君に贈る

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「今年はチョコ…ゼロか…」 小さくため息をついて、藤次はカレンダーを見やる。 2/14の欄には、巽屋でバレンタインディナー18時00分〜と書かれていたが、黙ってボールペンでそれを塗り潰して、またため息をつく。 「しゃあないんや。支えきれんかった、ワシが悪いんやから…」 そう呟き、台所で夕飯の支度をしている真嗣を見やる。 「なあ、お前…2/14に、何ぞ予定あるか?」 「えっ?!普通に仕事だけど…何?」 「あ、いやその…飲みとか行かへん?せや!楢山誘って3人で!!」 その言葉に、真嗣は盛大にため息をつく。 「絢音さんとのデートおじゃんになったから、やけ酒…って言うか愚痴に付き合えってこと?」 「えっ、あ、い、いや…その…」 心中を見透かされ、どう返していいか困っていると、真嗣はまた、盛大にため息をつく。 「楢山君は、抄子さんと過ごしたいだろうから、仕方ない。僕だけ付き合ったげるよ。ただし、藤次の奢りだからね?」 「ほ、ホンマか?!おおきに!やっぱお前は、ワシの一番の親友やっ!!」 「ハイハイ。なら、ご飯にするから、食卓、用意して。」 「おう!!」 そうして男2人で食卓を囲み、風呂に入って寝床についた。 ベッドの下で眠る真嗣の寝息を確認すると、藤次はそっと、枕元のスマホを手に取り、待ち受けにしている絢音の笑顔を見つめる。 「…辛抱すんのは、今だけや。バレンタインなんて、これから先、何遍でも2人で迎えられる筈や。せやから今年は…これで我慢や。」 切なげに声を震わせ、小さなスマホの中の彼女を胸に抱く。 「早よ、金曜ならんかな。声聞きたいし、会いたい…」 痛いくらいに締め付けられる胸の中で笑う絢音を見つめながら、せめて夢で彼女に会えればと密やかに願いながら、藤次はゆっくりと瞼を閉じた。 * 「えっ?!ウチにくれるの?!」 木曜日の、花藤病院の精神科閉鎖病棟。 戴帽式も間もない新米看護師宮子は、初めて受け持った患者…絢音からの贈り物に瞬く。 「うん。みやちゃん、いっつも良くしてくれるでしょ?だから、お礼。」 「そんなん仕事やし当たり前え?ホンマはあげる人、いてんやろ?いつも金曜日来てくれてる、あの優しそうなお兄はん。…間違うてたら悪いけど、彼氏さんなんやろ?」 その言葉に、絢音は静かに首を横に振る。 「良いの。みやちゃんには悪いけど、そんな不恰好なもの、私恥ずかしくて…藤次さんには渡せない。バレンタインもね、ホントはデートの予定だったの。でも、私が弱いから、ダメにしちゃった。だから、仕方ないの。思い合ってさえいれば、また来年…きっと2人で過ごせるわ。だから今年は、良いの。」 「そやし…」 「売店行く人ー!そろそろ鍵開けますから、入り口集まって下さーい。」 「あ!日用品の買い出し行くんだった。じゃあねみやちゃん!不恰好だけど、ホントそれ、受け取ってね!」 「そやし絢音ちゃん!」 引き止めたが、絢音は急足で閉鎖病棟の入り口へと向かっていったので、宮子は手の中の…ブルーの毛糸で歪に編まれたマフラーを見やる。 「ホンマに、なんでこない綺麗な心の娘が、こんな時期に、こんなとこにおんねんやろ…神様はほんに…イケズやなぁ…」 そう言って、数人の患者と扉の向こうに消えていく絢音の背中を見つめていたが、看護師長に名前を呼ばれたので、宮子は業務に戻った。 * 「えっと、ボディソープと…歯磨き粉。後は………わあ!このパジャマ、可愛い!」 看護師に連れられて絢音がやって来たのは、花藤病院の売店。 長期入院の患者のために、日用品や衣料品まで置かれた大きな売店で、必要な物を買い揃えていると、目に飛び込んだのは、ピンクの生地に、胸元のポケットに2匹の猫が仲良く寄り添っている刺繍の施された、一枚のパジャマ。 「…お小遣いまだあるし、明日…金曜日だし、買っちゃおうかな?」 頬を染め、明日会いに来てくれる藤次の事を思い浮かべながら、ハンガーからそれを外そうとした時だった。 トンと、すれ違った外来患者の男性と、肩が触れ合う。 「あっ………」 すみませんと謝罪をされたが、男の肩の感触を身体で感じた瞬間、絢音の中の暗い記憶…安藤浩一に犯された記憶が鮮やかに蘇る。 