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眠りから覚めると世界は11(猫を狩る 59)
11
全速力で屋外階段の入口まで走った。
「待って。あたしも行く」
葉月が追いかけてきた。一段抜かしで階段を駆け上がる。とにかく裕二を呼ばなければと思い、途中の踊り場で立ち止まり、電話をかけた。呼び出し音を聞きながら再び階段を駆け上がる。心臓が破れそうなくらいに激しく拍動し、息が切れ、脚が攣りそうになる。何階まで来たのかもわからない。
「花梨、見つかった?」
「屋外階段に……」
「よかった。すぐ戻る」
「……柵の上に座ってるの……一番高いところに……早く来て!」
「何でそんなところにいるんだよ」
「わからない……今、向かってる」
全身から汗が吹き出し、胸が締め付けられるように痛む。早苗にも電話しなければ。でも、息が上がって喋れない。連絡先のリストから早苗を探してクリックし、軽い足取りでついてくる葉月に携帯を渡した。
「早苗さんに……」
葉月は黙って携帯を受け取り耳に当てた。
「見つかった。階段の一番上。え? 十階くらい? すぐに来て。警察の人は? わかった」
葉月に携帯を渡された。
「大丈夫だから。絶対に大丈夫。杏は……助けてほしいだけだから。絶対。花梨ちゃんも大丈夫だから……パパとママに来てほしいだけだから、ね、本当に大丈夫。絶対に大丈夫」
階段を駆け上がりながらおまじないでも唱えるように、葉月が大丈夫だと繰り返す。最悪の事態のことしか考えられない。大丈夫だなんて、思っていない。でも、信じるしかない。直線を登り切り、フロアに続く鉄製のドアの前で身体の向きを変えた。ねねが踊り場の柵の上を歩いている。
「来ないで。これ以上近づいたら飛び降りる」
振り返った杏は、落ち着き払っていて、心なしか微笑んでいるように見える。花梨の表情は読めない。思ったより落ち着いているように見えるけど、もともと、感情を表に出さない子だ。
「花梨、降りて来て。そんなところに座ってたら危ないから」
花梨が縋るような目で郁子を見る。背後の鉄製の扉が音もなく開く。裕二だった。
「花梨!」
「今行っちゃだめ!」
階段を上がろうとするのを後ろから抱きついて止めた。
「花梨とね、ねねちゃんのせいでママはずっと悲しかったの、知ってたの。だから、花梨はいないほうがいいのかなって思った」
「花梨、それは違う!」
子供だからわからないと多寡をくくっていたけど、ものわかりのよい花梨は、敏感に察知して傷ついていたのだ。なぜ、気づいてあげられなかったのか。
「花梨のせいでもねねちゃんのせいでもないの。だからそこから降りてきて」
花梨が静かに首を横に振る。
「花梨! いい子だからパパのところにおいで。明日は花梨の行きたいところに遊びに行こう。遊園地でも、ピクニックでも、プールでもどこにでも連れてってあげるから」
「あの女の人とは行かないよ。パパはママも花梨もねねちゃんも嫌いなんでしょ」
裕二の身体から力が抜けていく。その代わりに後悔と悲しみに満たされていくのが、手に取るようにわかる。花梨には気取られないように注意していたのに、花梨は全てに気づいていたのだ。
「花梨とパパとママで行くんだよ」
「本当?」
「本当だよ。約束する」
ふと後ろを見ると、早苗と私服警官と雅人が立っている。つい数時間ほど前に葉月と杏と一緒に家まで来た人だった。鉄製のドアが細目に開き、小田と坂本がドアをすり抜けてくる。
「花梨ちゃんはパパとママのところに行きな。お姉ちゃんはひとりで行くから」
「いやだよ。杏奈ちゃんをひとりにはしたくないもん」
少なくとも、花梨は飛び降りる気は失くしたようだけど、少しでもバランスを崩すと落ちてしまうので、まだ安心はできない。
「柳瀬杏奈さんですね。そこから降りて、署の方でお話を聞かせてもらえませんか。その前に、そのお子さんを保護させてください。親御さんたちも気が気じゃないだろうから」
私服警官が階段を上がる。
「近寄らないで。これ以上近寄ったらここから飛び降りる!」
「わかった。きみが自分の意志でそこから降りてくるまで、身柄の拘束はしない。約束する。いいね」
「わかりました」
私服警官はゆっくりと階段を上り、花梨を抱きかかえた。安堵に身体の力が抜ける。
「花梨!」
私服警官が階段を下りてきた。屈んで花梨を降ろし、花梨の肩に手を置いた。
「もうこんなことしちゃだめだよ。約束して」
花梨はこっくりと頷いた。裕二が花梨を抱き上げ、郁子は花梨ごと裕二に抱きついた。
「花梨、お家に帰ろう」
「杏奈ちゃんを助けてあげないと。杏奈ちゃんをここに置いてはいけない」
「わかった」
ふくらはぎに、柔らかくふわふわした感触のものが当たる。ねねだった。花梨は裕二に任せ、郁子はねねを抱き上げた。
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