始める。 「何だ、面白いじゃないか。最初からそんな表情をしていたら声をかけなかったぜ。やれやれ、俺の目も曇ったもんだな。また探さなきゃならんじゃないか」  男はそう言い放ち粛々と金を拾い集めた。  その中から一枚抜き取り、カウンターに置くと振り返りもせずに店を出ていく。  これは俺の人生の中で一番大きな事件であり、何も起きなかった一夜のことだ。  それから何ヶ月か経った頃、駅の看板に新作映画の告知が貼られていた。 『不幸な男が百万ドルを手にしたら』  そんなタイトルのドキュメント映画らしい。監督の欄には映画に疎いう俺でも知っている名前が掲載されていた。 「もったいないことしたかな」  俺はぼそっと呟く。  すると隣を歩いていた彼女が首を傾げた。 「何か言った?」 「ううん、何も。君と出会った夜のことを考えてた」 「何それ」  そう彼女が笑う。 「俺らしくないセリフだったかな」 「君は最初から、少しだけ変だったよ。あんな夜中に公園のベンチで座っていた私に、声をかけてきたんだから。ナンパするなら、街中でしないと」 「それは君が」  不幸そうに見えたから。  俺は言いかけてやめる。そんなつもりじゃない。ただ、何となく誰かと話したかったんだ。非日常的な出来事を忘れたくて。 「何でもない」  誤魔化しの言葉を吐いてから、もう一度新作映画の告知に視線を向ける。 「百万ドルを手にしなかったから手に入った幸せもあるんだよ」  カメラ越しでは想像もできない展開だろう。なぁ、監督。  この世界が全て嘘で、作り物だとしても監督の指示には逆らえるんだ。  自分で選んだ道なのだから、退屈で面白くなくても進めるしかない。  真っ黒な画面にエンドロールが流れるまで。
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