蔵王とモンスター。

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 テラスに出ると、蔵王が、綺麗にみえた。まるでスキー場のコース説明みたい。うう寒い。都会の人はどうしてこんな寒いところにわざわざバスに乗ってスキーにくるんだろうね。わたしは地元民ぽくつぶやきながら、部屋の中に入った。わたしが、都会の人はどうしてこんな寒いところにわざわざバスに乗ってやってくるのかねぇは、もう四半世紀は遠いに過ぎた、大学時代のわたしたちであって、去年の秋に、秋の蔵王にいってみたくなって、いった。  なぜいってみたくなったかというと、錦繍という小説の中に、主人公の女性が、あんなやつ死んでしまってもええんちゃうんか、そうちがうか、と父に言われて、京都で心中を図って、女性だけ死んでしまって、命をとりとめた入り婿のような元の旦那さんと、どっこ沼までいく途中のケーブルカーの中で出会うのである。それは胸がしめつけられるほど切なく、また、哀しい再会であって、主人公のもう、わたしは若くはない、という気持ち、とも重なり、静かな大人の女性の恋愛という雰囲気が、わたしは、好きであった。  今もテレビなどでは、彼女いるん、彼氏いるん、とたのしいこと、の延長線上みたいにいうけれども、人の気持ちはからまん棒みたいに、からむと、すごくやっかいなことにもなったりもする。わたしは、その女性の哀しみと、父の命令にしたがって別れてしまったことへの悔やみみたいなものをも感じたりもしたし、誰しもが、自分の人生をよい方にしようと考える。だけれども、その選択のときに人の心をないがしろにすることが、社会通念にしたがって、それがまっとうな正当な判断と若い頃は、おもいがちでもあるけれども、そうでもないようなむすめごころなども存在する。わたしは大学の下宿でその本を読むと、しんとした気持ちになったのであって、自分ではないもっと大人の、吉祥寺にあった名曲喫茶などひとりでいって窓際に佇むことができるような、そんな静かな女性に、こういう、いいところのお嬢様におこる恋愛はなしとその悲恋という感じであって、好きだった。錦秋という題名も好きであって、せっかく仙台に今年夫の転勤に伴って引っ越してきたし、秋の蔵王をみてみたいと想った。蔵王にいくには仙台駅からバスで山形まででて、それから、蔵王に向かう。途中にまんさくのさと、などというバス停もあって、少女の頃みた、まんさくの花という朝ドラのあの、主人公の姉さん。あの姉さんが、本来の日本を代表とする女性であるとの認識を新たにした。ドジで泣き虫で、どうしようもない血のつながりのない妹の成功を蔭からサポートして、あるときはそっとハンカチをさしだし、落ち込んでいる意味をしっても、ちょっとうとい田舎ものを演じて朗らかにすることによって主人公の心を癒してあげる。わたしは、いまおもいかえしてもあの、主人公の姉さんほど、理想的な日本人女性のすがた、あのころ、どこにでもいそうな、やさしいねえさんはいない、と想う。そんなことを考えながらバスは蔵王に着き、わたしは、どっこ沼までたどり着くことができたのである。  驚いたことにどっこ沼は、六甲山植物園の雰囲気とすごくよく似ていた。父と母とわたしと六甲山植物園で無料の音楽会があるよ、とわたしがしらべて、母が運転する車で、父はいつもの助手席に座って、六甲山植物園に向かって音楽を聴いた後、散歩をして、父と母がのんびり歩いていたあたりの場所とすごくすごく似ていて、ああ、似てる、と想った。わたしがもっていた本の表紙にはどっこ沼からみた蔵王がかかれていたのかな、って想った。  それで、その帰りに、少し早めにバス停の小屋で待っていた。ストーブは海外製のものでおしゃれだ。ちょっとずつ、おしゃれになっていて、もう、むかしスキーに来た時にバスを待つ場所にお鍋の前に、男性が二人たっていて、こんにゃく兄弟、とおともだち、と呼んでいたひとたちのことも、もう、しらない、ということであった。  それで、バス停に貼ってあるポスターをみた。ずいぶんと寂しい夜景の写真と蔵王の文字。ずいぶんと寂しいなあと、想いながら、40分くらい待ってバスに乗ったら、ああ、あの夜景はここらあたりをバスでくだっていって、一緒にいっていた、男の先輩が、早々に首にまく、空気入りの枕をして、もう、眠る体制にはいった頃にみていた夜景のポスターであったことにきづいて、気持ちは、また四半世紀以上前のわたしにもどった。  あの頃は、蔵王にスキーにいって、モンスターのような木々をみながら、スキーをするのが楽しかった。モンスターのような木々。それが蔵王にいったらみれるよ。それでわたしもモンスターのような木々と百万人ゲレンデをなだらかなところをすいすいと、観光をしながらすべったりしていて楽しかった。  モンスターのような木々の間をスキーですべれます。  たぶんその頃の蔵王のポスターはモンスターのような木々のポスターだったんだと想う。モンスター。モンスターの意味合いが、いまとはすこしちがっていて白くてふわふわした雲のようなもので、あるかわいらしい、ものという感じであった。そういえば、その頃キャラクターはふわふわしてまるくてかわいらしいものも多かった。  兄が産経新聞長野支局に勤務していたときに、スキーにいく途中の、戸隠でよい感じの風流なそばやがあった。そこはおばあさんひとりでやっていらして、そばをじぶんで打つので40分ほどお時間をいただきますということであった。女子大生だったわたしは、40分、兄と向かい合ってとりとめのないはなしをすることは、ふつうのじかん、みたいな気持ちがしたものだった。  40分待ってでてきた、蕎麦は、本当においしかった。長野にきたぞ、という感じの蕎麦であった。支払いは各々の分を各々が払うことになって、おいくらですか、と尋ねると、500円、とおっしゃって、その小さな手のひらに500円をわたしは置いた。そのひとはにこにこされていて、やさしくて親切だった。  そやけれども。今日はこんな寒いのに、蔵王にスキーにくるなんて、東京の女性は、ものずきやね。そんなことばを四半世紀以上前の、黒髪がつやつやだったわたしにいってしまいそうな地元民になった。  女だてらにスキーなんてねぇ。  なんてことを、大学時代スキー三昧のわたしにいうひともいなく、みんなにこにこと接してくださっていた。  あのとき、ペアーリフトが止まって、長野の春スキー用のスキーウェアを着ていたわたしは寒くて寒くて凍死するんじゃないかとおもったけれども隣に座っている女の子には告げることはなかった。  若い頃ってじゆうでいいなあ、っておもうけれども、もうこのスキーウェア春用で寒すぎぃ、ということも、話すことはないのだ。そう想うと、いろんな面で不自由だったような窮屈だったような気持ちもする。  それだけれども、蔵王のモンスター。  それをみたときの喜びは共通であって、ひとは、喜びの記憶をより多く共有するほうが、なんかいい気がする。窓から蔵王がみえる。わたしはつねに蔵王では微笑んでいて、女子大生はそういうくすくす笑いが似合うのが、やっぱり青春ぽいなあ、って想う。
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