輝板(タペタム)1(猫を狩る 18)

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輝板(タペタム)1(猫を狩る 18)

【登場人物と登場猫】 小田由香里  二人の子供を持つ専業主婦。谷村郁子と岸田と同じマンションに住んでいる。 小田達也  由香里の夫 小田桃実  由香里の娘。小学校1年生 小田陸也  由香里の息子 幼稚園児 岸田    由香里と郁子と同じマンションに住む主婦。第二子妊娠中。 誠(マコ) 岸田の息子 幼稚園児 谷村郁子 由香里と同じマンションに住む主婦。 谷村花梨 郁子の娘。 小学校1年生 坂本    谷村郁子の友人で郁子とは子供を預け合う仲。 テニスが趣味。 坂本真奈  坂本の娘。小学校1年生 井口 小田と坂本が所属する市のテニスサークルのコーチ。 意外に厳しい。 バニラ   坂本家のかつての飼い猫 【本文】 「ママ、起きて。ねえ、花梨ちゃんの家に遊びにいっていい?」  桃実の小さな手で背中を揺すられ、由香里は夢のなかから現実に引き戻される。陸也を抱えて三件目の病院で受付を済ませたところだった。問診表に、友達を紹介すると初診料が半額になると書かれていたので、変な病院だと思いながらも、友達の名前がどうしても思い出せずに、てきとうな名前を書いたところ、そんな人はいないので陸也の診察はできないと言われ、途方に暮れていたところだった。 「桃実、何時だと思ってるのよ。こんな朝早くから」 「もう九時だよ」 「パパは?」 「出かけたよ。お仕事だって」  そういえば夫の達也から、今週は忙しいから土曜日も出勤だと、聞いたような気がした。先週のことだったかもしれない。土曜日ぐらい家にいてくれればいいのに。 「陸也は?」 「寝てる」  時計を見る。鎮痛剤を飲ませたのは、朝の五時ごろだった。耳が痛いと言い出した昨日の晩に夜間診療を受け付けている耳鼻科に連れて行ってしまえばよかった。達也は昨日も帰りが遅く、桃実をひとりで家においていくわけにも行かないので、翌日にしようと後回しにしたのがいけなかったのだ。陸也は風邪の引き終わりに、必ずと言っていいほど中耳炎をわずらう。そのうえ、耳が痛み始めるのはいつも夜の寝入りばなと決まっている。寝ている姿勢だと中耳に溜まった膿の圧力が高まって余計に痛くなるからだ医師からは説明を受けた。薬を飲ませれば、泣き叫ぶほどの痛みは治まるものの、すぐには寝つかない。体を起こした状態で由香里が抱いていなければ、またすぐに目を覚まして痛みを訴えるのだ。とにかく耳鼻科に連れて行かなければ。市民病院なら土曜日も診てくれるような気がするけれど、確認しないとわからない。 「花梨ちゃんのところに、女の子が遊びに来てるの。桃実も行きたい。ねえ、いいでしょ」 「花梨ちゃんとはもうお友達じゃないって言ってたじゃない」   本当は、陸也を耳鼻科に連れて行っている間に、桃実が谷村家で遊んでいてくれるととても助かる。事実、去年の冬はその手で乗り切ったのだった。でも、花梨の母親である郁子が猫のことで揉め事を起こしてからは、とても郁子とつき合い続けることなんてできなくなった。 「だって、幼稚園のみんなが花梨ちゃんはさかりがついてるから近寄っちゃだめって言うんだもん。花梨ちゃん、違う学校に行っちゃったし、もうそんなこと忘れてるでしょ」  親の都合で、子どもの友達づきあいを制限するのもどうかと思うけれど、公園ママを仕切っている岸田に嫌われると、陸也が遊び友達をなくすことになる。何しろ岸田は異常なくらいに潔癖で、猫が大嫌いなのだ。だから、谷村家に桃実を遊びに行かせるなんて無理だ。 「とにかく、ママはりっくんをお医者さんに連れてかないと。花梨ちゃんの家に行ってる暇はないの。でも、帰りにマックにつれてってあげるからね」  どうにかマクドナルドで桃実を丸め込むと、由香里は市民医療センターに電話をかけた。  同じマンションの隣の棟に住んでいるくらいだから、郁子のことはちょくちょく見かけるけれど、互いにあいさつすらしなくなってしまった。猫のことで岸田が苦情を言いに行くまでは、仲良くお互いの家を行き来していたのだった。由香里は仲良くしていたつもりでも、そのころから郁子には嫌われていたのかもしれない。  相当親しくなったつもりでも、郁子はですます調のしゃべり方を変えないし、あまり自分自身のことを話さない。なんというか、腹を割った話をするタイプではないのだ。郁子の夫である谷村は、この辺ではちょっと噂になるくらいのイケメンなのに、郁子に話を振っても谷村のことはほとんど話さない。どこの主婦も、ちょっと水を向ければ夫への不満はいくらでも出てくるものなのに、よほど自慢の夫なのだろう。岸田に言わせると、郁子は、お高く留まっていているくせに、自分のことしか考えてない高慢ちきな女、ということになる。  それに、子どもがひとりしかいないと、些細なことを気にして、子供を過保護にしてしまうのか、花梨はなんとなく甘やかされているような気がしてならない。桃実によると、花梨は幼稚園で孤立してしまっていて、そのまま学区内の小学校に通わせたくないということで、わざわざ頼み込んで、学区外の学校に入学させて、毎日送り迎えをしているらしい。桃実は、いまだに花梨のお弁当はとても可愛くて、キティちゃんの形のごはんが入っていたとか、おやつがいつも手作りだとか、花梨ちゃんは本当に可愛いとか、猫飼っててうらやましいとか、いちいちうるさくてため息が出る。陸也に手がかかるので、桃実のことだけを構ってはいられないのだ。  診療時間の確認をして、陸也を起こし、朝食を済ませて家を出た。幹線に出ると、中央分離帯のあたりに、茶色っぽいものが落ちている。脇を走り抜けるときに、赤い首輪と尖った耳が目に入った。車に轢かれて死んでいる猫のようだ。子どもたちが見てしまっていないか気になって、一瞬後部座席を振り返ったけれど、気づいていないようだった。かわいそうに、と思ったけれどどうすることもできない。飼い主は知っているのだろうか。それにしても、なぜ猫はこんなに簡単に車に轢かれて死んでしまうのだろう。
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