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貧乳の女は胸が小さい女性が好きな男性もいると思いたいのだろうが、男は出来れば大きい方が良いと望むもので態々小さい方を望む者は稀だ。そりゃあ爆乳とかデカすぎるのは大抵垂れてるしデブだから考えもんだが、程良く大きく整った代物を望むのが正常で貧乳を望むなんてぇのは言うなれば変態だよ。が、貧乳の女はロケットおっぱい好きこそ変態よと思うものらしい。
ま、女に男の気持ちが分からないのはしょうがないし、女を外観的に美しいか醜いかの視点で見て価値を決める、つまり物品の品定めをするように物として見る男を致し方ないとは認めまい。そんな矜持もあり女は男同様人権を求め、それに応えるように男女平等は素よりジェンダーレスが叫ばれる時代になった。
で、芸人も昔のようにやりたい放題に女遊びが出来なくなって松本人志のように性加害で訴えられたりする世の中になったが、大体、今、女がどうのこうのってうるせえんだよとビートたけしがタイミングよく発言したのでそれについて考えてみたい。今時こんなことを公言出来るのもそう公言しても許されるのもビートたけしくらいなもので多くの男が痛快に感じたものか、会場から笑い声を伴いながら拍手喝采が起こった。顧みればセクハラ問題が取り沙汰されるようになってから男は欲情を自由に発揮出来なくなって久しい中、そう言いたい気持ちはよく分かる、よくぞ言ってくれたと思う男も多いだろう。が、芸人に人権はいらない、芸人は治外法権だからと言って女遊びしてなんぼとばかりに女遊びするのは、寧ろ女に人権がないように遊んでも芸人は罰せられなくても良いと言っているようなものじゃないか。ほぼほぼ松本人志擁護発言だな。にも拘わらず物議を醸さないとは流石レジェンド中のレジェンドだなと皮肉を言いたくなる。ま、無粋なことに既に子供社会ではスカートめくりがタブーになったみたいだし、このまま時代が進むと女遊び自体タブーになってしまうお堅い世の中になってしまうから今回のビートたけし発言を全面的に否定してしまうのは実に味気ないことだ。そう思う男を発奮させる発言をした女が昭和の時代にいた。誰あろう早乙女愛だ。
「女遊び出来ない男なんてちっとも魅力を感じないわ」
じゃあ女遊びさせろとばかりに追っかけてくる男。これは時代劇の一場面だ。女郎に扮した愛は男を振り切ろうとするが、袋小路に嵌って追いつめられる。
「あたしとどうしてもしたいんだね」
「ああ」
「じゃあ、食べな」と言って愛は左見頃を開いてそれはそれは見事な国宝級の乳房を露わにする。そのロケット型に突き出た、この上なく綺麗な弧を描く乳房の丸々とした感じに文字通り花を添える円状の花冠を思わせる乳輪。それに目を奪われた男は狂喜して乳首に吸い付き、脇目も振らずちゅぱちゅぱもみもみ仕出す。
愛は感じて観音菩薩の如く整った顔を悩ましく喘がせ、甘い桃色吐息を漏らす。が、依然として遮二無二になっている男の隙をつき、後ろ手で隠し持っていた匕首を抜いて男の背中にぐさりと一突き。迸る血潮。呻き声をあげ、あんぐり口を開き、虚ろな目で愛の花顔を見上げる男。
「お前如きクソにやらせる訳にはいかないんだよ」と伝法に言ったかと思うと愛はぶっ刺した匕首を更にずぼっと押し込み、心臓を貫く。
男はどびゅっと血を吐いてその場にぶっ倒れ、返り血を乳房に浴びた愛は、不敵に高笑いする、そんなシーンを想像して震撼させられ、ブルブルっと震えるもエクスタシーもしくはカタルシスに似た快感を覚える僕であった。いやあ、美しい薔薇には刺があるどころの騒ぎじゃないね。
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