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眠りから覚めると世界は 12(猫を狩る 60)
12
「いろんな人に迷惑かけちゃったから、死ぬ前にここでお話しますね」
杏奈はそう言うと、身体の向きを変え、柵の外側に投げ出されていた膝を抱えて、体操座りした。その間も、柵から落ちてしまうのではないかと冷や冷やした。さっきから、屋上のほうから足音やひそひそとした話し声が聞こえている。でも、屋上に人がいるはずはない。騒ぎを聞きつけた下の階の人の声がコンクリートに反響しているのだろう。
「ママと、ママの男を殺したんです。あたしには七歳の弟がいて、ママの男に虐待されてたんです。あたしもそいつにヤられたり、客を取らされたりしてたから、家出して、でも弟が心配だから時々家に帰って面倒を見てたんです。ママはそいつの言いなりでした。家出先から家に帰ったら、弟の意識がなくて……ひどく殴ったら吐いて、反応しなくなったって。母が救急車を呼ぼうとしたら、男は弟をアパートの階段から突き落としました。虐待がバレると思ったんでしょう。だからそいつを背中から包丁で刺しました。何度も刺していたら、後ろから母に首を絞められたので、母も刺しました。それから怖くなって、着替えて救急車を呼んで、東京に逃げました。あの時にあたしも死ねばよかったのに、それからすぐに葉月に会って、でも居候先がひどいところで……葉月、迷惑かけてごめんね。それから、花梨ちゃんも巻き添えにしようとして……本当にごめんなさい。でも、最後に見ず知らずのみなさんに親切にしてもらえて嬉しかったです。じゃあね」
杏奈が立ち上がる。
「弟さんとお母さんは、助かったんだ。だから会いに行ってあげないと」
私服警官がトランシーバーに向かって怒鳴り声を上げながら、階段を駆け上がる。杏奈が振り返る。
「よかった。でもやっぱり人を殺したことには代わりはないから」
杏奈はそう言うと背を向けた。
「杏奈ちゃん、だめ!」
「杏!」
「やめて!」
みな口々に叫び声を上げた。最悪の瞬間に目を背けようとしたその時、信じられないことが起こった。踊り場の上から、ロープで吊られた男が降りて来て、杏奈の身体をがっしりと捕まえた。
「いや! 離して!」
「確保した。もうちょっとロープ降ろして」
私服警官がトランシーバーで指示を出し、杏奈を抱えた警官がゆっくりと柵を降りた。
「柳瀬杏奈さん、署まで来てくれるね」
杏奈が声を上げて激しく泣き始めた。
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