「やぁ……いやあああああ!!!」 「!!」 その場にいた付き添いの男性看護師が、すぐさま異変に気づき、絢音に駆け寄る。 「笠原さん!!落ち着いて!!病院ですよ!!大丈夫!!」 「いやあっ!!!来ないで!!男の人はイヤ!!いやああ!!」 叫んで、頭を振り、パニックになっていると、視界に飛び込んだのは、果物用のナイフ。 これ以上…こんな思いをするなら… そう思うと行動は早く、絢音はそれを鷲掴みにすると、思い切って手首を掻っ切る。 「笠原さん!!…誰か!!救急の医師(せんせい)呼んで!!早よう!!」 檄を飛ばす男性看護師に押さえつけられながら、失血のショックで薄れていく意識の片隅で、誰かが自分の名を呼ぶ。 −絢音− 「と…うじ…さん?」 優しく自分に笑いかける藤次の顔が頭をよぎり、涙が自然と溢れる。 「ごめんなさい…もう、会えない…」 何もかもどうでも良い… そう諦めて、絢音は意識を手放した… * 「えっ……」 金曜日。 いつものように仕事を抜け出して花藤病院にやって来た藤次は、受付の女性から聞かされた昨日の出来事に、青ざめる。 「幸い、傷浅かったから大事には至らんかってんやけど、興奮状態が酷うてね。今笠原さん、保護室なんですよ。せやから、面会はお断りさせてもろてますのんや。棗さんが一番の薬やて私らもわこてんですけど、規則ですさかい…」 「そんな……いつまで?!いつまでワシ、彼女に会えへんのですか?!」 藤次の問いに、受付の女性はすまなさそうに頭を横に振る。 「笠原さん、もう誰にも会いとうないて言うてますから、保護室出ても、ずっとやと思いますよ?」 「そんな……」 あまりにも唐突に、しかも一方的に、こんな形で、自分達は終わってしまうのか… いや… キュッと瞳に力を込めると、藤次は徐に口を開く。 「分かりました。せやけどワシ、諦めまへんから。あと、差し入れ…食べ物はあかんのですか?」 「あ…えっと…笠原さんは、特に食事制限されてまへんから、ええですよ?ただ、保護室おる間は、渡せまへんよ?」 「分かりました。ほんなら、彼女が保護室でたら、ここの携帯に連絡下さい。何差し置いても、会いにきますから…」 そうして、戸惑う受け付けの女性に名刺を渡すと、藤次は踵を返し、花藤病院を後にしたが、やや待って、彼は振り返る。 「すんません。彼女に伝言…ええですか?」 * 「笠原さん…」 ケースワーカーの狭山が部屋にやってきたので、絢音はキュッと唇を食むと、ベッドから起き上がる。 「藤次さん。来たんでしょ?なんて言ってた?さよならの言葉…」 泣き腫らした顔で作り笑いを浮かべて問うと、狭山は小さく笑い、一枚の便箋を彼女に渡す。 「?」 「棗さんから、伝言。さよならかどうかは、自分で確認し。」 「…………」 恐々それを受け取り、震える手で便箋を開くと、確かに藤次の字で、しっかりと言葉が刻まれてた。 −何があっても、どんな過去がお前を苦しめてても、俺はお前が好きや。守りたい。せやから、何遍でも、何十回でも、会いに来る。バレンタイン…今年は一緒におれんけど、俺の心は、いつでも側におる思うてくれ。ホンマに俺は、心からお前を愛してる。いつまでも待ってる。せやから、保護室出たら、何置いても、会いに行くからな…? 最後に、もう一度言うから、しっかり心に留めといて。俺は、お前が好きや。何よりも、誰よりも。好きや。 棗藤次− 「藤次さん…」 ハラハラと溢れる涙と嗚咽を殺して泣いていると、狭山がハンカチを出してきたので、それで涙を拭う。 「ええ彼氏さんやん。こんなに思うてくれてるのに、ホンマにさよならでええの?」 狭山の言葉に、絢音は頭を振る。 「嫌。絶対イヤ。アタシも、この人のそばに居たい。来年も、その次も、ずっと…バレンタイン、お祝いしたい。」 「せやったら、お薬飲んで、しっかり寝て、早よ…ここ出ましょうね?」 「ハイ…」 * そうして1週間が過ぎたある日の正午の京都地検棗検事室。 いつも通り、真嗣の手作り弁当の味に不満を抱きながらも食べ進めていると、不意にスマホが鳴動する。 液晶を見やると、花藤病院とあったので、思わず立ち上がり、受話ボタンを押す。 「もしもし棗です!……ホンマに?!分かりました!!すぐ行きます!!」 