眠りから覚めると世界は11(猫を狩る 59)

1/1
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/61ページ

眠りから覚めると世界は11(猫を狩る 59)

11    全速力で屋外階段の入口まで走った。 「待って。あたしも行く」  葉月が追いかけてきた。一段抜かしで階段を駆け上がる。とにかく裕二を呼ばなければと思い、途中の踊り場で立ち止まり、電話をかけた。呼び出し音を聞きながら再び階段を駆け上がる。心臓が破れそうなくらいに激しく拍動し、息が切れ、脚が()りそうになる。何階まで来たのかもわからない。 「花梨、見つかった?」 「屋外階段に……」 「よかった。すぐ戻る」 「……柵の上に座ってるの……一番高いところに……早く来て!」 「何でそんなところにいるんだよ」 「わからない……今、向かってる」  全身から汗が吹き出し、胸が締め付けられるように痛む。早苗にも電話しなければ。でも、息が上がって喋れない。連絡先のリストから早苗を探してクリックし、軽い足取りでついてくる葉月に携帯を渡した。 「早苗さんに……」  葉月は黙って携帯を受け取り耳に当てた。 「見つかった。階段の一番上。え? 十階くらい? すぐに来て。警察の人は? わかった」  葉月に携帯を渡された。 「大丈夫だから。絶対に大丈夫。杏は……助けてほしいだけだから。絶対。花梨ちゃんも大丈夫だから……パパとママに来てほしいだけだから、ね、本当に大丈夫。絶対に大丈夫」  階段を駆け上がりながらおまじないでも唱えるように、葉月が大丈夫だと繰り返す。最悪の事態のことしか考えられない。大丈夫だなんて、思っていない。でも、信じるしかない。直線を登り切り、フロアに続く鉄製のドアの前で身体の向きを変えた。ねねが踊り場の柵の上を歩いている。 「来ないで。これ以上近づいたら飛び降りる」  振り返った杏は、落ち着き払っていて、心なしか微笑んでいるように見える。花梨の表情は読めない。思ったより落ち着いているように見えるけど、もともと、感情を表に出さない子だ。 「花梨、降りて来て。そんなところに座ってたら危ないから」 花梨が(すが)るような目で郁子を見る。背後の鉄製の扉が音もなく開く。裕二だった。 「花梨!」 「今行っちゃだめ!」  階段を上がろうとするのを後ろから抱きついて止めた。 「花梨とね、ねねちゃんのせいでママはずっと悲しかったの、知ってたの。だから、花梨はいないほうがいいのかなって思った」 「花梨、それは違う!」  子供だからわからないと多寡(たか)をくくっていたけど、ものわかりのよい花梨は、敏感に察知して傷ついていたのだ。なぜ、気づいてあげられなかったのか。 「花梨のせいでもねねちゃんのせいでもないの。だからそこから降りてきて」 花梨が静かに首を横に振る。 「花梨! いい子だからパパのところにおいで。明日は花梨の行きたいところに遊びに行こう。遊園地でも、ピクニックでも、プールでもどこにでも連れてってあげるから」 「あの女の人とは行かないよ。パパはママも花梨もねねちゃんも嫌いなんでしょ」  裕二の身体から力が抜けていく。その代わりに後悔と悲しみに満たされていくのが、手に取るようにわかる。花梨には気取(けど)られないように注意していたのに、花梨は全てに気づいていたのだ。 「花梨とパパとママで行くんだよ」 「本当?」 「本当だよ。約束する」  ふと後ろを見ると、早苗と私服警官と雅人が立っている。つい数時間ほど前に葉月と杏と一緒に家まで来た人だった。鉄製のドアが細目に開き、小田と坂本がドアをすり抜けてくる。 「花梨ちゃんはパパとママのところに行きな。お姉ちゃんはひとりで行くから」 「いやだよ。杏奈ちゃんをひとりにはしたくないもん」  少なくとも、花梨は飛び降りる気は失くしたようだけど、少しでもバランスを崩すと落ちてしまうので、まだ安心はできない。 「柳瀬杏奈さんですね。そこから降りて、署の方でお話を聞かせてもらえませんか。その前に、そのお子さんを保護させてください。親御さんたちも気が気じゃないだろうから」  私服警官が階段を上がる。 「近寄らないで。これ以上近寄ったらここから飛び降りる!」 「わかった。きみが自分の意志でそこから降りてくるまで、身柄の拘束はしない。約束する。いいね」 「わかりました」  私服警官はゆっくりと階段を上り、花梨を抱きかかえた。安堵に身体の力が抜ける。 「花梨!」  私服警官が階段を下りてきた。屈んで花梨を降ろし、花梨の肩に手を置いた。 「もうこんなことしちゃだめだよ。約束して」  花梨はこっくりと(うなず)いた。裕二が花梨を抱き上げ、郁子は花梨ごと裕二に抱きついた。 「花梨、お家に帰ろう」 「杏奈ちゃんを助けてあげないと。杏奈ちゃんをここに置いてはいけない」 「わかった」  ふくらはぎに、柔らかくふわふわした感触のものが当たる。ねねだった。花梨は裕二に任せ、郁子はねねを抱き上げた。
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!