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迷子の仔猫たち 14(猫を狩る 47)
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「雅人さん、本当にすみません」
雅人は、エンジンをかけ、車を発進させる。
「そんな、気にしなくていいよ。この借りは郁子ちゃんに返してもらうから」
「それは郁子さんに悪いです」
後ろをちらりと見た。リアウィンドウには濃いスモークが貼られていて、後続車は見えない。
「じゃあ、葉月ちゃんが人妻になったらでいいよ」
「え……あの……」
「冗談だってば」
「なんでそんなに人妻にこだわるんですか?」
というか、雅人と郁子とはいったいどういう関係なのか。郁子はママに陥れられて、雅人に写真を撮られ、それが原因かどうかはわからないけど、旦那さんがショックを受けて家に帰ってこなくなったと、美里が乗り込んできた。結局うちのパパとママみたいなことになっているのか。
「だって、可哀想じゃない。家のことも子供のことも全部ひとりで抱え込んでて、旦那さんは無関心だし」
車は幹線沿いに元来た道を戻っているようだけど、土地勘がなく、どこをどう走っているのか全くわからない。
「たしかにお母さんは大変だなって思うけど……あの、旦那さんがかまってもらえなくて可哀想って、女の人が乗り込んできたんです。で、雅人さんも郁子さんが可哀想って……なんで結婚している夫婦なのに、ふたりとも別の人に可哀想って言われてるのかなって」
「まあそうだよね」
雅人がそう言いかけたところで電話が鳴った。杏からだった。
「葉月、ちゃんと来るよね?」
「うん、向かってる」
待ち合わせの時間まであと十五分ほどだ。
「十時に着きますよね?」
雅人に確認した。
「大体ぴったりに着くはず」
「ね、葉月誰かといっしょなの? ひとりで来るんじゃないの?」
責めるような口調で杏が言った。
「あ、今日会った人が送ってくれるって。車の中でいろいろされちゃってヤバかった」
「わかった。それじゃあね」
電話が切れた。
「ほら、筋書き必要だったろ」
「はい。言い訳できてよかったです。でも……やっぱり怖いところに行こうとしてるってことですよね」
誰かが追いかけて来たり、その家に行ってから安否を気づかう人がいてはまずいということなのだろう。
「今頃気づいた? でも最善は尽くす。ちょっと郁子ちゃんに電話して」
「あの……運転してるから出られないと思うけど」
「行き先は知ってるから、路肩にでも停めて取るだろ」
言われたとおりにスピーカーにして電話をかけた。
「どうしたの?」
「駐車場に着いたら、なるべく遠くに車停めて、向こうの車が出たら、隣に来て俺のこと拾って」
「わかった。運転下手だけどがんばる」
それから、目的地に着くまで怖くてずっと黙っていた。
雅人が言ったとおり、そのファミレスの駐車場には、十時二分前に着いた。すぐに杏から電話がかかってくる。
「今駐車場に入ってきたシルバーのバン?」
「そう」
「じゃあ、黒のスポーツカー探して」
「黒のスポーツカー?」
雅人に聞こえるように繰り返し、電話を切った。
「雅人さん、行ってくる」
「じゃあね葉月ちゃん、ちゃんと警察に捕まるまで見届けるから」
葉月は、キャリーケースを持って車を降りた。駐車場は三分の一ほどしか埋まっていなくて、黒のスポーツカーはすぐに見つかった。後部座席のスモークガラスを覗き込むと、ドアが開けられ、顔を腫らした杏がぎこちなく微笑んでいる。
「葉月、来てくれてよかった。バッグこっちに置きなよ」
葉月のショルダーバッグを掴む杏の手が震えている。
「え、大丈夫だから」
助手席に座っている大柄でのっぺりとした男が座席の間から身を乗り出してきて、杏から葉月のバッグを奪い取る。
「これから、友達がいっぱいいる楽しいところで暮らすんだから、携帯はいらないよね。全部面倒見てあげるから、財布もいらないよね」
「葉月……ごめん」
「なに謝ってんだよ杏。毎日飯食わせてやって、めちゃくちゃ気持ちよくさせてやってんのに。お友達にも感謝してもらわねえと」
最初は新宿で待ち合わせするという話だったので、都心に向かうものとばかり思っていたのに、車は住宅街に入っていく。
「可愛いお嬢さんを怖がらせちゃだめだろ。家に帰ったら早速歓迎パーティーしようね。ちゃんと一から調教してあげるからね」
運転している男の声ねっとり低い声に、ぞっとして吐き気が込み上げてくる。どうにかして、杏に計画を伝えなければ。杏の冷たい手をギュッと握りしめ、それから掌にゆっくりと「た」と書いた。助手席の男が振り返り、葉月を注視する。不審な動きがバレてしまったらまずい。でもどうしたら? 握った手をふわふわと短いスカートに覆われた杏の太腿の上に置く。
「杏、淋しかったよ」
そう言いながら、杏の腫れた頬に唇をつけ、スカートの中に手を滑り込ませ、冷え切った太腿を撫でた。杏がぴくりと体を震わせる。た、す、け、が、く、る、と太腿にゆっくりと書くと、杏は頷いて、葉月の髪をくしゃくしゃと撫でた。助手席のの男が振り返り、
「家に着くまで待てないのか、お嬢ちゃんたち」
と言って、下品に唇を歪めて笑った。それから、け、い、さ、つ、と書いた。杏は、葉月に抱きつき、鎖骨の辺りに顔を埋めると、いやいやするように首を横に振った。警察を呼ばれるのは嫌だということか。でも、他に方法がない。
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