そうして電話を切ると、藤次は食べかけの弁当を机に広げたまま、コートと鞄を取って身支度をする。 「検事。どちらへ?」 「大事な案件の情報仕入れた。すぐ行かなあかん!14時の聴取迄には帰ってくるさかい、雑務頼むわ!!」 「あ、ハイ…」 キョトンとする佐保子に構わず、藤次は駆け足で部屋を後にし、駐輪場に向かった。 * 「絢音!!」 「藤次さん!!」 看護師に連れられて、閉鎖病棟の面会室に駆け込むと、既に絢音が来ており、席から立ち上がると、2人は人目も憚らずキツく抱き合う。 「アホが!!死のうなんてバカみたいな事しよって!!…受け付けで話聞いた瞬間、俺…心臓止まるか思うたぞ!?」 「ごめんなさい…でも、アタシ…」 「言い訳なんか聞かん!!次こんなバカな事しよったら、俺置いて死によったら、すぐ後追って、あの世の果てまで追いかけて、必ず見つけてはっ倒したるからな?!よう、覚えとけ!!…この、阿保…………」 「藤次さん……」 徐々に掠れて行く藤次の声につられて、2人で暫く涙を流していると、やおら藤次が抱き締めていた腕を解き、投げ捨てていた鞄から何かを取り出す。 「なに?」 席について、テーブルに置かれたのは、白いリボンで装飾された、小さな赤色の小箱。 「ワシからお前に、バレンタインや。真嗣に…友達に教えてもらいながら、作った。不恰好やけど、味は確かやから、貰ってくれるか?」 「でも私、何にも用意してない!それに、あなたに沢山心配かけたし…貰えない!!あなたの愛に応える資格なんて、ホントはないのに…なんで…そんなに思ってくれるの?」 その問いに、藤次は優しく彼女に笑いかける。 「そんなん、どうでもええ。愛する事、愛される事に、資格なんてなくてええ。それをワシに教えてくれたんは、他でもない、お前や。せやから、大切にしたいんや。お前のこと。」 「藤次さん…」 「それでもお前が、ワシにさよなら言うんなら、めっちゃ辛いけど…仕方ないて諦めるけど、けどワシは、お前をずっと愛し続ける。ずっと…お前の幸せを願い続ける。凄く辛いけど…お前へのこの気持ち、忘れなんて、ワシには、無理や…」 「いいの?」 「ん?」 「アタシ…側にいて、いいの?また困らせるような事するかもしないのよ?ずっとこのまま、入院生活かもしれないのよ?普通の生活に戻れたとしても、セックスだってできないし、それに…それに…」 「それに?なんや。言うてみ?今言うた事、全部…ワシにとっては、苦にもならんし、別れる理由にも、ならへんで?」 「だからなんで…そんなに、愛してくれるの…?教えて…」 ハラハラと泣きじゃくる絢音の涙を指で拭ってやりながら、藤次は静かに口を開く。 「惚れた腫れたに、理由なんて野暮や。ワシかて、どうしてこんなにお前が好きなんか、もう分からん。せやけど決して、同情や憐れみやない。それだけは、胸張って言える。せやからなあ、そろそろ笑って?お前の笑顔が、ワシは1番好きなんや。な?」 そう促され、何とか涙を堪えながら笑ってみせると、藤次も優しく微笑み返す。 「好きや。なによりも、誰よりも、好きや。せやから、受け取ってな?これ。」 「うん。嬉しい…私も、好きよ。藤次さん…」 そうして、互いに気持ちを確かめ合った後、藤次手製の…少し形が歪なトリュフチョコレートを2人で食べ合い、他愛のない会話をした後、まだ微かにチョコの味の残る口を重ねてキスをして、藤次は名残惜しそうに、面会室を後にした。 「雪や…」 外に出ると、名残の白雪がチラホラと舞っていて、藤次はハアと、白い息を吐く。 「春はまだ先やな…けど、あったかいわ。」 そう呟き、スマホの待ち受けにしている絢音の笑顔にキスをして、藤次は花藤病院を後にする。 格子に阻まれた病院の窓から、去って行く自転車を見つめながら、絢音はそっと、藤次とのキスを思い出すかのように唇に触れて、次の買い出しの時には、お返しになるかわからないが、売店のチョコレートでも買って、ありったけのラッピングをしてもらって渡そうと、心に決めて、作業療法の編み物を始めた。 奇しくも今日はバレンタインデー。 愚痴どころか、幸せいっぱいの惚気話を延々と聞かされた真嗣は、人の気持ちも知らないでと、1人ごちた…
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