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迷子の仔猫たち 11(猫を狩る 44)
11
晩ごはんは鮭のムニエルと、ブロッコリーとしめじのバター炒めと、わかめとお豆腐の味噌汁だった。すべてが、すごく美味しかった。ママの彼氏というか、今は結婚して夫になった直之が初めて作ってくれた料理が鮭のムニエルだった。直之は料理が上手くて、美味しかったのに、素直に美味しいと言えなくて、食べきれずに半分ほど残してしまった。直之は、葉月に気に入られようといつもおどおどしていたので、直之のいるところでは気が休まらなかったのだ。そのうちに葉月には嫌われていると思ったらしく、避けられるようになった。同居するようになってからは、ほとんど何もせず部屋に籠もっていて、そのせいなのかママの当たりがきつくなって、直之のことは本当に嫌いになった。
桃実と陸也は、夕食の少し前に家に帰った。食事の後に、花梨は小田家に泊まりに行くことになっている。
玄関のブザーが鳴った。
「まだごはん食べてるのに、小田さんってば、せっかちなんだから」
郁子が席を立ち、玄関に向かうとねねがソファから飛び降り、郁子のあとに続いた。ねねは室内飼いの猫だと思ってたけど、小田との会話によれば、ねねは外に出されていたこともあるようなので、ドアを開けた隙に脱走しようとしているのだ。葉月は郁子とねねを追いかけた。
「どなたですか」
「福島美里と申します。あの、谷村さんからお預かりしているものがありまして」
高く、澄んだ声だった。クラスで一番人気の子みたいな少し舌足らずな喋り方。
郁子がドアを開けると、二十代前半と思われる可愛らしい感じの小柄な女が立っていた。郁子は棒立ちになって、その福島と名乗る女を見つめている。ドアをすり抜けようとするねねを捕まえようとした。
「ドア閉めて!」
美里と名乗る女が、ねねの首根っこを素早く押さえ、ドアを閉めた。
「うわあ可愛い。谷村さんが話してた猫ってこの子なんですね。見つかってよかったですね」
「谷村がいつもお世話になっております」
郁子は、美里の言葉には反応せず、棒読みみたいなあいさつをした。
「預かっているものって、何でしょうか? なぜ自分が家に帰ってこないんですか?」
これ以上その場にいてはいけないような気がして、葉月はダイニングテーブルに戻り、花梨の横に座った。
「ねねちゃん、もうちょっとで逃げちゃうとこだった」
「ねねちゃんは、遊びに行ってもちゃんと帰ってくるから大丈夫だよ」
花梨はそう言うと、子供用のブルーの箸で鮭の切り身を器用に一口大に切って口に運んだ。郁子と美里は玄関先でまだ話をしている。声は聞こえても、話の内容までは聞き取れない。
「ねえ、お姉さんのパパってどんなパパ?」
さっきの会話を聞かれていたのか、それとも、家に帰ってこないパパについて、花梨なりに思うところがあるのか。普通の家庭では、晩ごはんは家族揃って仲良く食べるものなのだろう。パパは夕食の時間にはいないことのほうが多かった。いたらいたでおばあちゃんの言いなりになって、ママが嫌味を言われていても、居心地悪そうに下を向いているだけの、救いようのない人だった。
「あんまり会わないけど、まあ優しいかな。あたし、友達と住んでるから」
会うと、厄介払いみたいにお金をくれるのを、優しいと言っていいのかよくわからないけど、小学校一年生の花梨に、あまり家の内情を話したくはなかった。
「花梨のパパは?」
「お仕事忙しいけど、優しい」
「パパ帰ってくるといいね」
そういったものの、郁子はまだ突然やってきた美里と玄関先で話し込んでいる。花梨のパパが家に帰ってこないことと、何か関係があるに違いない。パパが遅くまで帰ってこないと、ママがものすごく怖い顔で、料理を三角コーナーに捨てていたことを思い出し、憂鬱な気分になる。使った食器を洗っていると、郁子と美里がダイニングに入ってきた。
「花梨、お風呂に入ってきて。これから桃実ちゃんの家に行くから」
「はあい」
郁子はほとんど手を付けていない夕食にラップをかけて冷蔵庫にしまった。
「またお子さんを預けて出かけるんですか?」
泣きそうな顔で、美里が言った。
「他人の家の事情に首を突っ込むのはやめてくれないかしら」
「嫌です。谷村さんが可哀想で、見ていられないんです」
「あ、あの……今日これから出かけるのはあたしのせいなんです、いろいろ事情があって……」
郁子に悪いことをしてしまったと思い、弁護してみたが、ふたりともそれには反応しなかった。
「とにかく谷村さんに謝ってください。謝るって言うまでここを動きませんから」
「帰って来たければ帰ってくるでしょう。私たちのことなんてどうでもいいから帰ってこないのに、なんで私が謝らなきゃならないの?」
「私、写真を見たんです。ああいう写真を撮るような仲の人がいるんですよね」
「ちょっと待って。裕二があの写真をあなたに見せたの?」
「私が勝手に見ました」
「ちょっとそれ、どういうことなのよ」
「……そういうことです。郁子さんが、ちゃんと谷村さんのこと考えてあげないから」
「そうよね。こんな可愛い人が側にいたら、家には帰って来なくなるわよね」
そそれからしばらくの間、ふたりとも押し黙ったままだった。
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